本山元名古屋市長の死を悼む
本山元名古屋市長が98歳の高齢で亡くなられました。市長を引退されてからも長生きをされたわけである意味では羨ましいと思います。
美濃部さんが東京都知事になり、革新勢力の首長が出た終わり頃に名古屋市民の期待を背負っての市長選立候補でした。
それ以前から名古屋大学教育学部長として教育界、とりわけ民主教育推進に関わってきておられ、そのご活躍を存じておりましたので、私も一生懸命に応援を致しました。
今でも初当選された時のことを覚えております。NHKニュースで本山氏が市長に当選確実と出ると矢も盾もたまらず柳橋にあった選挙事務所に行ったことを思い出します。
そこには当選を喜ぶ草の根の応援者たちが道路に溢れて集まっておりました。名古屋にも革新市政が始まるのだと大きな期待と喜びに震えたものでした。
市長になられたその年の夏に、私が所属する名古屋児童言語研究会は名古屋市公会堂で大きな国語教育研究集会を開きました。丁度私が事務局長をしているときでした。そのときに就任まもなくの本山名古屋市長に教育学者としての講演をお願いしました。ご多忙の中を本山氏は、講演を引き受けてくださいました。
研究会には、全国から確か450名ほどの教員や父母などが集まり、本山氏の講演を聞き、分科会での討論に参加しました。
市長になっても民間の教育研究集会に出てくださるその姿勢に深い感謝の念をいだきました。
その後、大津市で開かれた関西の民間教育連盟の研究集会にも参加されました。そのときにもすぐそばでお話を聞く機会に恵まれました。(以前のblog参照)
市長就任後お住まいを市の所有する家に移されました。我が家から比較的近いのでよくその前を通ることがありました。ごく普通の小さな家で誰もそこが市長のお住まいとは分からないようなたたずまいでした。
秘書が毎日お迎えにくる以外はひっそりとしていて奥様も静かにすごしておられるご様子でした。
市長になったからといって少しも偉ぶらないごく普通の学者といった感じで、民主教育の推進を語られるご様子が印象的でした。
新聞には、誠実な方だと評してありますが、その通りだと思います。市議会で少数勢力の中でお考えになった市政をやるのは大変ご苦労があったと思います。そんな中で敬老パスを実現したり、都市高速道路問題などに取り組まれました。国際センターを作り、退職後は理事長をお務めになりました。
本当は生涯を教育学者として全うされたかったのかも知れませんが運命のいたずらで市長になられたようです。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
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