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2009年5月14日 (木)

骨抜きになった憲法25条

 憲法25条の第1項:「すべて国民は、健康文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と明記してある。私は、これがある限り大丈夫だと思い込んできた。ところが、5月3日のNHKテレビを見てそうではないことを知った。

 第2項に、「 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と明記してあるにも拘らず、25条は単なる飾りにしか過ぎないのだ。

 だからホームレスが増えても、世界的経済恐慌で職や住居を失う人が出てもその対策らしいものはなされないのだ。

 いったい「健康で文化的な最低限度の生活」とは何だろう?具体的に書いてないので解釈で如何様にもなるのだ。それは第9条と同じで、都合のいいように解釈してそれに沿った施策をするのだ。

 NHKの番組によると、生活保護法には、「厚生労働大臣の裁量により・・・」と書いてありそれによって厚生労働大臣の裁量次第でどのようにでもなるのだという。それに対して1957年ごろに「朝日訴訟」が行われたが、最高裁まで行って訴訟本人が死去したために、結局、高等裁判所の判決のままになってしまった。つまり、厚生労働大臣の裁量権の中にあると言うことが確定したのだという。

 小泉内閣では、自助努力が強調され、社会保障費の削減が行われた。介護保険が実施されて、介護関係の費用が抑えられて介護で働く人々の意欲を失わせたり、介護内容の低下につながったりした。また、セーフティネットもいい加減なまま派遣労働が広がり、1200万人近くのワーキングプアの増加になった。

 この一年間で生活保護を受ける人が増加したが、それでもそれすら受けられないか知らない人が多くいて困窮の生活に喘いでいる。

 憲法25条が単なるコトバの表現で終わってなければ政府はきちんとした対策を高次な蹴らばならないのだが、何もしないで平然としていられるのは骨抜きになったからである。

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庄内緑地公園の池

 

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政治・経済」カテゴリの記事

コメント

憲法9条だけでなく、25条も骨抜きになったことに憤りを感じます。
憲法とは解釈で変わるものではなく厳正な規定であって欲しいと思うのです。

9条と25条が民の安全を守ると思っていますが、健康で文化的な生活とはその時代に寄って違い、許容範囲の広い言葉です。其の時点での適用と言う事なのでしょう。
過激なことを言うと直ぐ社会主義者の烙印を押されると言う事ですが、自由と平等のどちらを取るかと尋ねられ自由をとれば自由主義、平等を取れば社会主義と書いてあるのを読みましたが、私は自由と平等両方を取るでしょう。自由と平等は離せない物だと思います。

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