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2009年5月10日 (日)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―⑦―

 

16)文法について

文を作るとなると問題は別である。

日本語は、助詞や助動詞の助けを借りて文を作っていくので(膠着語)、語順は必ずしも重要ではない。語順を入れ替えることも可能である。

 

 ところが、中国語ではそうはいかない。品詞によって単語の置かれる場所が決まっている(孤立語)からだ。英語も語順を変えることはできない。英語は語が変化する(屈折言語)。

 

 文を作るには文法が必要だ。ところが外国語を学習するのに文法の勉強は必ずしも必要がないという考え方もあるようだ。

 

 日本では、明治以来外国語を指導する方法として、文法と訳読が重視されてきた。それは最近まで続いた。私が学生時代はまさに文法・訳読法であった。

 

 中学校のとき同志社大学出身の玉置という女性教師が文法を教えてくれたのだが難しくて文法が大嫌いであった。高校に入ると何と彼女も高校に転勤してきてまた文法を担当した。悲劇は続いたのだ。私は訳読も苦手で結局英語は落ちこぼれであった。

 

 英語会話の勉強を始めたら、ダイアローグが中心で取り立てての文法はなかった。英語会話の勉強をすることで自然に英文が書けるようになったし、英字新聞も読めるようになった。だから、文法は中学校で習う程度でもいいのではないかと思う。会話によって使い方を勉強すれば文法が自然に身につくのではないかと思う。

 

 母語話者は生まれてから自然にコトバを覚えて行くのだ。日本語の場合、文法を取り立てて勉強するのは中学一年からである。日本人は、学校の国語の試験で仮に動詞や形容詞の変化で0点をとっても、生活には何の影響もない。日本人なら間違えることなく日本語の会話ができるのだ。

17)聴き取りと発音

音の聴き取りと発音はについてどうか。これはネイティヴの発音を聴いて真似をするしかない。残念ながら日本では先ほども書いたように発音は殆ど無視をされてきた。読めるようになればそれでよしとされたからだ。

 

 だから学校の英語教師でさえ発音はおろか会話のできない人が殆どであった。高校のときに、西村という東大出の先生がいたが、この先生はいつも「私はクイーンズイングリッシュの発音免状を持っています。」と言って自慢していた。それは例外であった。

 

 英語会話番組を聴くようになって、テープに録音をしておいて通勤の自動車の中では必ず聴くようにした。今は、CD,DVD,ICレコーダー、インターネット等さまざまな聴く手段があるのでいい時代になったものだ。電子辞書では、発音もしてくれる。

 日本人が外国語の発音に苦労するのは日本語が特殊な言語で共通する音の数が少ないからであろう。中国語にはf, l ,r, wの音があるから日本人より有利である。

 

 私の場合、英語会話の勉強をしてきたので、中国語の発音にも役立った部分がある。発音については前掲の書には、「発音に興味を持って真似をすること」(p.174)と言っている。

18)生活習慣や発想の違い

外国語を習得する場合、その人の民族や国民性による生活習慣や発想の違いは大きな影響力を持つと考えられる。

その国に行ってその国の人と交わって自然に身につけられれば一番いいのだが、なかなかそうは行かない。日本に来ている外国人でも日本人の習慣を理解しそれに合った日本語を身につけるのは容易ではない。相撲取りの場合は、どっぷりと日本人の中に浸かって起居を共にするから外国人力士の日本語会話は非常にうまいが、一般の人ではそうはいかない。ブラジルの日系二世、三世でも純粋外国人と同じ状態である。

私たちが英語を習得する場合通常は日本にいて学習するので殊更むつかしいのだ。英語の勉強だけでなく文化的背景や生活習慣まで知るといいのだが、ネイティヴと言ってもイギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語・・・・などさまざまなものがあるのでどれを知ればいいのか迷ってしまう。(8)に引用してある川崎さんが、「英語には標準語がない」とうのはこのことか?

ただ、大きく分けて、西洋的と日本的というような大まかな違いを知ることから始めるのもよいであろう。

コトバには文化が色濃く反映されているのだ。

「外国語学習の科学」p.24には、次のような例が紹介されている。

「日本語を学習している外国人が非常に不思議に思うのが、ある種の自動詞です。

 ・お金がかばんに入っている。

 ・財布が見つかった。

 ・ビールは冷えている。

 なぜかと言うと、多くの言語ではこれらの表現は自動詞では表せません。」

私たちが何気なく使っている日本語もそれを学ぶ外国人から見れば“どうして?”というようなことがあるのだ。

その逆も当然ある。

例えば英語の場合、能動形で話されることが多い。ところが日本語では受身表現もよく使われるので受身で英語を話す人がいる。(←この文を英語に翻訳してみるとよいだろう)

また、日本語式に主語や目的語を略して話してしまうこともよくある。が、英語では主語や目的語は必須成分である。

外国語を学ぶことは、その言語を使う人々の文化を学ぶことでもある。私は、日本語を教えるボランティアをしているが、最近は上級コースを受け持っているので、コトバの背景にある日本文化や生活習慣をも話したり、逆に相手の国の文化や生活習慣について聞くことが多い。学習者の国籍が複数の時にはそれぞれの違いが見られて興味深い。そうしたことがお互いの国際理解につながるのだと思っている。

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