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2009年6月

2009年6月30日 (火)

いつの間にか最古参?山崎川ウオーキング

 毎朝、山崎川に沿って瑞穂運動場までウオーキングをしていることは、以前にも書いた。

 最初は、ジョギングをしていた。その頃エアロビクスということはまだ殆ど知られていなかった。アメリカの本の翻訳でエアロビクスを紹介した本が出版されたのでそれを買って読んで有酸素運動について知った。

 それから間もなくだと思うのだが、京都大学の久保田競教授が書いたジョギングの本を買って読み、有酸素運動としてジョギングがいいことを知り、ジョギングを始めた。

 ジョギングは5,6年続けたのだが、ある日突然に膝を痛めて走れなくなり、仕方なくウオーキングに切り替えた。

 ただ、今にして思えばジョギングができなくなってよかったと思う。何故ならその後ジョギングの弊害が言われるようになって、最近ではスロージョギングが唱えられるようになったくらいだからだ。

 ジョギングを始めた頃は、山崎川沿いにジョギングをしている人は殆どなく、ウオーキングをしている人が少しいただけであった。

 最近気がついたのだが、メタボリック検診が始まった昨年からウォーキングやジョギングをする人が増えたようだ。

 この頃では、「ためしてガッテン」の影響かどうか知らないが、スロージョギングをする人も増えてきた。

 そしてもう一つ気がついたことがある。

 それは昔歩いていた人たちの顔をいつの間にか見なくなったことである。気がつけば、私が一番古顔になっている。今、見かける人たちはみんなずっと後から歩き出した人たちである。

 時が経つのは速いとつくづく思う。

 私もいつかは歩けなくなる日が来るのだろうがその日がいつかは神様以外にはわからない。それまで一日一日を大切に歩こうと思う。

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2009年6月29日 (月)

買い物は大阪のおばはんに学ばなくちゃ

エアコンを買い換えることは先日書いた。

  昨日、自動車ボランティアに行ったので、帰りに買った店の系列の別の店に行った。

 そこでエアコン売り場を見ていたら,M社の出向社員が話しかけてきた。それで話を聞いた。

 聞いていると、「値段は精一杯頑張ります。」と言った。それでどのくらいになるかと尋ねたら、「00万円にします。」と言った。私は、「貴方は出向だから値段を決められないのじゃないの。」と言うと、「大丈夫です。勉強します。」と言った。それで「P社のと同じにならないか?」と尋ねた。すると、「ちょっと待ってください。」といってカウンターに行き戻ってきて、「いいですよ。」と言った。

 いいですと言われても、私の方は、既に買うことにしてあったので、「じゃあ、検討します。」と言って店を出た。

 家に帰ってから今度は買った店にキャンセルに行くことにした。 品物はいつはいるか未定で金だけを払ってあったのだ。

 店に行って、キャンセルを申し込むと意外にも何も言わずにキャンセルに応じてくれた。

 その足でまた見せ行き、先ほど説明をしてくれた人を探した。

 再びいくらにしてくれるか尋ねた。○○万円と高い値段を言った。私は、もっと安くならないかと再度尋ねた。その人は、◎◎万円丁度にしますと切りのいい値段を言った。

 私は、前にP社と同じ値段にすると言ったでしょうというとしばらく考えてそうしますと言った。それで合計の値段を聞いたら、P社のより高いので理由を聞くと古いエアコンの取り外し費用打と言った。

 よく見るとp社のはすべて込みになっているがM社のは別途になっていた。

 「それならP社の方が値打ちだ。」と言った。そして、「私はP社のをキャンセルしてきたのだから同じにして欲しい。」と言った。彼はカウンターの方に行って戻ってきて「では、おっしゃるとおりにしましょう。」と言った。それで承知をしてM社のエアコンを買うことにした。

 同じ系列の店だから初めからM社のエアコンを2万円も高く言わず、同じぐらいにしてくれていたら、それを買うつもりであったのだ。

 教訓 

 ① 同じ会社でも店によって違うから他の店も調べることが大事だ。

 ② 別の会社の販売価格や保障も調べる必要がある。(ちなみにY電機、K電機 はP社エアコンも10年保障である。

 ③値段の交渉は、簡単に諦めないことが大事である。大阪のおばはんや中国人のように粘るぐらいがよい。言うことはタダだから言ってみるべきである。

 土曜日の新聞に値引き競争が激しいと書いてあったが、層かもしれないと思った。

 ちなみにチラシにはすぐに取り付けをしますと書いてあるが、実際は取り付け予定が多くて数日は待たされることがわかった。

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2009年6月28日 (日)

カラスの見分け方

 カラスはいつの頃からか都会の真ん中に住むようになり、その図々しさと鳴き声のやかましさと色が黒いことで住民からは嫌われ者になっている。

 我が家のすぐ近くの電柱にもカラスが巣をかけたことがある。ハンガーなどを集めてきて作ってあった。

 私が子どもの頃住んでいた新宮市には市の真ん中に沼があり、天然記念物の浮島という珍しい島があった。浮島というのは文字通り島が浮いているのである。

 その島の周りには蓮などが一杯あって時期が来ると蓮の花を咲かせていた。

 というとすごくロマンチックな響きがあるが、実態はそうではなくて汚物が浮いた汚染された沼であった。

 その島にカラスが住み着いていて、飛び回ったり、カア、カアとうるさく鳴いたりしていた。その沼では時々人が落ちて死ぬと言われ、そんなときにはカラスが騒ぐのだと言われていた。

 そういう訳でカラスというと子どもの私たちにとっては気味の悪い存在であった。とても「七つの子」や「夕やけ」という童謡にあるような懐かしい存在ではなかったのだ。

 カラスは今やごく身近に見かける鳥であるが、カラスには2種類あることは知っていても見分け方は知らなかった。

 嘴細カラスと嘴太カラスがそれであるが、この歳になるまで見分けがつかなかった。

 ところが、先日、知人の野鳥写真家の山口さんが、鶴舞公園で嘴細カラスと嘴太カラスのツーショットを撮ってemailで送ってくれた。

 下の写真がそれだが、これを見ると一目瞭然である。左にいる頭が丸くなったのが嘴太カラスで、右の頭から嘴までがなだらかなのが嘴細カラスである。

 以来、私は、カラスを見る度にどちらかを見極めるようにしているが、どうやら嘴細カラスの方が多く見かけるようだ。

 この写真は学校の先生には是非活用してほしいと思う。

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2009年6月27日 (土)

まだ登録方法が決まっていないエコポイント

 我が家のエアコンが昨年夏辺りから調子がおかしくなった。昨年はメーカーに頼んで点検をしてもらい、掃除をしたら何とか働いた。1年たってエアコンの調子はどうもよくない。

 また掃除をした方がいいのか、それともこの際思い切って買い換えた方がいいのか迷っていた。友人たちに相談をしたら、この際買い換えた方がいいという。理由は、エコポイントと電気代の節約であった。

 私は、エアコンを買い換えてからまだ8年ぐらいしか経っていないと思っていたが、調べてみたら14年にもなっていた。時が経つのは速いものだ。

 それでエアコンを買い換える決心がついた。

 丁度新瑞橋のエイデンからプレゼントの案内が来ていてので貰いがてらエアコンについて調べてみようと思い出かけた。

 初めはエコポイントについても何の知識もなかったので、店員をよんで説明を聞いた。4スターのエアコンを買うと機種に応じて3000点から9000点までのエコポイントが貰え、更に古いのをリサイクルすると3000点のポイントが貰えるということが分かった。

 エアコンの陳列をしてあるところに行くといろいろあって初めは何も分からなかった。丁度シャープからの出向の人が声をかけてきたので、説明をさせたら詳しく話してくれた。でも、シャープの人なので何となく中立性が弱いと感じていたらエイデンのエアコン担当と交代してくれた。

 その人の勧めは、Panasonicか霧が峰のムーブアイであった。Panasonicは霧が峰より2万円も値段が安いが、霧が峰にはエイデンの保証が10年ついているのが魅力であった。

 いろいろと迷った末、Panasonicを買うことにした。 消費電力は現行のものより50%ぐらいは少なくて済むようだ。

 エコポイントは、7000点である。ところが、エコポイントは、申請をしなければならず、必要な書類は

 ①領収書  ② メーカー保証書 ③家電リサイクル券排出者控え(リサイクルに出す人のみ)

 7月から申請を受け付けるというのだが、どこに出すのか、書類をどこで手に入れるのかなどは不明なのだと言う。

 何ともいい加減なものだと思った。麻生内閣のやることはこんなことなのだ。手続きの仕方も決まってないのに見切り発車をしているのである。

 それにしてもエアコンの売れ行きはよいようで、エコポイントの効果?

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2009年6月26日 (金)

東国原知事の正体見えたり

 東国原宮崎県知事は自民党選挙対策委員長古賀氏から次の総選挙に自民党からの立候補を打診された。そのとき、東国原知事は、自民党の総裁にしてくれるなら出馬してもよいと答えたそうだ。

 それで自民党内にさまざまな波紋が広がっているようだ。

 東国原氏は、もともと国政選挙に出たいと思っていたようで、宮崎県知事はその踏み台と考えていたようだ。国政選挙への執着は相当のものと見受ける。

 社会党の福島委員長は、「私も宮崎県出身だが、どげんがせんといかん宮崎をほったらかして、任期中に国政に転ずるのは公約に違反する。」と真向から批判した。

 私も全く同意見で、宮崎県を変えるために県民の大多数の支持を得て、期待されて当選した筈である。それなのに任期の途中で国政選挙に色目を使うというのは何とも不見識も甚だしい。

 だいたい、東国原知事は、当選後もテレビやマスコミに出ずっぱりで、よくも知事という激職が務まると思うくらいだ。年間180回もテレビに出ているというのだから呆れてものが言えない。知事というのはそんなにも楽な片手までやれる仕事なのかと問いたい。

 テレビ出演は、やはり国政選挙出馬への道ならしであったのだということがみえみえである。テレビで顔を売っておけば当選は間違いなしであると計算しているに違いない。

 東国原知事の正体は誰の目にも明らかになった。国政選挙に出ることに反対のmailや電話は8割に上るというのも当然だ。

 宮崎県民よ、大いに怒れと言いたい。

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2009年6月25日 (木)

「もったいない」が泣く、売れ残りの廃棄

 昨日、今日の新聞やTVによると、セブンイレブンの売れ残り食品の廃棄が問題になっている。

 売れ残り食品の廃棄については以前から問題を指摘されていたが、今回の公正取引委員会からの排除命令が出るまでうやむやのうちに過ぎてきたようだ。

 日本は、食糧の自給率が40%以下で、大半を輸入に頼っているのに、利益第一で売れ残り食品はすべて廃棄されてきたのだ。

 それでも以前は、店のゴミ箱に捨てられていたのでホームレスなどがそれを見つけて飢えを凌ぐことが出来た。ところが、いつのころからかゴミ箱に捨てることが出来なくなり、完全に生ゴミとして廃棄されるようになったのだ。

 朝日新聞によると、主要コンビに10店で年間17万トンにも上るという。約4億2000万食に相当すると言うのだ。

 金額にすると、セブンイレブン全店舗で年間600万円になるが、それは店舗経営者の負担になっていたという。

 金額が問題ではなく、食糧が捨てられるということが問題なのだ。

 アメリカのニューヨークでは、いまだにゴミ箱に捨てられるので、もったいないと思ってそれを拾い集めて自宅に持ち帰り利用する人たちが増えて大きな運動になっているという。

 6月21日のサンデーモーニングによると日本で廃棄される食糧は1900万トンで世界の食糧援助の三倍にもなるのだと言う。世界には、その日の食に事欠き、飢えている人々が10億人以上もいると聞く。その人たちが知ればどう思うであろうか?

  以前、朝日新聞の「声」欄に、バングラディッシュの人が、コンビニで捨てられる食品を何とかできないかと投書していた。食糧に困る人々から見れば何と言う罰当たりなことであろうと思うであろう。

 日本は、昔から「もったいない」の国である。ノーベル平和賞受賞者のケニアのマータイ女史がそれを知って「もったいない」という日本語を世界に広めた。

 日本では、農民が汗水を流して作った米は一粒たりとも無駄にしてはいけないと教えられてきたはずだ。それは魚や野菜についても同じであった。

 それが「飽食の国」になり、食糧を無駄にして平気な人々が増えたが、バブル崩壊後の経済の低迷と今回の不況で、食糧を大事にする人々が増加し意識も変わってきた。

 ところが、強欲の金儲け主義の食糧ビジネス業界では、意識は変わらず、旧態然とした儲け第一の経営が行われ、売れ残り食品を平気で捨てているのだ。

 公正取引委員会の勧告にも関わらず、セブンイレブンの経営者たちは憮然としているという。

 売れ残り食品対策を早急に確立して、売れ残りを出さない、廃棄はしない、やり方を徹底すべきである。

 もったいない精神を忘れるな!!

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2009年6月24日 (水)

岡崎市民休養施設・桑谷山荘(くわがい)

 桑谷(くわがい)山荘は岡崎市民のための休養施設である。宿泊人員は120名。昼間のみの利用も可能で、この日は、日曜日に加え「あじさい祭り」の期間中であったので、300名もの利用者がいるとのことであった。Cimg0071

 写真をクリックすると拡大します。

 桑谷山荘に近づくと道の両側には「アジサイ」が植えてあって我々を歓迎してくれた。

 チェックインは午後四時なので4時過ぎに宿に着いたが、玄関前の駐車場はあまり大きくないので1台分しかスペースがなく、Kさんは第2駐車場に下りて行った。そちらの駐車場は広い。Cimg0078

 玄関を入ると、ロビーがあり、土産物を山積みにしたコーナーがあった。アジサイ祭りで地元のグループが手作りの竹製品などを売っていた。

 部屋は2階の206号室が男性で、205号室は女性であった。2階と行っても山荘が山の斜面に建てられているので、カウンター横の階段を下に下りて行くのだ。階段の両側はミニ画廊になっていて玉龍書道会の書が展示してあった。見たところ、高齢者が先生の手本を見て書いたという感じで微笑ましかった。

 Cimg0072 廊下からは窓越しにアジサイを見ることが出来た。部屋からは、三河湾の蒲郡が遠望されたが曇りなので遠くにかすんでいた。窓の下にはアジサイが一面に植えてあり、アジサイ園となっていた。

 6畳二間ぐらいの広さの部屋で2.3年前に改装されたというのできれいであった。トイレには最新式のシャワートイレが設備されていた。ただ、建物は築後40年以上になるとかで、屋根の一部が陥没していた。Cimg0085

 夕食までには時間があるので、アジサイを見に外に出た。すぐ前に山がありウグイスが盛んに囀っていた。細い道を下りてアジサイ園に出た。建物の下の斜面にはすべてアジサイを植えてあった。アジサイはきちんと世話をされているようで、どれも葉がつやつやとしていて見事な花を咲かせていた。アジサイ園の向こうには山の斜面が続き濃い緑の木々が広がっていて、遠くに三河湾が望まれる。

Cimg0073  赤やピンクや青といったアジサイが色とりどりに植えてありその間の小道をゆっくりと歩いて鑑賞した。

 一箇所、ササユリが咲いているところがあり、「とらないように」という注意書きの板が立ててあった。

 部屋に戻って、風呂に行った。浴室は建物の離れにあり、三河湾が遠望できた。コインが返却される百円ロッカーもあった。ゆっくりと汗を流した。

 Cimg0087 夕食は18時30分からにしてあり別室の広間を頼んであった。カラオケセットも4100円で借りた。このグループではこれまでカラオケを歌ったことは一度もなく今回が初めてであった。

 仲間の一人、Aさんが関東に引越しをするので、期せずして送別会を兼ねることになった。

 Cimg0088 夕食には、豆乳に鱧の切り身やエノキやレタスや豆腐などを入れて火で煮るもの。刺身、天麩羅、小さな茶碗蒸し、突き出し、煮物など一つ一つの量は少ないが品数は多かったし、味もよかった。特に、Cimg0089黄桃のような感じで中にハンバーグが入ったものはもちもちとして美味であった。

 食事が8分どおり進んだ頃からカラオケを始めた。Yさんは昔の歌、Tさんは、演歌やフォークなどを歌った。女性ではHさんがただ一人歌った。私は、シャンソンやMY WAYなどを歌った。

 パーティが終わると女性の部屋に集まっておしゃべりをした。女性たちはいろいろな菓子を用意していた。さまざまな話題で時を断つのを忘れ、12時に散会した。一番よくしゃべったのは引越して行くAさんであった。

 布団はセルフサービスなので自分たちで敷いた。

 Cimg0091 翌朝は、5時半頃に目が覚めたので、散歩がてら展望台に行くことにした。諸凹面玄関はまだ閉じていたので出口を探したら、隅っこにドアがあり、1度出たらここからははいれませんと書いてあった。出口専用であった。

 ウグイスがあちらこちらで囀っていた。石が敷いてあって滑りやすい坂を行くとコンクリートの道になりほっとした。鬱蒼とした樹に囲まれた林の中の道は誰も歩いてないのでちょっと気味が悪かった。上の方に行くと、道は土に変わった。15分ほどで頂上の展望台に着いたが、濃い霧で展望台はくもっていた。折角の景色も何も見えなかったが、鶯の声だけはきれいに聞こえたので録音をした。 山を下ってまたアジサイ園に行った。昨日とは違う道を歩いた。霧の中にアジサイはきれいに咲いていた。ウグイスもBGMになっていた。

「096.21鶯3.WMA」をダウンロード

「096.22鶯2.WMA」をダウンロード

 部屋に戻り、朝風呂に出かけ、汗を流した。

 Cimg0096 朝食は8時から1階ロビー横の食堂で食べた。飲み物はフリーであった。味の干物をあぶりながら食べるのがメインで、赤だし、納豆、ハムサラダ、豆腐、焼き海苔、ひじきや豆の煮物、かまぼこなどいろいろとついていた。ご飯はお代わり自由であった。デザートにヨーグルトが少しついいていた。

 納豆は小さなプラ容器に入っていたので、手品に使えるのではないかとひらめき3個もらってきれいに洗った。

 ロビーで待っている間に、それを使った手品を披露した。

 9時50分に本宿までの送迎バスを頼んでおいたのにバスが来なかった。仕方なくバスが来るまで待った。本宿駅に着くと桑谷山荘に行く人たちが待っていた。

 丁度10時21分発の一宮行きの急行に乗れた。Aさん、Tさんと私の3人は名古屋に帰るのだ。

 電車の中でコインを釣輪にのせようと試みたが失敗した。東岡崎駅に停車したときに成功した。車掌やおばさんや女学生にそれを見るように言った。10円玉は金山まで落ちることはなかった。Cimg0097

 旧交を暖める楽しい旅行は終わった。

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2009年6月23日 (火)

岡崎・八丁味噌角九、ピサロ展

 6月21日、日曜日、古い職場の友人たちと岡崎市の「桑谷(くわがい)山荘」へ1泊する親睦小旅行に出かけた。

   写真は画像をクリックすると拡大します。

 東岡崎で10時半に待ち合わせをするので名鉄電車で行った。大学以来のCimg0040東岡崎駅はすっかり変貌していた。待ち合わせ場所の南口には人造大理石のベンチがあり、素敵なデザインの空間に覆われていた。

 昔、坂を登って大学へ行ったことを思い出した。それから○十年の月日が流れていた。

 Kさん、Tさんは車で来たのでそれに分乗させてもらった。

  岡崎市に住むKさんの先導でまず、八丁味噌の工場見学に行った。四角いマスの中に「久」と書いた屋号の「カクキュウ」という大変歴史の古い味噌屋だ。NHKの連続テレビドラマ「純情きらり」で有名になった所だ。Cimg0045

 あれから数年が経つがいまだに観光客がたくさん訪れるようだ。観光バスもとまっていた。

 見学手続きは簡単で1回のグループの人数も適当なようであった。 小嶋さんという若いガイドの案内で見て回った。

 江戸時代Cimg0047からの建物は石組みの上に建てられ黒い色をしていてまるでお城のような感じであった。文化財となっているそうだ。その間を歩いてまず、史料館に行った。中には昔使われた道具類がジオラマのように置かれていて味噌の製造過程が目で見てよく分かるように展示されていた。

Cimg0049  撮影禁止となっていたが、ガイドさんにたずねたら、「パネルが写らなければいいですよ。」と言ったので気をつけてカメラに収めた。

 次は、実際の味噌蔵だ。薄暗い蔵の中には、高さ2m、直径2mぐらいの大きな杉の木で造った樽が並んでいた。上には重石として大Cimg0055 きな石がピラミットのように積んであった。

 その間を歩いて行った。味噌の匂いが漂っていた。

 見学の最後は、試食で、最高級八丁味噌や赤だしを使った味噌汁と田楽を味わうことができた。

 アンケートを出して、赤だしの小袋を貰った。

 八丁味噌は独特の香りと味がする。小さな小箱(400g)が840円もする。

 ※Cimg0058八丁味噌の郷→岡崎市八帖町字往還通69 0564-21-1355(駐車場完備)

 昼食は、和食のレストランで幕の内弁当を食べた。 

 

 午後は、岡崎市の美術館でやっている「印象派の巨匠ピサロ展」を見Cimg0063に行った。美術館は山を切り開いたところにある。自然の中の広い敷地に鉄の梁を組み合わせたようなモダンな建物がありそれが入り口であった。

 入場料は1000円。傘を預けて中に入った。

 作品を守るために薄暗い広い部屋があり、ピサロが影響を受けたコローなどの印象派の絵が展示してあった。解説を読みながらゆっくりと見て回った。

 廊下のような展示室などを通って見て行ったが、落ち着いてみることができるいい美術館だと思った。

 自然の風景のなかに人物をおき、光を敏感に捉えるピサロの絵は巨匠と呼ばれるににふさわしい。印象派の絵画は楽に見ることができる。

 ピサロだけでなく他の画家の絵もあり、中でもピサロの子どもと孫娘の絵のコーナーもあったのがよかった。

 展覧会を見てから美術館にあるレストランセレーヌでコーヒを飲んだ。大変見晴らしのよいところにあり、雲の様子、光の感じ、遠くにある山などがまるでピサロの絵のようであった。

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2009年6月22日 (月)

コンサートの案内

下記のようなコンサートの案内が来ましたので紹介します。私は南山教会には行った事がありませんが、聖堂にはパイプオルガンがあるそうです。私の属する昭和男爵コーラスグループの指揮者やピアニストの先生もお勧めです。

謹啓

梅雨の候、皆様ご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、来たる7月4日(土)18時より、南山教会にお
きましてホスピツ聖霊後援会「ぶどうの会」への後援チャリティー「パ
イプオルガンと合唱による宗教音楽のひととき」を開催するはこびとな
りましたので、ここにお知らせをいたします。
ホスピツ聖霊は2009年に聖霊病院の一つの病棟として新しく開設
されました。このホスピツ聖霊を支援する後援会が「ぶどうの会」で
す。今回は「天使の声」という意味の名前の南山短期大学聖歌隊・
ヴォックス アンジェリカがW. A.モーツァルトの「アヴェ 
ヴェルム コルプス」やグレゴリオ聖歌を歌います他、パイプオルガン
のメインの曲目としてボエルマン作曲の「ゴシック組曲」を演奏いたし
ます。耳慣れた曲目が多く、どなたさまにも楽しんでいただけるひとと
きとなるかと思います。
ご多用のところ大変恐縮ではございますが、皆様お誘いあわせのうえ、
是非ご来臨下さいますよう、心よりお願い申し上げます。


「名古屋オルガンの秋2009」の準備も着々と進んでおります。
チューバ&パイプオルガンのコンサート「死の舞踏」は11月
8日(日)15時に決定いたしました。中世と現代のマリア賛歌を
集めたメゾ・ソプラノ&オルガンは10月下旬に予定いたしており
ます他、11月下旬には加藤典子先生が率いる女声合唱団「かのこ
会」にもご出演いただき、ミサ形式の「祈り」をテーマにした女性合唱
とオルガンのコンサートを予定いたしております。前記の児玉たまみさ
んが語るオルガンとナレーションの為の「アンネの日記」(初演)とも
合わせまして、宜しくお願いいたします。

梅雨寒の日もめぐってまいります。
どうぞ皆様くれぐれもお風邪など召しませんようお気をつけてお過ごし
下さいませ。
謹白
吉田 文



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2009年6月21日 (日)

梅雨になるとミミズが地上に出るーなぜ?

 私は毎朝山崎川に沿ってウオーキングをしている。

 毎年、梅雨になると、いつもきまってミミズが道に出てきて横切っているのを見る。

 ミミズは木の枯れ枝のようにも見えるのでよほど気をつけて歩かないと踏んづけてしまう。

 今朝も何匹かの大きなミミズが硬い道路に横たわっていた。踏んづけないように注意をして歩いた。多い日にはそれこそ2mおきぐらいにミミズがいる。

  ミミズは体長15cm以上の大きいものが多いが中には5cmぐらいの小さいものもある。

 梅雨の時期になるとなぜ地上に出てきて危険な道路を横断するのか不思議でならない。

 中には体が乾いて干からびてしまったものもあるが、大抵は雀などに食べられてしまうのだろう。

 たまにカタツムリが道を横断していることがあるが、そのときCimg0031は手で持ち上げて安全なところに移してあげる。

 ミミズと言えば、我が家の坪庭に数年前からコーヒーの搾りかすを埋めてきた。そのおかげかどうか、今年の冬には花も葉もなく、今にも枯れそうになっていたボケの木が元気を回復したくさんの葉っぱをつけた。 (右の写真)

 その根元を掘り返すと、ミミズが出てくる。いつもまにかミミズが増えていたのだ。

 ミミズは土を耕してくれるから土が軟らかくなり、空気の通りがよくなり、有難い存在である。

 おそらく山崎川べりのミミズもそういう役割をしているはずだが、どうして今の時期に移動をするのであろうか?

※山崎川のササユリ

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2009年6月20日 (土)

憧れのイタリア旅行―終わり―

   ジプシーについて

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  どこの観光地に行っても、ジプシーに気をつけるように言われた。イタリアでは他国からの移民が多いのでスリなどを働く人が多いから気をつけるようにとは耳がタコになるほど聞かされていた。でも、そうした連中を“ジプシー”と言ってしまっていいものだろうかと疑問に思った。ジプシーだけがスリや強盗をするわけでもないだろうし、他の人でもやっているに違いないと思う。

 

 ジプシーとは、インド北西部を起源とし、6世紀頃から移動を開始し、14世紀頃にヨーロッパに到達したといわれる。家族単位で移動するので放浪者を指す語として使われてきた。今日では、ジプシーが差別的意味を持つので、ロマもしくはロマ民族ということが多くなった。もともと定住者と移住者は文化的軋轢が絶えない物と相場が決まっている。ロマの場合、独特の外見的特徴を持つ閉鎖的な小集団で移動しており、かつ、定住者との接触機会も多かったことから、しばしば差別迫害の対象となってきた。(はてなダイアリー)

⑤ 残念なこと

 今回のツアーではイタリア人と接触するチャンスがなかったことである。私は外国へ行くと現地の人と何らかの形で接触したいと考えているのだが、今回はあまりその機会を作れなかった。

    中国人と間違われる

ヴェネツイア、フィレンチェ、ローマなどで我々のグループは、中国人と間違われて「ニイハオ」と声を掛けられた。「こんにちは」と言い返していた。きっと中国人の旅行者が増えているからであろうと思った。他には韓国人のツアーもよく見かけた。経済発展が著しい中国だし、中国で人気があるのはヨーロッパツアーだと言われる。

⑦ 日本人の品格Cimg0343

 旅は恥の書き捨てという言葉があるように、昔から旅に出ると見知らぬ土地ということもあって、開放的になったり、気が大きくなったりしてついつい羽目を外すことが多かったものだ。

 

 外国に行ってもそれは同じで、ひと頃は日本人というとカメラ、眼鏡、団体行動で揶揄されたものである。でも、最近は、日本食が全世界的にブームになったり、アニメが広がったり、日本車が認められたり・・・ということや、中国、韓国などアジアからの旅行者が増加していることもあってであろうか、日本人を見る目が変わって来たのかもしれない。

 エジプトに行ったときもそうであったが、イタリア人のパウロがいみじくも言ったように、日本人の態度のよさが認められだしたのかもしれないと思った。最近、“品格”という言葉が大流行であるが、あえてこれを使うならば、「日本人の品格」を大事にしたいものである。

⑧参考

BC 272年 ローマによるイタリア半島統一 (弥生時代) 

AD  79年 ヴェスヴィオ火山爆発

553年          ビザンティン帝国イタリアを支配 (ビザンチン美術) (飛鳥時代)

962年 神聖ローマ帝国成立  ロマネスク美術 (平安時代)

1200年 ヴェネツィア繁栄  ゴシック建築  (鎌倉時代)

1434年          メジチ家フィレンチェを支配

1450年頃から ボッティチェリ、ダヴィンチミケランジェロ、ラファエロ(ルネッサンス)        (室町時代)

1614年          サン・ピエトロ大聖堂        (江戸時代)

1666年から ナポレオン

1778年          ミラノ・スカラ座完成

1861年          イタリア王国            (江戸末期)

1929年 バチカン市国            (昭和4年)

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2009年6月19日 (金)

憧れのイタリア旅行―24―

67)全員無事で何より

 Cimg0104 今回のイタリア旅行で一番心配していたのは、スリや置き引きなどにあわないかということであった。どこでも歩くときには、時々財布やパスポートの場所をそっと確認した。妻にも時々気をつけるように注意をした。スーツケースは、添乗員とポーターや運転手任せであったが盗られることが無かったのでよかった。とにかく全員が何事もなく無事に帰れたとこがよかった。

 旅行時期についてであるが、この時期を選んでよかったと思う。イタリアはサマータイムになっており、気温も名古屋と変わらないかむしろ暖かいぐらいであった。それで上着も薄いもので間に合った。西洋人の中には、半袖の夏スタイルの人も結構見Cimg0247_2 かけたぐらいだ。それにこの時期は旅行代金もまだ安いのが有難い。

◎ 付録

①イタリアのトイレ事情

 イタリアで次に心配だったのは、トイレである。歳をとって小便に行く回数が多くなったのでトイレのことはいつも心配であった。トイレに行くチャンスがあると必ず行くようにした。妻はどういう訳か余りトイレには行かない。

イタリアのトイレは有料のところが多い。たいていは50cだが、1Eのところもあった。レストランでは無料で使えるが、ドライブインの店などは有料のところが多い。

驚いたのは、トイレの設備と数である。まず便器の数が少ない。それから空港や美術館でさえ大便器だけのところがあり、レストランでは男性用のアサガオが壊れていて、大便器1つのところもあった。その大便器も便座がなくなっているところがいくつかあり、女性便所でもそんなところがあったという。便座が無くなっているのは添乗員の説明では持って行ってしまう人がいるからだと言うが本当だろうか。公共の場所であるチェックポイントのトイレが閉鎖されているというのは信じられないことだ。 

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また、トイレが清潔でないところも多い。ホテルでも部屋以外にはトイレはない。日本では、トイレは何処に行っても完備していて、ドライブインやレストランなどは便器の数も多い。日本はトイレ天国と言ってよいであろう。イタリアと日本のトイレを比較文化論で誰か研究してみたら面白いと思う。もっとも、ヨーロッパでは中世でも、窓から用便を捨てていたというからトイレには余り関心がないのかも知れない。

② ユーロについて

イタリアはユーロ圏なので通貨はユーロを用意しなければならない。ところがユーロの交換レートが高いので我々にとっては大変である。水がペットボトル一本1Eから2E,ビールが小瓶で3Eから5E,などというと見たところでは安いように感じるが、換算してみると水が160円から340円ぐらいとなり高いことがわかる。そういうわけで何処へ行っても物価が高いと感じた。それに交換レートは毎日変わるので得したり?損したり?である。イタリアにいる間は大体1ユーロ159円~164円ぐらいであった。空港など外国人とイタリア人の共通の店でもユーロは使いでがない。

バスでの添乗員の説明によると、イタリアの平均月収は、1200E(約20万円)でユーロになってイタリア人の生活は大変になったようである。スーパーに入らなかったので物価は分からないが、観光地で見る限りは、物価が高い。特に日本人には、為替レートの関係で割高になる。日本に帰ってから果物を買いに行った。日本では4月から物価が上がって騒いでいるが、イタリアに比べると何と安いことかと思った。

        ガイドのこと

 観光地では、イヤホンガイド(耳太郎)が使用され、大変に便利であった。それはいいのだが、幾ら便利な器械を使ったとしても、それを効果的に使ってくれなければ何にもならない。イタリア旅行では、観光地ごとにガイドが変わる。イタリア人ガイドの所や、日本人ガイドの所といろいろだった。イタリア人ガイドの内、日本語を話す男女の二人はユーモアがあって面白かったが、日本人ガイドは、どこでも歩くのが速くて、下を向いて歩きながらしゃべり、なんだか機械的、事務的な印象を受けた。

 特に、今回は高齢の方もいたのでその点が残念であった。フィレンチェの日本人ガイドに、「ヴェネツィアのイタリア人は面白かったよ。」と言ったら、知っているらしくて、「アントニオのこと?彼、まじめにきちんとガイドしているのかなあ。」と言った。私には手抜きをしているとは思えなかった。

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2009年6月18日 (木)

憧れのイタリ旅行―23―

63)遅れた出発、エールフランス

 Cimg0739_2 10時にホテルを出発した。途中、新婚の鈴木さんたちに添乗員がちょっとした記念品をプレゼントし、みんなが拍手をした。

空港に行き搭乗手続きをした後、時間があるのでスタンドでカプチーノ(1.25E)を飲んだ。妻はアメリカン(1.25)だた。クロワッサン風(2E)は二人で分けて食べた。

 

 1_20080331_40507 13時発のアルタリア航空と提携のエールフランスは、多分空港職員のサボタージュであろう、荷物積み込みが大幅に遅れた。1317分にやっと動き始め、53分にtake offした。

 

 エールフランスの機内食は、ワイン、ビールも出た。食事はソフトパンと変わった鶏肉のご飯であった。フランス人と思われる人はみなワインを注文していた。とりわけ赤ワインが多かった。それで私も赤ワインにした。見ていると、ワインを飲んだ後、更にワインを注文してカバンにしまっている人も何人かいた。

 

 エールフランスのシートは、濃い青で統一されていた。食事のトレイは、白、ナプキンは赤であった。妻が「これはきっとフランスの国旗に関係あるのよ。」と言った。フライトアテンダントのフランス女性に尋ねたらそうだと言った。彼女は英語は余り出来ないようであった。後で気がついたのだが、エールフランスのカラーがこれらの3色であった。

64)乗り換えでドキッ

 パリ、シャルル・ドゴール20080401_72701空港で乗り換えのとき、添乗員が手続きをしに行っている間トイレを済ませてトイレの前で待つことになった。トイレのある場所を聞いて行ったら広くて店や待合のある場所に出た。前方のガラス越しに自動車が往来しているのが見える。

 トイレを済ませて待っていてふと気がつくと、さっき通ってきた扉に進入禁止のマークが書いてあった。みんなが「ここは場所が違っているのじゃない?それにしても元へは戻れないし。」「ドアが開くか試してみたら?」ということで誰かが試したがやはりこちらからは開かなかった。

 岡崎の人が私に「英語が話せるから聞いてきて。」と言ったので、近くのINFORMATIONに聞きに行った。係りはここで間違っていないと言った。みんなに伝えたがやはり不安であった。しばらくすると、添乗員が扉から出てきた。それでそこでよかったことがわかった。

65)マイレージの確認

 その後搭乗時刻までに時間があったのでフリーになった。歩いているとJALの事務所があったので入って行き、JALマイレージカードをローマ空港で見せて登録したがそれでよかったのか尋ねた。係りが航空券を調べてきちんと処理されていることが分かった。添乗員は、エールフランスとJALが提携しているので、イタリアからマイレージがつくようなことを言っていたが、エールフランスはJALのマイレージグループには入っていないのでローマ・パリ間はマイレージがつかなかった。

66)JALB_20080331_1625370438便で帰国へ

 搭乗時刻が来て搭乗口に行くと、荷物と身体検査があった。搭乗口で待っていると、東浦の人が、「あの人、胸にロータリクラブのバッジをつけているよ。」と男の人を指差した。ああいう人はきっとビジネスクラスに乗るのだろうと思った。搭乗のとき、ロータリクラブのグループは優先搭乗扱いになっていた。搭乗券を器械に通すときにパスポートを見せたが、飛行機への入り口近くに係りが3人もいてまたパスポートを見せるように言った。私は「さっき見せた。」と抗議したがやむなく見せた。

飛行機に入ると、ロータリクラブの人はエコノミーの前の方にいた。東浦の人に言うと、「そんなもんでしょう。」と言った。

 

 機内はほぼ満席であった。私たちの席は最後部から2列目で最後部は東浦のご夫婦ともう一人の男性だったが、その人は前の席に移動した。妻の隣のアイルも人が来なかったので妻にそちらに移るように言った。東浦の人に「お互いにラッキーでしたね。」と話した。1822分(日本時間122分)にJAL0438便はtake offした。

帰りは11時間30分の飛行だ。妻はこの間一度も席を立たなかった。

中部國際空港には1254分にランディングした。飛行機がゲートに接続したときが無事に行って来られてホッとした瞬間だ。

  預託したスーツケースは、私たちのが一番速く出てきたので驚いた。流れ解散ということなので皆さんに挨拶をして別れた。

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2009年6月17日 (水)

憧れのイタリア旅行―22―

 

59)最低のレストラン

1517分にバスは出発した。行きの高速道路でローマまで帰るのだ。途中1701分から1730分までAUTOGRILLというドライブインでトイレ休憩をした。無料であった。この店のパスタやチョコレートは他の店より少し安かった。

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1830分にローマ郊外のPARCO DELLA SELCETTAというレストランに着いた。駐車場が広く、平屋の建物が幾つか並んでいた。

最後のテーブルは、松阪のご夫婦、熱田の加藤さんたち、もう一組のご夫婦と一緒になった。広いレストランで客は我々30人だけなのに、隅っこに椅子を接して身動きならない配置にしてあった。便所に行くにも料理を配るにも大変だった。テーブルの向こうには広いスペースがあるし、その向こうのテーブルはゆったりと配置してあった。更に外が見えるところはもっとゆったりとしていた。私たちは、「料金が安いのでCimg0729差があるのだろう。」と話し合った。

料理は、ジャガイモ、ニンジンなどの野菜スープ、鳥の白い肉と焼いたズッキーニ、デザートはイチゴ半欠けとパイ。ビールは5E。「最後の晩餐にしては寂しいね。」とみんなは言っていた。

60)最後の夜

1925分にレストランを出発した。添乗員が「一時間ぐらいかかります。」と言っていたが、15分余りでホテルに着いた。

夜にどこかに出かけられないかホテルのフロントに聞いてもらったが、ローカルにあるのでバスかタクシーで行くしかないということであった。

荷物の整理をして、シャワーを浴び、残っていた2箱の酒を飲んで22時に就床。

61)朝食の後で手品

 46日、5時には目が覚めてしまった。今日はゆっくりと出来るが食事は7時かCimg0736らだった。最後のテーブルは、まだ一度も一緒になったことがない4人組の女性に「ご一緒してもいいですか?」と尋ね、「いいですよ。」と言ってもらった。後は、松原さんと鈴木さんと何故か一人になった松阪から来たご主人であった。これまでの旅行の話などと楽しく交わしながら食事をした。

4人組の人たちは、昨夜はロビーのBARで歌を聴いたそうだ。客は4人だけだったので貸しきりみたいでいい気分だったと言う。私もそうすればよかったと思ったことである。

 

 食事の後、時間があるので私はウエストポーチに入れていた手品を取り出して見て貰った。ストロー、安全ピン2種、ロープとリングをやった。

 

 それからもう一つのテーブルに行き、また、「手品を見せましょうか?」と売り込んだ。岡崎の人が、「学生に見せていたので私たちにも見せて欲しいと思っていたわ。」と言った。前のと同じ手品の他に、マッチ箱の手品と矢印の方向を当てる手品を見せた。誰かが「投げ銭がいるね。」と言ったので、「帽子を忘れてきてしまった。」と言った。クイズも出した。「アジが10枚干してありました。そこへ猫が来て3枚くわえて行きました。アジは何枚になったでしょう?」というものだった。植田の奥さんが正解であった。

 どちらの席の手品もわが師清水先生譲りのトークを交えて楽しくやった。

62)ヴィーナス?

 

 10時出発だが、部屋にいるのも窮屈なので9時ごろに部屋を出た。ロビーに行くと、妻は店を見て回った。私は、椅子に坐ろうと思ってふと見ると西洋人の女性と目が合った。どうぞと言う感じであった。

坐ると、「Do you speak English?」と聞いてきた。「Yes」と言うと、英語でしゃべりだした。いろいろと楽しい会話ができた。彼女は、アメリカ人だが、中東に住んでいて、ホリデーで家族と一緒にイタリアに来たのだ。これからフィレンツェ、ヴェネツィアとミラノに行くのだという。

そこ

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へご主人と娘が戻ってきて、紹介してくれた。彼女はDayeal Michelと言った。娘は一目見てハッと感じたほど美人だった。私は、「“ヴィーナスの誕生のヴィーナスそっくりですね。凄く可愛い。」と言った。本当にそっくりであった。写真を撮らせてもらった。

 

 その後、家族が出て行くときに、イタリアで見せるために持ってきていた山崎川の桜の写真を2枚娘にプレゼントしたら喜んでいた。家族はレンタカーでドライブするようであった。

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2009年6月16日 (火)

憧れのイタリア旅行―21―

55)POMPEIの感想

 

 Cimg0571 POMPEIは非常に印象的であった。“イタリア晴れ”の、白い雲を浮べて薄青色に霞んで聳えているヴェスヴィオ火山は、今は噴煙もなく長閑なたたずまいである。その手前にかつてローマ時代に繁栄を誇ったPOMPEIの街の遺跡が存在する。人も動物も建物も家具も宝物も全てがあっという間に降灰とマグマの流れの下に埋められてしまったのだ。日本の大地震も瞬間に人々の平安な生活を奪ってしまうが、   POMPEIも同じであった。しかも、大理石造りの建物や道路が6mもの火山灰に覆われてしまったのだ。そして、今から200年前に発掘が始まるまでその状態が続いたのだ。自然の威力と人や生物のあがらうことのできない運命を思わずにはいられない。

56)海鮮料理の昼食

 遺跡でガイドと別れ、昼食の場所VESUVIOレストランに行った。1250分になっていた。明るいレストランで4人ずつのテーブルが並んでいた。いつも一緒になる別のトラッピックスも来ていた。

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 私たちは、若いカップルと一緒になった。おそるおそる尋ねたら新婚旅行だということであった。それで写真を撮らせてもらった。二人とも料理に関心があるそうなので、「奥さんの料理がうまくなるコツは作ってくれたものをおいしいと食べることです。」と話した。 海鮮料理でエビと貝のスパゲッティ、リングイカとエビ、サラダ、小さなタルルトで、料理の味はよかった。ビールが2.5E,水は1L瓶が3Eなので新婚さんとシェアをした。

Cimg0669 食事の途中でギタリストと歌手が来てカンツオーネを歌った。大きい声を出すために顔を真っ赤にして歌っていた。発声法が駄目だなと思った。歌の後帽子を持って投げ銭を集めに来た。

 

 このレストランのトイレは大便器が一つだけで便座も取れていた。

57)カメオ店

 Cimg0679 食事が済むと、バスでRALLO G APAというカメオの店に行った。カメオは宝貝の大きなものから削って作るのだ。作り方を説明し、実演をして見せてくれた。それから店で製品を見た。私が一番いいと思ったのは、青みがかった貝に細かく、あるシーンを彫ったもので、先生が作ったのだそうだ。価格は、36万円だが今日は26万円でいいと言った。カメオは大変精巧な彫り物だからいい値段なのだろう。欲しくても手が出ない。

 出る前に念のためにトイレに行ったが、さすがにきれいなトイレだった。この店には1316分から40分までいたが、店を出たらすぐ近くにスーパーがあったのでそこに行けばよかったと残念であった。

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58)ナポリをバスの窓から

この後は、ナポリまで走り、1450分頃から、車内から市内を見て回る。ヴェスヴィオ火山の噴火のとき、神曲を書いたダンテはナポリの町にいて噴火を見たのだそうだ。

ナポリは前に海があり山を背後にした風光明媚な街である。しかし、私の想像とは違っていた。ナポリのアパートは古びていて、洗濯物が外に出して干してあって、街はゴミが多くてくすんでいた。Cimg0709

 サンタ・ルチア港にはヨットハーバーもあった。カステル・デッロボ(卵)城の見えるところで5分間下車をして写真を撮影した。ナポリはジプシーのスリが多くてこの頃はバスから出ないようになっているのだそうだ。幸いスリらしい人は見かけなかった。

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2009年6月15日 (月)

憧れのイタリア旅行―⑳―

52)シェラトンの朝食

 

  7時から朝食なので-1階に下りて行った。他にも2組ほど来ていた。食堂を探したが閉まった店があるだけでどこにも見つからなかった。間違ったのかと思ったが次々に他の人が来た。そうこうするうちに添乗員が階段を下りてきた。そしてどこにあるか見てくると言った。やはり分からなかったようだ。ホテルの人を呼んできてやっと入り口を開けてもらえた。加藤さんたち3人ともう一組のご夫婦と一緒だった。シェラトンの朝食はこれまでで一番質素だった。ヨーグルトも無かった。ベーコン、スクランブルエッグ、クロワッサン、パインジュース、コーヒーを摂った。

53POMPEI

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82分にホテルを出発。日本晴れであった、フィレンツェのガイドに「ピサでは日本晴れだった。」と言った時、「イタリア晴れと言ってほしいわ。」と言ったことを思い出した。バスのドライバーはエンゾさん。ポンペイまでは約250kmだがどんな風景が広がるか、天気も良いので楽しみであった。座席はこの日は真ん中の入り口の前であった。隣が開いていたので左右の座席に妻と分かれて坐った。

Cimg0531  高速道路は、丘陵地の間を走っているようだった。ゴルフ場のような緑に覆われているのは草なのか作物なのか、どこまでも緑に覆われていた。遠くには山並みがかすみ、左手に高い雪を頂いた山が望まれるところもあった。一時間ぐらい走った頃から山が近くなった。丘の上に洒落た建物が建っているところもあった。その内に少し曇ってきた。

 ポンテコルロというドライブインでトイレ休憩。50c。パスタ500g袋が3Eで安かったので津の奥さんは買っていた。

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 更にバスが進むと、左手に山の上にモンテ・カッシーノ修道院が見えた。いい風景だ。

 葡萄や桃などの果樹園の他に南へ向かうと、オリーブの果樹園が続いた。時には工場が続くところもあった。山が近くなってきて、面白い形の山や富士山のような双子の小山があったりした。

 その内にヴェスヴィオが見えるようになり、市街地が近づき、その向こう右手に海が見えた。高速道路を下りて市街地に入りポンペイの駐車場に着いた。

54POMPEI遺跡

 Cimg0541 11時に女性ガイドの高橋さんと落ち合った。広場には土産物屋が出ていたが、中でも目を引いたのは直径25cmもあるような大きなザボンのよう柑橘類がたくさんぶら下げられている店だ。トイレをすませ、ポンペイ遺跡の狭い入り口をくぐった。

ポンペイは、最初にオスク人によって作られ、ギリシア人、エトルスキ人、サムニウム人、ローマ人と入れ代わりで支配されてきたという。紀元62年に大地震がありポンペイは大被害を蒙ったが人々の努力で立ち直ろうとしていた。その矢先、79824日に突然ヴェスヴィオ火山が噴火した。3日間続いた噴火によって6mもの火山灰の下に埋もれてしまったのだという。 

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入り口を通り抜けると、右手に大きな建物の遺物が建っていた。更に行くと前方に白い雲が浮かんだヴェスヴィオ火山が聳え手前に遺跡があった。曲がった道を降りると検札所があった。その後やや上りになって、トンネルをくぐると、道は両脇が20cmほど高くなって、幅30cmぐらいの歩道となっており、その間が車道で、丸い踏み石が飛びとびに置かれているところがあった。車道は雨のときの水路としても使われたそうである。

左手に円柱の立ったアポロ神殿があり、太陽神アポロ像が右手、左手に月の女神ダイアナの像が立っている。

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次は、公共広場で正面にジュピター神殿があり、ローマ時代に立てられた白い二層式の円柱が残っている。マーケットの跡、市役所、裁判所もあった。

Cimg0581 歩いて行くと、左側に壷などの掘り出したものを納めた鉄格子の物置が4つ並んでいた。その中の見ものは、仰向けに寝た姿で亡くなった人、もだえ苦しみながら死んだ犬、しゃがんだまま亡くなった人、うつむいたまま亡くなった人などの石膏像である。これらは1860年に始まった考古学的な発掘のとき、考古学者ジュゼッペ・フィオレッリが考案した堅い火山礫の層にできた生物体腐食後の穴に石膏を流し込む方法で作られたものである。非常にリアルな姿なのでガイドは、「気持ちが悪くなる人は見ないように。」と言った。

 

 Cimg0595 建物や柱の立つ通りを歩いて行く。公衆浴場の跡があり、現在一部をレストランに改装中であった。脱衣場や水浴び場や風呂場などの部屋があった。壁や床の中は空洞が作られスチームが流れて暖房できるように工夫されている。

 

 それから大きな石臼が3つあり炉の跡があるパン工房を見た。石臼は奴隷や動物を使って回したそうである。

井戸の跡も二つ見たが、初めのは後のに比べて、縁の磨り減り方が少ないので人気がなかったことが分かるのだそうだ。

典型的な家の内部が分かる家の建物を見た。中間社会階級の家だというがそれにしてもかなり広壮だと思った。居酒屋の跡も幾つかあった。 

 

 ある家の上部に浮き彫りの男性のシンボルがあった。魔よけと繁栄のシンボルとして使われたものだそうだ。

街の門を出て更に行くと立派な墓が並んでいるところがあった。セボルクリ(墓地)通りと呼ばれる。

 

 Cimg0641 最後に秘儀荘に行った。入り口前の庭に段がいくつかあり、いろいろな花が植えられていた。当時のものを再現してあるのだと言う。

初めに赤茶色の色を使って絵などが描かれた建物があり、床はタイルが貼ってあった。

寝転んだまま亡くなった人をガラスケースに入れて展示している部屋もあった。この部屋で亡くなったのであろうか。

ぶどう酒を造った工房もあった。大きな丸い木で絞った液が壁に沿って流れて行き集められるように工夫されていた。当時のドアの再現した場所もあった。

最後はディオニソス(バッカス神)への入信の様子が描かれた赤いフレスコ壁画のある部屋。等身大の29人の人物が描かれ、左手、正面、右手と入信の秘儀が進む様子が描かれている。

 

 外に出ると売店があり、ポンペイの日本語説明版の本を買わないかと言った。現在の遺跡と想像復元図を対照して見られるように工夫した本で110Eだと言う。多くの人が買っていた。私も買うことにした。後で調べたらDVDも付いていた。

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2009年6月14日 (日)

憧れのイタリア旅行―19 ―

49)カンツオーネを聞きながら夕食

 19時に夕食のレストラン、CASANOVAに着いた。今夜はカンツオーネを聞きながらの食事で飲み物はワインと水が旅行社からのサービスだと言った。広い食堂には他のトラッピッックスツアーも来ていた。

 私たちのテーブルは松阪のご夫婦と植田のご夫婦が一緒だった。後の方は全くワインを飲まれないので飲むのは私一人であった。始め白ワインが1本あるだけだと思っていた。ところがかなり飲んでから赤ワインも一瓶あることに気がついたCimg0503。一人では飲めないので他のテーブルを回った。

 

 料理はサラダ、パスタ、ポークとポテトとトマト、ミニミニケーキ、コーヒーであった。

 

 カンツオーネはテノール歌手とソプラノ歌手の二人が来た。本格的な歌手で、初めにサンタ・ルチア、オーソレミオなどなじみの曲を歌った。女性歌手の方が惹きつけるものを持っていると感じた。

Cimg0506 幾つか歌った後は、ステージに客を引っ張り出して歌うジェスチャーだけをさせて歌は歌手が歌った。前の席にいる人が引っ張り出された。そうやって笑いをとるのだと思った。最後に前の席にいた若いカップルが引き出されて愛の歌で抱擁をさせられた。彼らにはいい思い出になったことであろう。

 

 食べながら話していると、植田から来た人は松栄小学校に通っていたことがわかった。うちの子供たちの先輩というわけだ。

 

 このレストランのトイレは、男性用の朝顔は二つあるのだが紙が貼ってあって使えず、大便用のは便座がなかった。妻に聞くと女性の方も便座が無かったそうだ。

 

 カンツオーネの合間に歌手はCDを売りに来た。15Eだと言った。1時間余り歌を聞いて引き上げた。

50)ホテルはシェラトンFOUR POINTS

Cimg0511 2145分 ローマの宿泊ホテルに着いた。どんなホテルかと思っていたら、シェラトンだった。ロビーはこれまでで一番広くて、BARコーナーがあり、ピアノでポピュラーを演奏していた。まだ新しくてピカピカしている。エレベーターも新しい感じだったが、日本のエレベーターのようなスムースさはなかった。それに2基あるエレベーターの一つが“OUT OF ORDER”と張り紙がしてあった。

部屋は116号室で、キーはICチップ埋め込みなので簡単に操作できた。部屋に入ると、新築のようにきれいな部屋だった。ガラスコップだけでなくティッシュも備えられていた。

51)運転手パウロと話す

 45日 5時に起床。シャワーは大きくて快適であった。早めに下に下りて、ホテルの外に出た。

しばらくすると、日本人がタバコを吸いに出てきたので話しかけた。関西空港からビジネスクラスで行くトラピックスのツアーで来たのだという。キャンペーンで安くなっており40万円ぐらいだとか。フィンランド経由で来たのだそうだ。こちらの方が少し時間が短縮されるようだ。

Cimg0512  話しているところへミラノからの運転手のパウロが大きなスーツケースをひっぱって出てきた。ボンジョルノと挨拶をした。彼は英語が話せるみたいなので英語で話しかけた。

 バスを運転してミラノまで戻るのだと言った。いつもは4時ごろ起きるので大変だが、今日は土曜日で道が空いているのでゆっくり起きられたと言った。「お陰で無事に楽しく旅行が出来ました。有難う。」を言うと、「私は、日本人が好きです。」と言う。

  「どうして?」と聞き返したら、「日本人は、静かで、親切で、きれい好きだから。」と答えた。付け加えて、「イタリアの学生は最低。騒がしい。それ以上に先生がなっとらん。」と言った。そして日本語で「(先生は)バカだ。」と言った。先生の方が騒ぐらしい。パウロの言うとおり、私たちのグループも静かだし、出発時刻を守るし、バスの中をきれいに使うし、優等生だ。パウロの英語は上手でこんなことなら旅行中もっと話せばよかったと後悔をした。

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2009年6月13日 (土)

憧れのイタリア旅行―⑱―

46)ローマ三越

 Cimg0467_2 1645分頃トイレ休憩でローマ三越に行った。細長い店で地階と1階があった。1階はブランド、地階には土産物好適品を売っていた。休憩所もあり、水がサービスで飲めるようになっていた。トイレはさすがにきれいであった。休憩所の手前の壁に何と真実の口のレプリカがあった。

外に出て広場や地下鉄駅などを見ていたら、「Do you speak English?」と声を掛けられた。年配の女性がパンフレットをくれて「あそCimg0468この教会で無料で勉強会をしているから招待します。」と言った。私は、旅行者で時間がないと断った。

47)トレビの泉

 Cimg0473 1710分にバスに乗りトレビの泉に行った。17時半に着いた。1453年教皇ニコラウス5世により古代ローマの水道の処女の泉を蘇らせた。18世紀に建築家ニコラ・サルヴィによって現在の姿にデザインされた。この彫刻は素晴らしい。

 「トレビの泉では後ろ向きになって右手にコインを持ち、左の肩越しに投げると願い事が叶います。世界中何処の国のコインでも大丈夫です。一つ投げるとまたローマに来られます。二回投げると恋人が出来ます。3回投げ入れると恋人と別れられます。ここに来ると誰でも必ずコインを投げます。でも財布を出すとき気をつけないとスリが狙っています。」とガイドが説明した。

辺りは人で埋まっていたが、泉の傍は人が入れ替わってスペースができるので下りて行った。私は五円玉を一回投げて写真を撮ってもらった。妻は2回投げたそうだが二回目はポケットに残っていたそうだ。私とは別れられない。Cimg0471

他の人の写真を撮ってあげているときれいな若い西洋の女の人が「シャッターを押してください。」と言った。何処から来たのか聞いたら、ブラジルからだと言った。私は、何人かブラジルの人を知っていると話した。

48)スペイン階段

Cimg0480  15分ぐらいでトレビの泉を後にしてスペイン広場へ移動した。スペイン広場にはローマの休日で有名になった階段がある。スペイン階段の前に伸びる通りは高級ブランドの店が並ぶという。でも、私には縁が無いので行かなかった。ガイドが、広場を歩くときにはくれぐれもスリに気をつけるように言ったので、キョロキョロしながら歩いた。広場にはいろいろな国の人々が来ていた。

スペイン階段で拍手と歓声が起こった。見ると結婚衣装を着たカップルがキスをしているところであった。上にある教会で結婚したばかりかもしれない。

その後スペイン階段に上がり腰を下ろしてのんびりと辺りを眺めた。東浦のご夫婦を見かけたのでシャッターを押してもらおうと呼んだ。一緒に坐ってしばらく眺めた。この階段は、1723年に建築家のフランチェスコ・ディ・サンクティスによって建設された。

 

Cimg0492  スペイン広場の上の教会の下で集合することになっていたので遅れないように上っていった。4人組の女性がアイスクリームを食べながら階段を上っていた。妻が、「あの人たちはよくアイスクリームを見つけるね。」と羨ましそうに言った。

  「バスに乗るところは駐停車車禁止なのでバスが来たらすぐに乗ってください。」と添乗員が言った。素早くバスに乗って1840分バスは走り出した。これでローマの観光は終わりである。僅か半日では物足りない気がした。バスはアパートが続く中を走った。本当にアパートばかりだ。

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2009年6月12日 (金)

憧れのイタリア旅行―⑰―

43)ヴァチカン市国へ

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ヴァチカン市国へ行く途中ジャニコロの丘を通った。木立のある素敵な丘だ。ヴァチカンのガイドは森山さんという日本人女性だった。バスが進むとサン・ピエトロ寺院のドームが見えてきた。バスは屋内の駐車場に入った。そこから歩いて動く歩道を通って、ヴァチカン市国へ行った。

ヴァチCimg0375カン市国1929年に創られた世界で一番小さい独立国だが国境は単なる目印だけだ。面積44hr、人口500人だそうだ。

すぐにサン・ピエトロ広場に入る。広場の向こうには大聖堂や法王庁の建物が見え大勢の観光客が列を作っていた。Cimg0371

ガイドが「後で時間を上げますから、速く列の後についてください。前に詰めて他の人を入れないように。」と言った。でも、学生の集団が割り込んできた。「負けちゃ駄目よ。」とガイドが叫んだ。

ガイドによると今日は昼時で列が短いのでラッキーなのだそうだ。前のグループの可愛い若い女の子に「何処から来たの?学生さん?」と聞いたら、「イギリスから来ました。私は先生です。」と言ったのでびっくりした。「学生かと思った。」と言ったら笑っていた。学生を連れて修学旅行に来たのだ。ヨーロッパでは、今学生たちの旅行シーズンのだとガイドが言った。

44)サン・ピエトロ大聖堂と広場

  大聖堂に入るときに、ベルトも上着も帽子もはずしてトレイに載せて身体チェックをされた。面倒だが仕方がない。

 

 Cimg0398 大聖堂内は撮影が出来るので、次々に写真を撮った。さすがに世界最大の聖堂だけあって壮大だ。16世紀末に作られた貴重なモザイク画があちらこちらにある。巨大なドームのところはクーポラと呼ばれ、その真下に1633年に製作された大天蓋がある。見学は一周して出口に出るようになっている。

 

 サン・ピエトロ広場には真ん中にエジプトから西暦40年に運ばれた高さ25.5mのオベリスクがある。その半円周囲に284本のドリス式円柱2列に並ぶ回廊がある。これは楕円なのでその中心に立つと柱が重なって一列に見えるようになっている。回廊の上には140体もの聖人の像が置かれている。聖堂の前には、法王が儀式を執り行う場所がある。Cimg0405

45)テヴェレ川、コロッセオなど

 

 1512分、ヴァチカンを見た後、バスで市内の一部を見て回った。テヴェレ川にあるテヴェリーナ島には古くから病院が建っている。真実の口は下車が出来ないので前を通っただけで格子の向こうにそれらしい物があった。

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パラティーノの丘の宮殿戦車競技場水道橋の残骸などを見ながらコロッセオに行った。コロッセオは西暦72年に着工し、80年に完成した闘技場で皇帝ティトウスが連れ帰った4万人の奴隷を使って完成した。

6万人を収容するコロッセオでは捕虜となった兵士が剣闘士として互に、または猛獣を相手に闘った。負けると観客に命乞いをし、右手の親指を下に向けられると「死」を命じられたという。奴隷の中には自由を得るために剣闘士になる者も多かったそうだ。コロッセオは残念ながら中には入らなかった。

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2009年6月11日 (木)

憧れのイタリア旅行―⑯―

40)イタリアの教育システム

イタリアでは、16歳になるまでは就学義務があるそうだ。ところが、小学校5年、中学校3年で14歳になるので、残りの2年間はどこかの学校に入らなければならないのだという。高校が34年、大学が45年、他に専門学校があるそうだ。運転手のパウロの娘さんは専門学校に行っているそうだ。

41)ローマに入るCimg0361

1140分頃にチェックポイントに到着した。ローマに入るために金を納めるのだ。ここのチェックポイントは何故かAurallia駅のホームの前にあった。列車が停まっていたが自由に乗れる。

トイレに行きたい人がいたが、2箇所あるトイレはいずれもロックされていて使用できなかった。この辺も日本とは大違いだ。トイレの外壁は落書きで埋め尽くされていたが、この後どこに行っても、バスの窓から見る全ての建造物にも落書きがあった。日本でも商店街の落書きが問題になっているが、その発祥の地はイタリアであろうか?

いよいよローマに入る。天気は幸いなことに良くなってきた。市内に近づくにつれ57階建てのアパートが目につく。どのアパートにも窓のところに手すりや飾り手すりがついている。中には花の鉢をつけてあるのもある。だが、洗濯物は見ない。前にも書いたが、ローマではアパートに住むのだ。

42)昼食は大きなピザ

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まず、CAMINETTOというレストランに行って昼食だ。大きいレストランで地下の食堂に下りていった。照明が暗くしてある。入り口の脇にピザを焼く釜があって職人が仕事をしていた。注文を受けてから焼くのだという。

Cimg0369 メインはカプレーテという直径30cm余りもある大きなピザだ。前菜はトマトサラダ。それにカステラのようなデザート。生ビールの小ジョッキが3Eで、エスプレッソが2.5Eであった。

松浦さんと加藤さん夫妻、そして夫人の妹と同じテーブルになった。ピザは大きいが薄いので食べきることができた。大変よい味であった。

妻はチーズが嫌いなので殆ど食べなかった。加藤さんは、上の具だけを食べていた。奥さんの方がよく食べた。加藤さんたちは、定年後はご夫婦であちらこちら外国旅行をしてこられたそうだ。妹さんはご主人が亡くなったので一緒に来たのだという。松浦さんは美術館や博物館を見るのが好きだと話していた。

このレストランのトイレは2箇所あって、大便器しかないのだが、便座がなくなっていた。

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2009年6月10日 (水)

憧れのイタリア旅行―⑮―

37)夕食と留学生

 

 こCimg0344の夜の食事は、皮革店のすぐ近くのFANTASIAというレストランで摂った。若いカップル、松阪のご夫婦と一緒のテーブルになった。柔らかいビーフにソースをかけたもの、マッシュポテト、パスタ、デザートで、ビーフとマッシュポテトがいい味であった。720mlワインを6Eで飲んだ。妻は、コーヒーで2.5E

 

 このレストラン、味はよかったのだが、隣の部屋が大変騒々しい。覗いて見ると大勢の学生がパーティをやっていた。聞いてみると、誕生日の祝いをしているのだと言う。Cimg0345

 しばらくすると、加藤さんの奥さんも覗きに来て何やら言っている。言葉が通じないので、何を聞きたいのかと聞いたら、どこからきたのか知りたいという。傍の美人の学生に聞いたら、ベルギーからだと言った。みなそうかと聞くので、学生に聞いたら、いろいろな国から来ている留学生だということであった。加藤夫人はいつも好奇心が一杯で素晴らしいと思った。

その後、隣の部屋の向こうにあるトイレに行った帰りにさっきの学生たちの処に行き、ストローや安全ピンやリング・ロープの手品を見せた。みんなが集まってきて喜んで見てくれた。

 

 レストランを出るとバスのところまで歩いて行った。1953分にバスが動き出し、フィレンツェを後にした。その頃には雨が上がっていた。この夜も昨日と同じホテルであった。部屋に入るとき鍵がうまく使えるか心配だった。最初妻が試して失敗したが私は成功した。

38)ドアをノックする男

  四月四日、450分に起きてしまった。他の部屋も起きているようであった。630分にモーニング・コールがあったが、しばらくするとドアをノックする音がして、男の声で「Morning callGood Morning!」と言った。怪しいと想ってドアは開けなかった。各部屋を回っているらしかった。後で今村さんに話したら、「モーニングコールがうまく出来なかった部屋があったので確認のために回っていたのでしょう。」と言った。

 朝は、今日は7時からで昨日と同じものであった。

39)Cimg0352高速道路から見るイタリアの美しい国土

 

 82分、予定通りバスはホテルを後にした。空は曇っていた。今日はローマまで約280kmも走るのだ。

高速道路の沿線の景色はミラノからフィレンツェまでも素晴らしかった。ミラノからヴェネツィア辺りまでは北海道のような風景で、その後も山並みを望みながら美しい風景の中を走った。どこへいっても若緑の木々、濃い緑の常緑樹、そして緑の、多分麦畑、赤瓦に黄土色の壁の家。 

プラトー辺りはトスカーナ地方で、受胎告知などルネッサンス絵画に描かれている糸杉が特徴である。そこかしこに糸杉があって濃い緑のアクセントをつけている。ローマまでなだらかな丘の間を走ったが、ゴルフ場のような緑のフィールド、赤屋根に黄土色のレンガの家、教会の尖塔・・・果樹園など心が癒されるような風景が続いた。ただ、曇っているのが惜しかった。

1048分、2時間ぐらい走ったPABLOというところでトイレ休憩をした。50cであった。ドライブインなので店の中を見て周り、チョコレートとちょっとしたケーキのような物をそれぞれ5Eで買った。店を出るとき出口と間違えて、うっかりして透明なガラスに頭をぶつけてしまった。

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2009年6月 9日 (火)

憧れのイタリア旅行―⑭―

 

33)ウフィツィ美術館  ※画像をクリックで拡大

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次にしばらく並んでからウフィツィ美術館に入った。世界最大のルネサンス美術の宝庫と言われる。建物は16世紀にコジモ一世の命によりヴァサーリが設計した。ウフィッツィとはオッフィスのことでメディチ家の事務局があったので名づけられた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエロなどの名作が集められている。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」は大きく開いた貝の中からヴィーナスが現れる絵で学校の美術の教科書でもおなじみのものである。

Cimg0325また、先ごろ東京上の美術館で公開されて大騒ぎとなったレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」も目の前でゆっくりと見ることができラッキーであった。他にはミッケランジェロの作品や、ラファエロの青年時代の作品であるやわらかい聖母マリアの絵などもよかった。

その他に、ボッティチェリなど、画家が絵の中に自分を潜ませたり、有力者を描いていたりすることがあるということを知り楽しくなった。

 

 この美術館には公開されているだけで2000点もあるそうで、松浦さんは、「せめて一日ゆっくりと見たい。」と言っていた。

Cimg0336 美術館の2階の渡り廊下の窓から、美術館が長方形になっている様子が見られ、向こうに聖堂のドームの上の部分が見える眺めがある。ガイドの説明によると、上野美術館の高階館長はこの眺めがフィレンツェで一番美しいと言ったのだとか。また、アルノ川がきれいに眺められる窓がありフラッシュなしで撮影が許されているということで写真を写した。

34)美術館のトイレの怪

美術館にもトイレは少ない。2階に2人分あるだけなので地下のトイレに行くといいとガイドが言っていた。確かに2階のトイレは行列を作っていた。ところが地下のトイレが分からず1階の出口付近まで来てしまった。係員に聞いてやっと一階出口前の階段を下りて地下に行くことが分かった。階段を下りていったのだが、何とトイレはずっとずっと先でとても不便な場所にあった。

行って見ると、男性用には大便所が6箇所あるだけである。手前の3箇所の前で並んだのだが、いつまでたってもどれからも人が出てこない。ロックされたままである。奥の3箇所は順番に空くので、痺れを切らしてみなそちらにかわって行った。私もそちらにした。いったい手前の3箇所はどうなっていたのだろう。

35)雨の中ヴェッキオ橋へ

  Cimg0334_2美術館にいる間はやんでいた雨が皮肉なことに外に出るとまた強く降りだした。雨の中をヴェッキオ橋まで歩く。天気がよければ楽しいだろうがただ下を向いて歩くのみだ。ヴェッキオ橋には店が並んでいる。中央まで歩いて来ると川からの風が強くて傘を吹き飛ばされそうになる。景色を見るどころではない。そうそうに退散することにした。ガイドの後について歩いてサンタ・クローチェ広場に出た。

36)皮革製品店へ

1730分頃、サンタ・クローチェ教会の傍にある皮革製品の店に入った。説明を聞いてから店の中を見て回ったが、欲しいものはないので外に出てサンタ・クローチェ広場を見に行った。

店の前まで戻ってくると、緑のキャップを被った人たちがいたので、声をかけた。福島県の磐木から来たのだという。マルトというスーパーのポイントを貯めた人たちのツアーだそうだ。JTBと共同で組んでいるのだが、何もかもいれて22万円ぐらいだとか。それでマルトのツアーは大変に人気があるのだそうだ。毎年参加していると言っていた。この日が最終の夜で社長夫妻も参加して無料の宴会があるのだという。何とも羨ましいツアーだ。

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2009年6月 8日 (月)

憧れのイタリア旅行―⑬―

29)斜塔に上る  ※画像をクリックで拡大

Cimg0252 荷物を預けるところに行き預けた後、斜塔の入り口の前で1020分を待った。定刻に切符が切られて上り始めた。大理石の螺旋階段になっていて狭くてかなりきつい。293段あるという階段は磨り減って丸くなっていた。一階上がるごとに小さい窓があった。5階辺りで一度外に出て待つように言われた。上から降りてくる人たちを通すためだった。最上階の下の階には鐘が4つ吊り下げられていた。Cimg0254

さらに一階上り展望台に出た。快晴で眺めは抜群で、ピサの町並みが一望できた。茶色がかった赤い屋根、黄土色の壁の家々が眼下にびっしりと並んでいた。遠くには山並みが望見された。また、下には聖堂と洗礼塔のドームなどが間近にあった。上って本当によかったと思った。

有料トイレは、50c。Cimg0255

30)フィレンツェへ

1243分、バスはピサを出発した。ピサを離れるときにはまだ快晴であったが、バスがフィレンツェに向けて進むに連れて、次第に空が曇り始めて、ピサからフィレンツェまで午前とは打って変わった暗い景色を眺めながら行くことになった。フィレンツェに入る頃にはとうとう小雨が窓を打つようになった。

 

 Cimg0294 136分頃、丘の上にあるミケランジェロ広場に到着した。広場の真ん中に石を持つダヴィテのレプリカの青銅の像が建っていた。フィレンツェは盆地の中にある。丘からは眼下にアルノ川が流れているのが見え、その向こうに赤瓦で黄土色の家で埋まった街が見られた。遠くには山並みが望まれた。

 折角のすばらしい眺めなのに天気が悪いのでよい写真が撮れなくてがっかりした。雨が降り出したので店をたたみだしたところもあった。一軒の店で傘の無い人たちはフィレンツェの絵の入った折りたたみの傘を買った。Cimg0302

31)中華料理の昼食

 1340分頃に、昼食の場所PEKING(北京)へ行った。トイレは地下に一つずつしかなかった。テーブルとテーブルがくっつくような窮屈なレストランであった。他にもトラピックスのグループが来ていた。東浦から来たご夫婦や松浦さんや他の人と一緒になった。コーンスープ、春雨、チャーハン、マーボ豆腐、空揚げ、青野菜の炒め、豚とピーマンなどの炒めなどがあった。チャーハンとスープと野菜炒めが好評であった。

32)サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、シニョリーア広場など

 このレストランでガイドの山崎さんと出合った。外に出ると雨が降っていた。傍に店があり傘を売っていたので欲しい人は買うようにと言われた。フィレンツェは歩いてまわらなければならないので雨には困った。

 Cimg0305 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会15世紀後半にアルベッティによるもの。大理石で造られ、幾何学的模様が美しい。中にも入った。ドームの高い天井には絵がぎっしりと描かれ、ルネッサンス式の、ステンドグラスではない明り取りの工夫がされている。

 

 向かいの建物の金で12の絵が描かれた扉を見た後、シニョリーア広場に行った。雨を避けられる場所があり、そこから眺めた。ヴェッキオ宮殿の前にある広場で、13世紀~14世紀、中世の政治の中心であった。コジモ一世、ミケランジェロのダヴィテ像のコピーなどたくさんの彫刻が建っていて、野外美術館のようになっている。

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2009年6月 7日 (日)

憧れのイタリア旅行―⑫―

26)プラトーの朝

 520分に起床。この夜は一番よく眠れた。トイレに行くと黒い便が出た。考えたら昨日食べたイカ墨だと分かった。毎朝、シャワーを浴び洗髪をするのだが、この朝は初めに茶色い水が出た。朝食は、645分からなので少し早めに部屋を出た。

フロントに男のレセプショニストがいたのでマジックを見せた。喜んでいた。45分になったのでレストランが開いた。部屋などはよくないが、朝食はこれまでのホテルより品数が多かった。ハム、チーズ、クロワッサン、ケーキ、ヨーグルド、缶詰の桃と洋梨を食べた。

食事のとき、一緒のテーブルの人たちがこのホテルは最悪だとこぼしていた。こんな所に2連泊は嫌だとも言っていた。同感である。

ある人は、「JTBの方が土産物店に行く回数が少ない。」と話した。私は、JTBは使ったことが無いので分からない。トラピックスは安い分土産物店に連れて行きキャッシュバックを得ているのだろう。

 745分頃、部屋に帰るときにまたエレベーターのドアが閉まらなかった。駄目なのでみなは歩いて戻った。

27)PISAへ

 84分にCimg0228予定通り出発した。この日は、右側の2列目の席になった。PISAに向かう途中、稲沢のような植木の栽培地が続いた。空は快晴であった。遠くに山並みが見えた。

 

 バスの中で今村さんが、「ピサの斜塔に上りたい人はどのくらいいますか?」と予備調査をした。私は、15Eも要るので、「上る価値がありますか?」と尋ねたら、「人によってそれぞれでしょう。」と返ってきた。その時点では上るかどうか決めかねていた。

Cimg0229 イタリアは各都市にチェックポイントがあり通行料をとられる。ピサには駐車場が無いので離れたところに60E払ってバスが駐車し、客はバスをおりてシャトルバスで斜塔まで運んでもらうのだ。2両連結のバスに乗った。急な坂を上がるときバスはあえいでいた。バスを降りて歩いて行くと、斜塔までの途中にはいろいろな露店が並んでいた。他にアフリカから来た黒い人たちが民芸品やカバンを広げて売っていた。

28)PISAの斜塔と周辺の建物

Cimg0237 ピサの斜塔は、城壁に囲まれた中にある。門を入ると前方に斜塔と丸い屋根の洗礼塔が目に入った。快晴の空を背景に、斜塔は右に傾いている。いろいろな角度から写真を撮った。

今村さんが、「ピサの斜塔に上れるのは20名しか空いて無いと聞いたので急いでください。」と言って速足で歩いてチケット売り場に向かった。行ってみると30名余り大丈夫だという。「今日は早く来たからラッキーだった。みんな上れますよ。」と今村さんが言った。

私は上らないつもりだったが、天気がよいし、2度と来られないから上ることにした。15E(約2400円)だった。斜塔に上るのは1回に上れる人数と時刻が決まっていて、我々は1020分からだった。

Cimg0241 英語ガイドのミルザさんがやってきた。その後について回った。斜塔は高さ約55m、1173年に着工したが、3階を工事するときに地盤沈下が起きて工事を中断。そのあと塔の中心軸をずらしながら工事を続けた。北側と南側では70cmほどの差がある。傾きが酷くなったので上ることが禁止されていたが、修理をして上れるようになった。世界遺産に指定されている。

他に、白いドゥオモ(大聖堂)。逆U型の窓がロマネスク様式を表しているのだという。ロマネスク様式の代表建築である。白い洗礼塔は、名彫刻家のニコラ・ピサーノとジョバンニ・ピサーノ親子が設計し数百年かけて建築された。

ドゥオモを見たとき少し右に傾いているのではないか?と思った。ガイドに確かめると、「地盤沈下のために約54cm右に傾いています。」と言った。妻は、「私にはわからない。」と言っていた。

 カンポサントという直方体の建物は715世紀の貴族の墓所である。離れたところにあるレンガの建物は病院だそうだ。ミルザさんの英語を傍で聞いたが分からない部分があった。

  今村さんは上手に意訳していた。事前に知識を持っていたから聞き取れたのか、それとも英語の能力が高いからなのかと思った。今村さんに「ミルザさんの英語を前にも聞いたことがあるの?」と尋ねたら、「初めてです。」と言った。やはり英語の能力が高いのだと思った。

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2009年6月 6日 (土)

憧れのイタリア旅行―⑪―

22)ヴェネツィア+α ※画像をクリックで拡大

 

  1525分にバスが出発した。今夜の宿泊地のプラトーへ向かう。

Cimg0163 ヴェネツィアには120ほどの島があるそうだ。「農民だったヴェネツィア人が6世紀末に干潟に移住してから漁業で生活。塩や海産物の取引で徐々に財力を蓄え、11世紀末からの十字軍で地中海に勢力を伸ばし始めた。14世紀末にはジェノバに勝って、東方貿易を独占。莫大な富を手に入れた。15世紀には経済力、軍事力でヨーロッパ最強となった。しかし、16世紀には力が弱くなり、1797年のナポレオンの入場により幕を閉じた。

 

 17世紀頃から祝祭都市的な要素を強め、オペラが上演され、社交場では仮面をつけ身分を隠した人々が賭博や遊興を繰り広げた。その後も自由な雰囲気を慕って各地から芸術家や文化人が集まり、世界的な観光地となった。」(昭文社 イタリア)

 

 道理でどこへ行っても、仮面をお土産として売っているわけだ。

23)べら棒に高い店フェラーラ

 Cimg0173 1535分にフェラーラという店でトイレ休憩。この店は、日本人スタッフばかりで、試飲、試食をやりアッピールしていた。ところが商品は高かった。でも、妻が試食した香草のペーストを買いたいというので、娘にあげる分と2個買ったが、18.5Eもした。(これと同じものは他で4.9E、ローマ空港の免税店でも5.5Eで売っていた)250g入りのパスタを5E4袋買ったが、これも他の店で500g入りを3Eで売っていた。

 余りに高いので後で添乗員に「あんな高い店に連れて行くな。」と抗議をした。今村さんは、「高いかもしれないと言ったはずですが・・・」と言い訳をした。こんなべらぼうに高い店は許せないと思った。これを書いている今も腹が立っている。

24)夕食のレストラン

 

 Cimg0223 16時に店を出発した。途中眠くなったので眠った。1850分に夕食のレストランILPO220に着いた。店の看板にはDELTASOUND PISOTRO PIAZZA RESTORANTIと書いてあった。ラザニア、ポーク、デザートのスポンジケーキを食べた。イタリアビールは大瓶で5Eだった。ラザニアは量は少なかったが味はよかった。若いカップルの鈴木さんと他のご夫婦と一緒のテーブルで、鈴木さんは料理に興味があってそれだけを記録しているのだと言っていた。ラザニアがおいしいと言っていた。

Cimg022425)最低のプラトー、PALACEホテル

 202分にレストランを出発して20時半にプラトーにあるPALACEホテルに着いた。

 部屋は424号。エレベーターが狭い上にドアがうまく閉まらない。部屋のドアにカードキーを入れて開けようとしたが開かない。溝に当てて上から下に滑らせるのだが、速くやっても遅くやっても開かない。ニューヨークの地下鉄の改札を思い出して不吉な感じがした。妻が代わってやったら奇跡的に開いた。隣の部屋の安藤さんたちはまだ開かないと言って嘆いていた。今村さんが来ていろいろやってやっと開いた。ゆっくりと滑らせればいいのだと分かった。

 部屋は狭くて暗く、しかも暑かった。ベッドも小さかった。洗面器の水を溜めるための操作をするボタンは欠落したまま。私がシャワーを使ったときは湯が出たが、21時ごろ妻が使っていると突然に水も湯も出なくなった。すぐに添乗員に連絡をした。向かいには、関空からJTBできた人がいて部屋から出てきた。話していると、JTBの女性添乗員が来て「給水装置の故障らしいです。」と言った。しばらくしてホテルの従業員が上に行くのが見えた。

 箱の酒を飲んで、22時ごろ床に入った。

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2009年6月 5日 (金)

憧れのイタリア旅行―⑩―

19)イカ墨パスタの昼食  ※画像をクリックで拡大 

   

  集Cimg0218合時刻になったので戻った。広場から運河の方に行ったところにあるNOEMIというレストランに行き昼食を摂った。運河は、ゴンドラで通ったところであった。

 津市から来たご夫婦と松阪市から来たご夫婦と一緒のテーブルになった。両夫婦は家庭菜園を持っておられて野菜は買わなくても済むというので羨ましかった。松阪の方が「うちはどうしてもトマトがうまくできないです。」と言うと、津の人は「私の所はトマトはとてもおいしいのができるんです。」と言っていた。家庭菜園談義に花が咲いていた。Cimg0217

 

  イカ墨パスタ、イカリング、ババロアで水は2Eであった。イカ墨で口や歯が黒くなり「まるで鉄漿やね。」と笑いあった。味はよかった。

20)サン・マルコ寺院

 Cimg0219 13時50分から14時5分までサン・マルコ寺院に入ることが出来た。828年にエジプトのアレキサンドリアから運ばれたサン・マルコの遺体を祀るために造られたものである。もともとはビザンチン様式だが、火災などで手を加えられてロマネスク、ゴシック、ルネッサンス様式も混じった。壁や天井に描かれたビザンチン様式のモザイク画は素敵であった。何でも全体で4トンの金を使ってあるそうだ。でも、大聖堂の中は残念ながら撮影禁止であった。

 サン・マルコ広場には、いろいろな国や民族の人で一杯になるほど数が増していたが、今村さんの話では、今日はまだ少ない方だという。多い日には広場が身動きできCimg0195 ないぐらい埋め尽くされるのだそうだ。さすが大観光地であると感心した。

21)記念の帽子

 1445分に本島の観光を終えてボートで帰途についた。今度は右手にサン・マルコ寺院の屋根などが見られた。見て来た所なのでどれがどれだかよく分かった。ボートを降りる時加藤さんの奥さんが転んだ、ハッとしたが「大丈夫」と言った。元気のいい方だ。

  トイレに行っている間に辺りの店を見て周り、よいキャップが無いか探した。本島では10Eのキャップがここでは5Eだった。店によって違うデザインのものを売っている。

 

 ある店でVENEZZIAのロゴの入った帽子を買おうとしていたら鈴木さんが来たので、被っている帽子を幾らで買ったか聞いたら、ミラノで7Eで買ったそうだ。ここでも帽子を買ったと言った。私は、日本から被ってきた100円の帽子をしまって買った帽子を被った。

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2009年6月 4日 (木)

憧れのイタリア旅行―⑨―

17)ヴェネツィアガラス店 ※画像をクリックで拡大

 

  Cimg0196 アントニオは、しきりにサン・マルコ寺院の内部観覧の時間を気にしていた。結局2時からの観覧時間にすることにして、ヴェネツィアガラスの店、ラグーナ ミラノガラスへ行った。運河の橋を渡り、入り口を入ると、ガラスの実演を見せる炉があり、そこで実演を見た。ガラスを管の先につけて炉で熱し、息を吹き込んで形を作るのだが、さすがに素晴らしい職人技である。

 

  店の展示場でヴェネツィアガラスの説明を聞いた。色は、青、赤、緑の三色が使われ、中でも赤が一番高いのだそうだ。金は、24金が使われるが、まがい物は質の悪い金を使うので剥がれてしまうという。3回、炉で熱するので叩いても割れないぐらい強くなると言ってグラスで机を叩いて見せた。思わず「えっ?」と驚きの声が出てしまった。ガラス製品はどれも美しく、一つぐらい欲しいと思ったが、高くてとても手が出ない。

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トイレに行かなければならないので地下におりた。分かりにくいトイレを探し当てたが、トイレは、大便所が2箇所にあるだけだった。その後の手洗い所の水は足踏み式であったので水の出し方が分からず困っている人もいた。

 

  結局トイレに時間をとられて、ヴェネツィアグラスは殆ど鑑賞できなかった。店の外に出て橋の上で他の人が出てくるのを待った。ため息橋が近くに見えていた。

18)アントニオのお勧め

Cimg0199  再び、サン・マルコ広場の方に戻った。広場には、ところどころに高さ50cmぐらいの台が置いてある。アントニオの説明によると、水位が高くなる季節には歩けないのでこれらの台をつないで歩く道をつくるのだそうだ。「昨年アメリカ人が歩いていて水に落っこちたよ。ざまあ見ろだ。」と言った。アントニオは悉くアメリカの悪口を言う。何でも戦争のときにイタリアがアメリカに空襲をされてめちゃくちゃにされたからだという。私は、日本もアメリカに無差別に爆撃されて田舎の都市まで破壊されたことを思い出していた。彼は、「イタリアと日本が一緒になってアメリカをやっつけよう。」と冗談とも本気ともつかないことを言った。

Cimg0209 アントニオは、時計塔のあるところから入る通りがヴェネツィアの高級ブランド街だと言った。GUCCIの店の前にある小さな店の立ち飲みコーヒーがどれも1Eだがおいしいと勧めた。フローリアンのコーヒーがいい人はそちらをどうぞと言った。また、目の前の時計塔の右のBAR AMERIKANは、コーヒーなどはまずいがアイスクリームだけはお勧めだと言った。

アントニオは、添乗員に昼食を食べたら、2時になるからサン・マルコ寺院の中を見るように強く勧めた。今村さんは、時間を気にしてか渋い顔をした。アントニオとはそこで別れた。

 

その後、自由時間となった。私たちは、お勧めのコーヒー店を探して歩いた。松原さん、鈴木さん、安藤さん?ご夫婦も一緒だった。店がわからなかったので突き当たりの店で聞いたら、まっすぐ戻ったすぐそこだと言った。店はGUCCIの前ではなくもっと手前にあった。GOPPIONという店で気づかずに通り過ぎたのだ。

  入って行くと、カウンターがありウエイトレスが3人いた。頼むと先にお金を払ってレシートを見せるのだそうだ。そういえば今村さんがバスで説明していたっけと思った。1Eを払って、妻はエスプレッソ、私はカプチーノを飲んだが、とてもおいしかった。

  それからアイスクリームを食べようということになり戻った。アントニオお勧めの店でアイスクリームを買った。どれも2Eで、私は、チョコレートのをもらった。この店のアイスクリームはよく売れていて次々に客が来ていた。

  時間があるので、広場沿いの店を見て歩いた。

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2009年6月 3日 (水)

憧れのイタリア旅行―⑧―

15)ゴンドラに乗る ※画像をクリックで拡大

 Cimg0173_2 添乗員の後について海岸に沿って歩いていくのだが、観光客が一杯ではぐれないようについて行くのが大変だった。写真を撮りながら歩いた。天気はよくなり日が差していた。

 

 途中右手に運河がありその上に左右を結ぶ建物があった。左側のド ゥカーレ宮殿から右側の監獄に渡る橋で「ため息橋」と言われる。

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 ゴンドラを降りてから落ち合ったガイドのアントニオの説明では、昔は「Bridge of Death」と呼ばれた。それはこの橋を渡った囚人は2度と戻ることがなかったからだ。ところがイギリスの詩人、バイロンがその言い方はよくないと「Bridge of Sighs」と呼んだのが始まりだという。

 サン・マルコ広場への入り口まで行った。それからゴンドラ乗り場まで行き、ゴンドラに乗った。乗るとき写真屋が写していた。

 

 Cimg0172 ゴンドラには5~6人ずつ乗った。私たちは東浦から来たご夫婦ともう一人と一緒に乗った。前のゴンドラは新しかったが、私たちのゴンドラは少し古かった。

 ゴンドラはサン・マルコの大きな運河をしばらく行き、右に曲がってビルの間の狭い運河に入った。

 水はどぶのような濁った色をしている。両側の建物は下の方が海水で腐っていた。ドアを新しく取り替えたところもあった。水かさが増すときには浸水をするのだろう。大変だなあと思った。水路の深さは2m~3mぐらいだそうだ。

 海の方は潟になっていて深さは15mぐらいだとか。ゴンドラは橋の下をくぐったり、ホテルの横を通ったりしながら20分余り進んだ。TVなどで見たときには一度乗ってみたいと思っていたが、実際に乗ってみるとさほどロマンティックでもなかった。

16)サン・マルコ広場と周辺

Cimg0191 ゴンドラを降りると、再びサン・マルコ広場の入り口まで行った。そこに2本の柱のようなものが立っていた。そこでガイドと落ち合うのだ。

少し時間があったので、添乗員の今村さんが広場を一回りしようと言った。広場にはいろいろな国から来た人が一杯いた。これからどんどん増えるという。

広場の右側には、椅子とテーブルがたくさん置いてあるカフェが2軒あった。右のカフェにはステージがあり、古い映画で馴染みの曲を演奏していた。

左側のカフェはフローリアンと言い、1720年創業の世界最古でヴェネツィア最高級の店で、コーヒーが10Eもするのだそうだ。アメリカ映画「旅情ummertime )」で観光に来たアメリカ女性とイタリア人男性が落ち合うのがここだ。蛇足ながらこの映画はお勧めだ。タイトルの「旅情」も名訳だと言われている。Cimg0188

 

 1013分にガイドのアントニオが来た。彼も日本語が非常にうまい。大阪弁と交えたとジョークをふんだんに入れてみなを笑わせた。サン・マルコ広場は長方形で建物に囲まれている。

一辺には5つの入り口とドームの屋根を持つサン・マルコ寺院があり、入り口の上にモザイク画がある。中には素晴らしいモザイク画の天井などがあるので是非見るように勧めた。

 その隣がトゥカーレ宮殿で、9世紀にヴェネツィアの富の象徴として建てられたが、15世紀ごろゴシックに改装された。共和国時代に総督(アントニオは大統領と言ったが)の邸宅と政庁として使われた。現在は図書館になっている。

 その向かいに高さ96.8mの大鐘楼のある建物がある。ここに登るとヴェネツィアが見渡せるそうで、登った人たちもいた。その他の建物は行政府のあったところだ。

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2009年6月 2日 (火)

憧れのイタリア旅行―⑦―

13)宿泊地ヴェネツィアへ

 Cimg0150 ロマネスク様式の城壁に沿って歩きバスに乗った。1734分に出発。途中一面のブドウ畑や白い花を桜のようにつけた木々を見ながら走った。1853分にCheck Pointで運転手と今村さんが手続きをした。そして1915分に、今夜の宿泊地ヴェネツィアのAntony Mestore到着した。12階の思ったよりきれいなホテルであった。

 

 部屋に入らずにすぐにレストランで夕食を食べた。ツナパスタ、白身魚のフライ、エンドウ、ポテト、デザートで、味はまあまあよかったが、330mlのビールが5Eもしたのでがっくりした。Cimg0147

 

 このホテルもエレベーターが狭い。荷物と2人で満員だ。2030分、3階の部屋に行くと何とスーツケースが二つ置いてあった。見ると鈴木尚と書いてあった。鈴木なのでポーターが間違えて運んだらしい。今村さんを探しに下に下りた。エレベータが開いたらばったりと出合った。彼は、妻が忘れてきたバッグを持って部屋に来るところであった。

 

 向かいの部屋の人が「電気がすぐに消えてしまう。」と言ってきた。調べてみると、部屋のキーを挿しておくことを忘れたらしかった。

  

 シャワーを浴びた後、持参の日本酒でアルコール不足を補った。22時過ぎに就寝。

14)ヴェネツィア本島へ

  Cimg0155 520分に起床。朝食は730分からで遅いので困った。スクランブルエッグ、ハム、黄桃、コーヒー、クロワッサン2種を食べた。部屋に戻ると、745分にモーニングコールがあった。本当は645分にあるべきものがなかったのだ。何といういい加減さか。

 予定通り815分にホテルを出発し、ヴェネツィア本島に向かった。空は曇っていたが雨は大丈夫だろう。本島に渡る長いリベルタ橋は、鉄道と平行に走っCimg0154ていて、時々列車とすれ違った。乗ってみたいと思った。

 本島の玄関であるサンタ・ルチア駅の脇から曲がって船着場まで行った。乗船する前にトイレのある建物があった。1Eだそうだ。他のトイレの2倍だ。桟橋にはたくさんの渡し舟が客を待っていた。沖には大きなフェリーが停泊している。ここはアドリア海だそうだ。

 Cimg0158 モーターボートの一番前部の席に坐った。ボートが進むとしぶきが窓にかかった。ジュデッカ運河の右手にレデントーレ教会のオベリスクのような高い塔が見えてきた。また水上バス乗り場もあった。サン・マルコ運河に入ると左手に多くの建物が見えた。添乗員が、「あれがサン・マルコ寺院の屋根です。」と教えてくれた。なかなかいい景色であった。約30分ほどのクルーズを楽しんで910分に本島桟橋に到着した。

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2009年6月 1日 (月)

憧れのイタリア旅行―⑥―

 

11)ヴェローナへ

Cimg0095  1220分にバスは次の目的地ヴェローナに向かった。ミラノからヴェローナにかけてはまるで北海道を思わせるような平坦で広大な平野の中を走った。景色を見ているうちに眠くなり眠ってしまった。気がつくと今村さんが「そこで事故があったようです。」と指差した。この交通事故のため渋滞があり到着が遅れた。

 

 1520分にサービスエリアのBauli Grillという店でトイレ休憩をした。入り口と出口が別になっているのを知らないで何処に出口があるのか迷った。この店で早くも買い物をしている人がいた。若いカップル(後に新婚さんだと知る)の女性が「Baciというチョコレートがおいしい。」と言って買っていた。

12)世界遺産の街ヴェローナ

 1531分にそこを出発した。ヴェローナに着くと47分に年配の太った女性のガイドがバスに乗り込んできた。

Cimg0098

 ヴェローナは低い堤や城壁に囲まれている。中世の街並みと古代ローマの遺跡の調和が美しく2000年に世界遺産に登録された。ヴェローナの街はアディジェ川が市街をくねって流れている。この川の辺りは丘がありその上に糸杉に囲まれた建物が建っていて大変美しい景色で、ガイドは写真を撮ることを勧めた。

「ヴェローナは古代ローマ時代より交通の要所として栄えてきた。12世紀に都市国家となったが、全盛はスカラ家が支配した1314世紀である。ミラノのスカラ座はこの名前に由来する。その後、ミラノのヴィスコンティ家によりヴェネツィアの支配下に入る。」ガイドのイタリア人、マリア カローミ ジェロナミは日本語がうまくて、とても面白いガイドで、よく冗談を言った。Cimg0101

また、「あれは石とレンガを使って建てられている。金が無かったから。上にMの形の飾りがある。ロマネスク、室町時代、・・・」など日本の時代と結びつけて同じ事を繰り返すので、建物を見てあれは何様式だとすぐに分かるようになった。歩きながら、「この大理石の石の道はローマ時代」などと教えてくれた。曲がり角に、2本の大きなイチョウの木が若緑の葉を繁らせて立っていた。日本から来たものだということであった。

Cimg0130  ロミオの出たモンティッキ家の前を通り、金持ちの家の跡、スカラ家やスカラ家の墓所の教会、昔の市庁舎のある時計塔と広場、ダンテの像のあるダンテ広場、野菜や果物の店がある野菜広場と歩いてジュリエットのカプリティ家に行った。この家の入り口は落書きだらけである。中にはジュリエットの像がありその乳の部分をみんなが触るので光っていた。そして、二階にはロミオが登ったベランダがある。ここはバロック様式だそうで帽子の飾りがあった。

Cimg0136 ヴェローナ銀座?を通って2000年前に建てられたという円形アレーナを見に行った。コロシオを小さくしたようなアレーナの前は広場になっており、隣に今の市庁舎が建っている。有料トイレは50c。アレーナは古代ローマ最大の円形劇場で、1世紀に建てられた。23000人収容でき現在も使われている。7月から9月にかけて野外オペラが催され、世界中から観客が集まるのだという。

せめて中に入れたらと思った。

4人組の女性が、ガイドがおいしいアイスクリームがあると言うので買いに行った。なかなか戻ってこないので今村さんが探しに行ったらアイスクリームをなめながら戻ってきた。ここでガイドとはお別れとなった。

Cimg0114

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