憧れのイタリア旅行―22―
(59)最低のレストラン
15時17分にバスは出発した。行きの高速道路でローマまで帰るのだ。途中17時01分から17時30分までAUTOGRILLというドライブインでトイレ休憩をした。無料であった。この店のパスタやチョコレートは他の店より少し安かった。 18時30分にローマ郊外のPARCO DELLA SELCETTAというレストランに着いた。駐車場が広く、平屋の建物が幾つか並んでいた。 最後のテーブルは、松阪のご夫婦、熱田の加藤さんたち、もう一組のご夫婦と一緒になった。広いレストランで客は我々30人だけなのに、隅っこに椅子を接して身動きならない配置にしてあった。便所に行くにも料理を配るにも大変だった。テーブルの向こうには広いスペースがあるし、その向こうのテーブルはゆったりと配置してあった。更に外が見えるところはもっとゆったりとしていた。私たちは、「料金が安いので差があるのだろう。」と話し合った。 料理は、ジャガイモ、ニンジンなどの野菜スープ、鳥の白い肉と焼いたズッキーニ、デザートはイチゴ半欠けとパイ。ビールは5E。「最後の晩餐にしては寂しいね。」とみんなは言っていた。
(60)最後の夜
19時25分にレストランを出発した。添乗員が「一時間ぐらいかかります。」と言っていたが、15分余りでホテルに着いた。 夜にどこかに出かけられないかホテルのフロントに聞いてもらったが、ローカルにあるのでバスかタクシーで行くしかないということであった。 荷物の整理をして、シャワーを浴び、残っていた2箱の酒を飲んで22時に就床。
(61)朝食の後で手品 4月6日、5時には目が覚めてしまった。今日はゆっくりと出来るが食事は7時からだった。最後のテーブルは、まだ一度も一緒になったことがない4人組の女性に「ご一緒してもいいですか?」と尋ね、「いいですよ。」と言ってもらった。後は、松原さんと鈴木さんと何故か一人になった松阪から来たご主人であった。これまでの旅行の話などと楽しく交わしながら食事をした。
4人組の人たちは、昨夜はロビーのBARで歌を聴いたそうだ。客は4人だけだったので貸しきりみたいでいい気分だったと言う。私もそうすればよかったと思ったことである。 食事の後、時間があるので私はウエストポーチに入れていた手品を取り出して見て貰った。ストロー、安全ピン2種、ロープとリングをやった。 それからもう一つのテーブルに行き、また、「手品を見せましょうか?」と売り込んだ。岡崎の人が、「学生に見せていたので私たちにも見せて欲しいと思っていたわ。」と言った。前のと同じ手品の他に、マッチ箱の手品と矢印の方向を当てる手品を見せた。誰かが「投げ銭がいるね。」と言ったので、「帽子を忘れてきてしまった。」と言った。クイズも出した。「アジが10枚干してありました。そこへ猫が来て3枚くわえて行きました。アジは何枚になったでしょう?」というものだった。植田の奥さんが正解であった。 どちらの席の手品もわが師清水先生譲りのトークを交えて楽しくやった。 (62)ヴィーナス? 10時出発だが、部屋にいるのも窮屈なので9時ごろに部屋を出た。ロビーに行くと、妻は店を見て回った。私は、椅子に坐ろうと思ってふと見ると西洋人の女性と目が合った。どうぞと言う感じであった。 坐ると、「Do you speak English?」と聞いてきた。「Yes」と言うと、英語でしゃべりだした。いろいろと楽しい会話ができた。彼女は、アメリカ人だが、中東に住んでいて、ホリデーで家族と一緒にイタリアに来たのだ。これからフィレンツェ、ヴェネツィアとミラノに行くのだという。 そこへご主人と娘が戻ってきて、紹介してくれた。彼女はDayeal Michelと言った。娘は一目見てハッと感じたほど美人だった。私は、「“ヴィーナスの誕生のヴィーナスそっくりですね。凄く可愛い。」と言った。本当にそっくりであった。写真を撮らせてもらった。 その後、家族が出て行くときに、イタリアで見せるために持ってきていた山崎川の桜の写真を2枚娘にプレゼントしたら喜んでいた。家族はレンタカーでドライブするようであった。
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