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2009年5月

2009年5月31日 (日)

憧れのイタリア旅行―⑤―

 

8)ヴィットリオ・エマヌエル2世ガレリア

Cimg0053 歩いて行くと、ヴィットリオギャラリーに出た。1878年に完成したスカラ座広場と結ぶ巨大なアーケードで、道は光を通す屋根で覆われ、東西に伸びて商店街を形成している。中央の十字路の天井はガラスのドームになっていてその下の部分には四大陸を表すフレスコ画が描かれている。その下のタイルの路面にタイルで描かれたオスのヤギか何かの絵があり、睾丸の部分がへこんでいた。その上にかかとを付けて1回転すると願いが叶うのだとか。同行の何人かの人が試していたが、何を願ったのだろうか?そもそもの始まりはどこかの大学生が試験に受かることを願って始め、見事合格したことからだそうだ。

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9)ドゥオモとドゥオモ広場

 Cimg0060 ギャラリーを抜けると、ドゥオモ広場に出た。中央にヴィットリオエマニエル二世の大きな像が建っている。1870年にイタリアを統一した人物だと言う。この広場の見ものは何といっても世界第3の規模を誇るミラノ大聖堂である。ゴシック様式建造物ではイタリア最大のもので152m×82mの広さがある。完成までに500年以上掛かったそうだ。建物を囲むたくさんの尖った135本あるといわれる尖塔と2225体ある彫像が美しい形を作り出している。これは天に近づきたいという気持ちを表したものだという。

 広場を散策した後、聖堂に入った。中は撮影が自由であった。教会の内部はやや暗いがステンドグラスの大きな窓が美しく、荘厳さを醸しだしている。大部分は15c~16cに作られたステンドグラスだという。Cimg0063

 

 中央前部に大きな祭壇がある。キリストを貼り付けにした十字架の聖なる釘が一本納められていると言う。

 堂内右手の天井に小さな丸い明り取りがあり、床には線上に星座の図が描いてある。光が時間と共にその線を辿り時刻を表す日時計になっているのだそうだ。他には、生きて皮をはがれた聖人、殉教者のバルトロメオの生々しい像があった。ガイドが、「着物のように見えるのは剥がれた皮です。見る勇気のある人は後ろに回って見て下さい。もっと凄いですよ。」と言った。

大聖堂の外に出ると、裏側に行った。ガイドが、「ここから見ると一番美しく見られます。写真を撮りたい人は撮るといいですよ。」と言った。みんな記念撮影をしていた。

 

 ガイドたちとは、ここで別れた。

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10)13GUIGUNOレストランで昼食

 

 1140分バスに乗り、昼食のレストランに向かった。12時に13GUIGUNOという変わった名前のRISTRANTE(レストラン)に着いた。

 レストランでの食事はいつも自由に席をとる。たしか春日井からの松浦さん、熊本からの松原さんと一緒になったと思う。お二人とも一人での参加であった。この日の昼食は、黄色く色のついたサフラン米リゾットとミラノ風カツレツでレモンシャーベットのデザートであった。ミラノ風カツレツは薄い牛肉のフライで日本のカツの方がおいしいかなと思った。エスプレッソが2.5Eだった。ただエスプレッソは早く出たのに最後に飲んだので冷えてしまいおいしくはなかった。

 サフラン色のご飯は、昔ミラノでは金持ちは黄金を愛した。それで金箔のご飯を食べたが金の無い人はそれにならって黄色い色をつけたのが始まりだとか。

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2009年5月30日 (土)

憧れのイタリア旅行―④―

 

6)スフォルチェスコ城

 

Cimg0023  ミラノでの最初の観光はスフォルチェスコ城だ。シンボルの大きな時計塔の前に噴水のある場所で現地ガイドと出合った。イタリア人ガイドが付き添っていた。それはイタリアでは、ライセンスを持った公式ガイドでないと案内できないのだそうで、日本語の説明をするガイドのために同行しているのだ。このイタリア人ガイドと英語で話したが、何とフランス語、ドイツ語、英語と4ヶ国語が出来るのだそうだ。でも、この城の説明は日本人ガイドが当たった。

 

 この城は、14世紀に建造された。ルネッサンスの代表的な建物。庭には守護神のアンプロージョの像が建っている。城の内庭の壁にはディスコレティ家の家紋がはめられているが、アルファロメオの紋はこれを左右反対にしたものだと言う。中には堀の跡が残っている。堀には大きな丸い石の砲弾が積んであった。入り口の脇に昔の城の形が図示してあり、現在は正方形だが、函館の五稜郭のように星型の城であったことが分かる。左側の建物にはミラノのマークである赤い十字がつけてあった。この城は今は美術館として使われているそうだ。 壁に昔のミラノ市街を表すレンガ色の石にかかれた図があったが、それで見ると城壁に囲まれたほぼ円形の街であったようだ。

裏に出ると遠くに凱旋門のような平和の門が望まれた。ナポレオンに敬意を表して建てられたが完成したのは彼の失脚後であった。その後イタリア独立のために捧げられた独立平和の象徴となっている。その辺りに広がる木立のある公園は英国式のセンピオーネ公園である。黄や青のパンジーに囲まれて白いチューリップが整然と咲いていた。しばし散策したいと思った。

7)ミラノ・スカラ座

Cimg0049  バスに戻り、ミラノ・スカラ座に行った。ガイドの説明では、ミラノは建物は50%以上が鉄筋建築のビルで比較的に新しいものだという。ミラノはイタリアファッションの発祥地でもある。私はファッションを見る目が無いので道行く人々がファショナブルであるかどうかは分からなかった。また、北のミラノもカメオで有名だそうで、美人のカメオが作られているそうだ。940分から1010分まで、免税店セドラでトイレ休憩を兼ねてショッピングタイムがあった。どの商品も高くて、ただ見て回るだけであった。

 車窓から、ミラノ中央駅を見た。イタリアの鉄道は遅れたり、知らぬ間に発車したりいい加減だとか。

 バスを降りてスカラ座広場まで歩き、スカラ座の外観を眺めた。うっかりすると見落としそうな建物だ。1778年に完成したのだという。イタリアオペラの有名な殿堂であり、かのモーツアルトもここでイタリアオペラを学んだのだ。是非、中に入りオペラを鑑賞したいと思ったことである。その前にミラノ市庁舎が建っていた。バンコイタリアーナは中央銀行か?広場には像が建っていた。

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2009年5月29日 (金)

憧れのイタリア旅行―③―

 

5)イタリア第二日 ミラノ市内観光へ

 

Cimg0024  今日は、41日。早朝から話し声が聞こえる。防音がよくないようだ。430分に起床。いつものようにシャワーを浴びて洗髪をした。朝食は6時半からなので有難い。食堂に行くと既に何人か来ていた。ビュッフェスタイルでリンゴ2種類、オレンジ、ヨーグルド、ハム、クロワッサンなど、シリアルもあった。コーヒー沸かし器には、エスプレッソ、カプチーノ、アメリカン、レギュラーと4種類のコーヒーが選べるようになっていた。

 

 添乗員が、「イタリア人は朝食を食べないか、軽く済ませるので、余り出ませんよ。ハムが出ればいい方です。」と言っていたが、ハムが一種類出たのでいい方なのかと思った。パンを2種類、オレンジ、青リンゴ、ヨーグルト、チーズとコーヒーを取ってきた。ヨーグルトは凄く甘かった。チーズはクリーミーでおいしいので追加をした。王林のような青リンゴは意外にも甘くて、日本のリンゴにないよい香りがした。驚いたのはオレンジで、実が赤っぽくて腐りかけたオレンジのような感じであった。でも食べてみるとなんとも無かった。

 

 バスの座席は、添乗員の今村さんが決めてくれるので安心であった。左側前列から4番目の席であった。809分に予定通り出発。天気は晴れ。運転手は、ローマまでパウロさんだ。現地ガイドは、最初の参観場所で待っているということで、今村さんが話をしてくれた。「お早うございますはボンジョルノ。有難うはグラッツェ、ここは何処ですかはドベ。」と三つばかりイタリア語を教えてくれた。後で分かったのだが、今村さんは、英語はぺらぺらで、イタリア語も多少分かるようだ。

ミラノはイタリア第二の都市で、経済の中心地である。人口は、100万人(ガイドは160万人と言った)だそうだ。今村さんは、道端に見えるBARと書いた建物を指差しながら、「イタリア人は、BARと書いてバールと言うのですが、そこで軽い朝食を摂る人が多いのです。」と説明した。他の車が近寄ったので、運転手のパウロが「マンマミイア!」と言った。今村さんが、「英語では、OH  MY GOD!というようなことで、パウロはよく日本語で『何てこった!』と言いますよ。」と言った。「今、名古屋で劇団四季がマンマミーヤというのをやってますね。」と言った。その後パウロの「何てこった」を時々耳にした。

 

 ミラノにはトラム(市内電車)が走っている。懐かしい感じがした。車の通行量が多い。タクシーは何故か白色で、しかも、カローラぐらいか、ちょっと小さいぐらいだ。プリウスも見かけた。イタリアでは、道端駐車が認められているそうで、どこへ行っても道の両側には車が止めてある。

ローマのガイドの説明で分かったことだが、都市部では、アパートに住むので駐車スペースがなく、道端駐車をするしかないのだそうだ。最近、青い線で区画した有料駐車場所(1時間1E)も作ったという。これだけ車が多くて駐車場がないのでは止めるところを探すのも大変だろうと思った。

ちなみに、日本車はどのくらい走っているのか観察したが、圧倒的にドイツ車が多く、フィアットも少しは見かけた。日本車は少ないようだった。それに自動車はヴィツのような小型車が多く、我が家のRAUMでもイタリアに持って行けば大きい方だと妻と話した。おそらく駐車場事情や車の氾濫のためであろう。それにしても日本で人気がある高級車アルファロメオやランボルギーニフェラーリなどを見かけないのはどうしてだろうと思った。

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2009年5月28日 (木)

憧れのイタリア旅行―②―

4)第一夜 ミラノ宿泊

Cimg0032 1833分、ミラノ(フランス語ではMILANI,イタリア語ではMILANO)空港にランディングした。外は曇りであった。ミラノはイタリア北部なのに空港内は暑く感じた。

預けた荷物を受け取る処で待っていたが、いつまでたっても出てこない。そのうちに誰かから、「ミラノ空港の職員とアリタリア航空の間にいざこざがあってサボタージュをしているらしい。」という情報が伝わってきた。コンベアーが動き出したのが1943分であったが荷物はすぐには現れずボツン、ポツンと出てきて、結局一時間近く待たされた。

2011分にバスは空港を離れた。ドライバーがペットボトルを用意していて、一本1ユーロで売ってくれるということであった。この後、イタリア旅行の終わりまでバスの中で水を買うことになった。

添乗員の今村さんの説明ではペットボトルの水には炭酸水と普通の水があり、普通の水はナチュラーレと書いてあるので気をつけるようにということであった。またホテルの風呂やシャワーの水はFが冷たくてCは熱いことを表すから気をつけるようにという話であった。

実際には、この後、どこのホテルでも蛇口のノブは上に持ち上げる式のもので、左上が湯で、右上が水になっていた。日本のように蛇口をひねる方式のものはどこにも見かけなかった。上から押すやり方とか足踏み式のものもあり、ヴェネツィアガラスの店のトイレやローマの最後のレストランのトイレなどは足踏み式で、水が出なくて困っている人がいた。

 

 2054分に最初の宿泊をするアルガ(ALGA)ホテルに着いた。狭いロビーでバーのテーブルなどに分かれて坐った。カード式の鍵をもらって部屋に向かったが、先ず驚いたのは、エレベーターは2基あったが狭くて二人乗ると満員であった。

 私たちは3階の隅の方の部屋だった。廊下も部屋も強烈な香水の匂いが漂っていて参った。ベッドはエキストラをいれて3つあった。浴室はきれいであったが、カーテンがないのには困った。また、コップもなかった。ビデが付属していたが妻は使い方がわからず、水をとばしてしまった。ビデはその後どこのホテルにもあり、使い方も慣れていった。便をした後お尻を洗うにも便利であった。

 

 シャワーを浴びた後、日本から持ってきた箱の酒を飲んだがなぜか苦く感じた。

 20時にベッドに入った。

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2009年5月27日 (水)

憧れのイタリア旅行―①―

憧れのイタリア旅行

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                              らら

(1)  イタリアへ行きたい

 

 私の友人、知人の多くはイタリアに行った事があり、イタリアはいいと聞いていた。私の中のイタリアは、ルネサンスの本拠地であり、オペラ、カンツォーネ、彫刻、絵画、建築、デザインなど芸術の国のイメージがある。数々の映画も作られてきた。また、ローマカソリックの本山があり、ローマ帝国の遺跡がある。それで是非一度は行って見たいと思い続けてきた。

Cimg0022_2 323日に中川区政70周年の第九コンサートに出て初めて大舞台に立つことになっていたので今年は行けないだろうと諦めていた。2月の下旬に出た「夢のイタリア8日間」というトラピックスの新聞広告を見るとまだ安いのがあったのでて急に行きたくなった。妻に聞くと、「行ってもいい。」と言った。それですぐに電話をした。本当は24日の25名のツアーに参加したかったのだが、電話中に埋まってしまった。31日のツアーならまだ残っているというのでそれに申し込んだ。一人分は229800円だが、諸費用を入れると二人で573090円になった。

 

 出発日の数日前に$の為替レートが大きく下げたときがあったので、栄の三菱UFJへ行ってユーロをとりあえず30000円分買ったら160ユーロであった。レートは15840銭ぐらいだった。

 

 前日の夕方、添乗員の今村さんから電話があった。友達たちからはイタリア旅行はスリや置き引きや強盗が多くて危険だと聞いていたのでその点を確認した。今回のツアーは30名の大きなグループだと言う。スーツケースをバス積み込むときに盗られたケースもあると聞いていたので、くれぐれも気をつけるように頼んだ。

(2)  日本出発

 Cimg0027 中部国際空港には805分までに集合となっていた。朝、雨が降っていたので息子に金山まで送って貰った。国際空港に着くと、すぐに阪急カウンターに行った。添乗員の今村さんが受付をしていた。

 

 JL0437便で、チェックインは個人で済ませた。私は通路側、妻は窓側を頼んだのだが逆になっていた。マイレージカードを持って行ったので登録をしてくれた。

 

 雨はいつの間にかやんで日が差していた。出発は予定では105分だが、15分に動き出した。パリまで12時間30分の空の旅が始まった。妻には今回が初めてのヨーロッパ行きであった。

 イタリアはサマータイムなので時差は7時間だ。時計を現地時間に合わせた。

JL0437は空いている座席がたくさんあった。それで席を替わる人もいた。JALの飲み物サービスはなかなかよかった。サントリーモルツプレミアム、エビスビールプレミアムを飲んだ。飛行中は、主にジャズを聴いていた。シベリアやロシアの上を飛んでいるときに下を見ると所々白い氷か雪が大地にまだら模様の抽象画を描いていた。

(3)  乗り換え

 パリのシャルル・ドゴール空港が近づくと眼下に畑が広がっていた。1538分タイヤが地面にタッチした。

 空港の建物は粗いコンクリート網目の大胆なデザインだ。トランジットの検査は厳しかった。帽子も上着もポケットの中も全てプラスチックケースに入れさせられた。同行の人の中には荷物を開けさせられた人もいたという。

 添乗員が、「夜にお腹がすくかもしれないので何か買いたい人は買っておくといいですよ。」と言ったが何も買わなかった。

イタリアまでは、アリタリア航空であった。飛行機に入ると座席は濃い緑色一色であった。フライトアテンダントに尋ねたら、緑はイタリアのカラーでHOPEと美しい国土を表すのだと言った。来る前日に撮影した山崎川の桜の写真を持ってきていたので見せたらきれいだといっていた。

  1721分テイクオフ。途中、サンドイッチと飲み物のサービスがあったので、イタリアワインを飲んだ。これがこの日の最後の食べ物であった。

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2009年5月26日 (火)

名古屋ドームでセ・パ交流戦を見た

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  知人から名古屋ドームの入場券を頂いたので妻と2人でセ・パ交流戦を見に行ってきた。中日ドラゴンズ対日本ハム戦であった。

 日本ハムと言えば、現在パシフィックリーグの首位で、中日は交流戦には毎年芳しくないから、多分ドラゴンズは勝てないだろうと予想した。

 ただ、ダルビッシュは前日に出たからこの日は他の投手が出るからひょっとしてチャンスがあるかもしれないとも思った。

 ナゴヤドームに入ると、物凄い騒音であった。鼓膜が破れるくらいに感じた。太鼓や鳴り物の音やアナウンスの音や人の話し声やがミックスしての騒音だ。ドームの欠点は音が増幅されることである。その点野外球場は音が拡散するからいい。

 隣の席はMさんだった。岩瀬投手の200セーブ表彰式があり、その後試合が始まった。

 スコアボードのところに大きなスクリーンがあり、そこにピッチャーが投げる様子やバッターが打つ様子が映し出されるのかと思っていたら、投手の紹介と打者の紹介のとき映るだけでがっかりした。

 名古屋ドームに来たのは、私はイチローがいた頃以来であり、妻は初めてなので馴れるのに時間がかかった。

 打球を眼で追っていっても見失ってしまう。投手の球種もわからない。

 そこへ行くとMさんはドームに馴れているし、野球に詳しいので、投手の球種を見分けていろいろ批評していた。

「スライダーをあんなとこで投げたらあかん。」とか「二塁手が今サイン出したよ。それをキャツチャーが見てピッチャーにサインを出すんだ。」とか井端が2塁で荒木がバントをして井端が3塁に走塁ミスをしたときは、ボロクソに批評した。

 4回にMさんが、「ホームランを見たいね。」と言った。ツーアウトの後で打者は4番ブランコであった。途端にブランコがセンターへ大飛球を打ちあげた。バックスクリーンの隣に入った。ホームランだ。まず、1点先制であった。

 最初のうちは、投手の川井は調子がいいと思っていたが、その裏大ピンチを招いた。しかし、何とか切り抜けることができた。

 日本ハムは、ヒットの数でもチャンスの数でも先に作っていたが、すべて潰してしまった。7回に私はトイレに行って戻ってくると、ドラゴンズのピンチになっていた。どうなるかと思ったが、うまくスリーアウトを取った。私は、「私が戻ってきたからよかったのだね。」とジョークを言った。

 ドラゴンズは、8回に中継ぎの河原が好投し、9回表岩瀬が出てきた。私は、「今日表彰されたから案外打たれるかもしれない。」と言った。Mさんは、「もう結果が分かったから帰る。」と言って帰ってしまった。球場のあちらこちらで帰っていく人がたくさん見られた。中日ファンなのか日ハムファンなのか、多分両方であろうと思った。しかし、意外な光景であった。

 岩瀬もランナーを出し、あわやという場面もあったが何とかおさえてセーブ数を増やし表彰に花を添えた。

 バックススリーンに投球や打者の様子を映すといいとつくづく思ったのだが、そうしない理由は何なのであろうか?

 中日球場の時代は、ラジオを持って見に行っていたが、今でもラジオを持っている人もいた。また、テレビ中継がある日は、ワンセグがあればいいだろうと思った。双眼鏡も必需品だと感じた。

 大リーグでは、鳴り物は禁止だが、日本はなぜ鳴り物を許しているのだろうかと思った。

 もう一つ。ビジターの日ハムのユニホームはねずみ色で暗過ぎる。ドームでは選手がはっきりと見えないのだ。もっと明るい色にするとよい。

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2009年5月25日 (月)

草食系男子が増えている?

 先月だったか、NHKの「どうする日本」で「草食系男子」が取り上げられていたように思う。思うというのは、見るともなしに見ていて、そのうちに眠ってしまったからだ。

 民間テレビでも草食系男子のことが話題になっていて、何でも、今年成人した男子の47%は草食系だという調査結果があるらしい。

 そこで草食系とは何だろうと思って調べてみた。どうやら草食系を扱った書籍があるようだ。

 「草食系男子『お嬢マン』が日本を変える」というタイトルの本だ。

 最近雑誌ではセックスレスというコトバをやたら目にするようになったが、草食系もセックスへの興味は低いそうだ。そう言えば、付き合っているときは簡単にホテルに行く若者が多いのに、結婚してしまったら、セックスに興味を失ったという例が多いとも聞く。草食化してしまうのか、もともと草食系なのか?

 いつの頃からか男が美容院に行くようになって久しい。お陰で理容店が上がったりである。男が美容院に行くのはまだよいとして、化粧に関心を持ち男性用化粧品の種類が増え女性のように化粧に時間を費やす男も多いのだとか。化粧品会社の売り上げには寄与していることになる。

 化粧をするくらいだから、ファッションも当然「可愛い志向」でその辺にも女性化?が伺える。

 草食系は、女性とのコミュニケーションが嫌なのではないが恋愛にまでは発展しないのだとか。以前アッシー君とかベンリー君などということが言われたが、それも草食系だったのだろうか。女性に対して、自分から誘ったり、話しかけたりするのが苦手だとも言われる。女性から誘われれば断れない人が多いようだ。今は女性優位と言われるが、女性が強くなったのか男性が弱くなったのか。

 今の20代の若者は車には興味がない人が多いという。経済不況で車を買うどころではないという事情もあるのかもしれないが、そればかりとも言えない様だ。かつては女性を誘う道具として必需品であった車などに興味がないということもあるようだ。ドライブに行くより、家でゲームでもやっていた方がいいらしい。

 貯金をする傾向にあると言われるが、これも経済不況や将来への不安がそうさせていると言えなくもない。おそらくそうしたことが追い討ちをかけているのであろう。従って女性のために金を使うという考えもないそうだ。

 まだまだ草食系の特徴があるようだが、驚いたことに、その上を行くのが、「植物系男子」であるという。」ネットでは植物系男子のことが話題になっている。

 「男女七歳にして席を同じうすべからず」の時代を経験し、小学校卒業までは完全に男女別学であった我々の世代からみると別の意味で信じがたいことだ。我々の親の世代は「亭主関白」が存在した。いい悪いは別にして男臭さがぷんぷんしていた。

 初めて男女共学になった中学一年のときは男女が交流して楽しかったが、2年からはそういうことはなくなった。思春期に入ったからお互いに照れたのかもしれないが、多分戦前の名残が濃く残っていたのだと思う。だから高校時代も女の子と話をする機会は殆どなかった。女の子と話をしようものならすぐにからかわれたものだ。

 付き合うのは男ばかりで、好きな女の子のことを話題にするのが精一杯であった。みんな草食系どころか肉食系そのものであったのだが、それを外に表したり、まして実行するものは限られていた。

 同じ女性と付き合うのは苦手でも、今の草食系とは全く違う事情であったのだ。

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2009年5月24日 (日)

喜べない?「もやし」の売れ行き好調

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22日朝のテレビ愛知「モーニングサテライト」によると、”もやし”の売れ行きが好調だという。

 もやしの値段は、ほぼ横ばいで、今や卵に代わって優等生と言われる。値段が安定しているのは、もやしが工場で生産されているからである。

 主な生産地は栃木県で、そこにある工場の様子がテレビで紹介されていた。初めて知ったのだが、大きな円い水槽のようなところでもやしが育てられている。

 主原料は、大豆だと思っていたが、中国から輸入した緑豆なのだ。

 工場生産だから、温度や肥料を調節して年中生産できる。生産されたもやしは洗浄され、袋に詰められ、出荷されるまですべて自動である。その意味では、清浄野菜と言えるのかもしれない。

 ただ、中国産の緑豆を使用していることだ。豆に化学薬品が残留していてそれがもやしに引き継がれていないのだろうかと心配になった。

 もやしがよく売れているのは、何と言ってもこの経済大不況で大多数の国民が打撃を受け、少しでも食費を安くしたいという願いからだ。

 もやしは栄養価が高く値段が安く一年中供給されるので有難い食品ではある。

 昨今は調理法もいろいろと工夫されているので頻繁にもやしを食卓に上らせることに抵抗はないだろう。

 番組で指摘していたのは、もやしがよく売れることと経済の不況とが関連があるということである。

 前回、長銀破綻などがあった1998年にはやはりもやしがよく売れたそうである。

 もやしが売れることを喜んでいられない複雑な気持ちである。

 それにしても、不況なら不況でそれで儲けられるビジネスが出てくるものだと思った。

もやしのレシピサイト 2箇所

http://www.kikkoman.co.jp/homecook/series/moyashi02.html

http://cookpad.com/category/1287

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2009年5月23日 (土)

庄内緑地公園のカワセミ劇場

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カワセミのオス、野鳥写真家山口氏が3月に撮影。

クリックすると画像が拡大。

 20日朝、野鳥写真家の山口さんから珍しいカンムリカイツブリの求愛ダンスの写真と庄内緑地公園のカワセミの情報がe-mailで送られてきた。

 庄内緑地公園でカワセミが雛を育て始めたというのだ。2週間ほど前に公園に行った時には、カワセミは見られず、居合わせたカメラマンが「誰かがカワセミの巣をいじったのでカワセミがいなくなったみたいだ。」と言っていた。そのときは、3日間通ったのにカワセミは見られず、3日目にはカメラを持った人も1人ぐらいに減っていた。

 念のために山口さんに電話をして確認をした。毎日カワセミの写真を撮りに行っている人のblogを見たから確かだという。それで行ってみようという気になった。

 公園の菖蒲池の方からカワセミに気をつけながら行った。バラ園にはきれいなバラが真っ盛りであった。バラの花の写真を少し撮って、水鳥の池に行った。

 池に着いたのは3時ごろであった。池の周りには、カメラの列が出来ていて、10人ほどの人がいた。

 すぐそばにいた人(後で福島さんということがわかった)に、「カワセミは来ますか。」と聞いたら、「来ますよ。1時間ぐらい前に来ましたよ。」と言った。

 期待が持てるかと思いながら、石に腰かけて本を読み始めた。カワセミ飛んでくれば写真を写す人たちの動きで分かると思ったからだ。

 しばらくすると、福島さんが話しかけてきた。それでカワセミのことなどを話題にして話をした。大きな望遠レンズをつけたカメラを据えていたので、野鳥の写真を撮っているのか尋ねたら、まだ3ヶ月ぐらい前に始めたばかりだということであった。それまでは風景と花を撮っていたのだという。カワセミを見て撮りたくなり、望遠レンズを買ったのだと言った。写真機はそのままなので連写は一秒に3枚だと言った。

 「本当は150万円ほど出して900mmのレンズを買いたいのだけど、これを買ったばかりで女房に言いにくくてね。」

と言っていた。

 30分ぐらい待っていたら、福島さんが「来た。」と言って指差した。見るとカワセミが水から突き出た枯れ木に止まっていた。2,3回水に飛び込み枝に戻ることを繰り返してどこかに飛んでいった。

 カワセミを見ることは出来たが、残念ながら肉眼では小さい姿しか見えなかった。

 福島さんは親切にも自分の双眼鏡を貸してくれた。ニコン製で10倍だそうだ。覗いてみるとカワセミが止まる木がすぐ目の前にあった。

 楽しくなってカワセミが早く来いと思いながら待った。10分ぐらいすると、カワセミが来たと言って指を差した。池の向こうの桜の木に止まったという。双眼鏡で覗いたが使い慣れていないのでうまく見つけられなかった。

 また、5分ぐらいすると、カワセミが前の枯れ木に止まった。今度は双眼鏡で見ることが出来た。茶色の胸毛、青い羽、長いくちばしで水に飛び込むや否やすぐに枝に戻っていた。動作が実に素早い。またどこかに飛んでいってしまった。

 その後5分ぐらいすると、左手の枯れ枝にもやってきた。近くなのでよく見ることができた。誰かがメスだと言った。

 嬉しくなって山口さんに電話をしたが、出なかった。

 カワセミは、5分ぐらい待っていると跳んできて、むかいの桜の木に止まったり、水に飛び込んだりした。

 定例の止まり木になってる正面の木にもやってきた。

 そうこうしていると携帯電話が鳴った。山口さんからだった。カワセミが見られたという間もなくカワセミが飛んできた。「あ、カワセミが来た。」と話した。

 カワセミは、飛んでいったが、話している間にまた飛んできた。それで電話を切った。

 カワセミ狙いのカメラを持った人の数も増えた。

 カワセミが左手の枯れ木に止まったときに、自分のカメラで写した。6枚ぐらいつづけて適当にシャッターを切った。

 双眼鏡で覗いている人が、くちばしの下が黒いのはオスだと教えてくれた。

 私のカメラではうまく写っていないようであったが、家に帰ってパソコンで見るのが楽しみであった。

 また、正面の木に止まって木から離れて飛ぶとき、福島さんのカメラは羽を広げて飛んでいる姿を見事に捉えた。

「いいのが撮れましたね。」

と言うと、嬉しそうであった。

 4時45分までそこにいたが、まるでカワセミ劇場だと思った。カワセミはちょっとじらしながら、飛んで来て、3箇所の止まり木や桜の木に止まったり、水に飛び込んだりしてパフォーマンスを見せてくれた。本当に小さな千両役者だ。

 私はすっかりいい気分になってその場を離れた。きっとドーパミンがドハッと出ているだろうなと思いながら地下鉄に乗った。本を取り出して読む気にもならずカワセミを見た喜びに浸っていいた。

庄内緑地の水鳥池では雛が飛べるようになると親が魚を与えるところが見られるそうだ。楽しみである。

庄内緑地公園の日替わりblogのURL:

 http://torimi-syasin.spaces.live.com/

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2009年5月22日 (金)

アンチエイジング―②―

 

2)老化を遅らせるには

全ての生物において摂取カロリーが少ないほうが寿命が長く、生き生きして元気であることがわかっているという。カロリーが多いと、単に肥満になるだけでなく、酸化ストレスも多くなって老化が進む。

長生きするには、食べるのは昔から言われているように、「腹八分目」にしたほうがよいという。特に炭水化物で腹をいっぱいにしないことが大事だと言う。

食べ物を代謝するときに活性酸素が出る。これがNOに影響を与え病気の原因になるからだ。

抗酸化のためによいと言われる食品として次のものが挙げられている。

ORAC(オーラック:活性酸素吸収能力)の高い食品

◎野菜類→レタス、ブロッコリー、紫キャベツ、たまねぎ、れんこん、なす、しょうが、アボガド、ほうれんそう、

◎豆やナッツ類→黒豆、枝豆、小豆、大豆、ゴマ、へちま、胡桃、ナッツ類、

◎食物製品→豆腐、おから、こんにゃく、豆乳、納豆、そば

◎果物→りんご、いちご、もも、プラム、ベリー類、アメリカンチェリー、ざくろ

◎調味料、嗜好品→味噌、緑茶、赤ワイン、ウコンなど各種スパイス、

    その他→ぶどうの皮、エビやカニやタイの赤い色(アスタキサンチン)、

家森

(

やもり

)

幸男京大名誉教授は、大豆に含まれるイソフラボンについて次のように述べている。(めいらく“百寿”から)

 

 大豆には女性ホルモン・エストロゲンに似た構造をもつイソフラボンが多い大豆を食べる量と尿に排泄されるイソフラボン量は比例する。多い人ほど心筋梗塞になりにくい。女性の心筋梗塞による死亡は男性の3~4割で、これはエストロゲンなど女性ホルモンによるところが大きい。

大豆に多いゲニステインといったイソフラボン成分はエストロゲンとよく似た働きをして、血管を拡張させ、血液が固まり血管が詰まるのを防ぐNO(一酸化窒素)を作らせる。イソフラボンは活性酸素と逆にNOを作るのだ。NOは、血管のめぐりをよくし、心臓病予防や、更年期以後もお肌をきれいにしてくれる。

 

 イソフラボンは女性ホルモンとよく似た働きをして、肌の健康、メタボの予防によい上、男性にとっても前立腺がんの予防の力強い味方である。

私は、20年ほど前からサプルメントとしてビタミンB,C,Eを飲んできた。理由はこれらのビタミンには活性酸素を除去する働きがあると言われるからだ。ビタミンというのは効いているのかどうかは自覚できない。が、風邪をめったに引かないことは確かである。

 最近では、活性酸素除去にビタミンE3000倍も効くといわれているのが、エビやカニの甲羅から抽出したアスタキサンチンである。ただこのサプリメントは高価である。

ニュースによると、甘エビ甲羅はこれまで捨てられていたのが、ちょっとした工夫でおいしく食べられるので加工して売られるようになったそうだ。アスタキサンチンを含んでいるから一挙両得であろう。

お酒を少し嗜む人はよいことがあるという。私も酒を飲むので嬉しい話である。それは酒に強い人にあるアルコール分解酵素は抗酸素酵素なので、そのために酒を飲める人は加齢臭が少ないそうだ。

運動によって健康を維持し老化を遅らせることができる。

抗加齢の運動としては、活性酸素を増やす過激な運動ではなく、5分から10分の運動を何回もするのがよいといわれる。

運動をすることにより、

        筋肉量の増加。

        ミトコンドリアを健康にする遺伝子が活性化。

        男性ホルモンの増加。

という3つのよいことがみられる。

次に男性にとって注目すべきは男性ホルモンと長寿の関係についてである。

男性ホルモンはアンチエイジングには重要である。

男性ホルモンを増やすには、運動やリラックスがだいじである。恋もよい。結婚してしまうとセロトニンという満足ホルモンが出て男性ホルモンが低下するそうだ。ということは男性は絶えず異性を意識して心をときめかしている方がよいということのようだ。

ストレスで男性ホルモンは減少する。がっかりしても叱られても下がるが褒められたり勝ったりすると増えるらしい。

男性ホルモンは判断力、集中力、リスクをとるなどメンタルな部分影響する。ケンブリッジ大学の研究では、成功するトレーダーは男性ホルモンのテストロンが高かったという。

テストステロン値が低い男性は、高い男性よりもメタボのリスクが約3倍高かったという米国の調査もあるそうだ。それは男性ホルモンはNOを供給して動脈硬化を防ぎ、酸化ストレスを下げるが、男性ホルモンが減るとNOもへるのでメタボにつながるのだとう。

興味深いのはEDと酸化ストレスとの関係である。

酸化ストレスが高いとEDの重症度も高い。同時に唾液中のテストステロンは低下する。勃起というのは、NOが作用して平滑筋細胞が緩むことで生じる現象だから、NO減少病の最初の兆候としてEDが現れる。

早朝勃起によってもNO減少病のチェックができる。バイアグラなどPDE5阻害薬は男性ホルモン増強に役立つようだ。

江戸の古川柳

  朝摩羅の立たぬ男に金やるな

  朝摩羅や小便までの命かな

男にとって朝魔羅は生きていることを実感する現象である。

ところで、堀江教授は女性のアンチエイジング薬はまだわかっていないと述べているが、家森教授によると、イソフラボンが有効であるようだ。

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野鳥写真家 山口氏撮影

キビタキ

鶴舞公園(5月はじめ)

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2009年5月21日 (木)

アンチエイジング

 

アンチエイジング

文芸春秋20089月号

    話す人  堀江重郎(帝京大泌尿器科教授)

        聞き手  東嶋和子(とうじまわこ・科学ジャーナリスト)

 古い文芸春秋を借りたら興味深い記事を見つけた。アンチエイジングに関するインタビューである。以下は、それを基にした紹介である。大部分が引用であることを断っておく。

 キーワードは、活性酸素or酸化ストレス)とNO(一酸化窒素)である。 

1)寿命を決める要素

寿命を決めるのはテロメアというもので、「テロメア支配説」と言うのがあることを初めて知った。

老化は遺伝子にプログラムされているという説だそうだ。

染色体の先端にあるテロメアと呼ばれる塩基配列の部分が細胞分裂のたびに短くなる。最後には細胞分裂できなくなるので、テロメアが個体の寿命を規定していると考えられているのだそうだ。人の寿命は120年という説の根拠にもなっているという。

寿命が120年とプログラムされているとすれば120年頃には必ず死ぬことになるわけだ。これまで最高に長生きした人は、フランスの女性で、122歳まで生きたそうだ。

ではなぜ人は120年以前に死んでしまうのか?ガンなどの病気もあるが、老化が進むからである。

老化を早めているのは、「酸化ストレス(フリーラジカル)」だという説が有力なようだ。

大気中の酸素より反応が高い酸素を活性酸素といい、この活性酸素をはじめとするフリーラジカルが細胞をさびさせる。ところが、一方には活性酸素を分解する酵素(SOD:スーパーオキシドジスムターゼ)がある。哺乳類ではこの酵素活性と寿命が比例している。つまり、活性酸素を分解する能力が高い種ほど寿命が長い。

活性酸素が寿命の重要な鍵を握っていることがわかる。

酸化ストレスの原因となるのは、交感神経の持続的な興奮、高血糖、肥満、高血圧、男性ホルモンの減少、紫外線などである。

次に、活性酸素種による酸化ストレスとNOとの関係について述べる。

電子対がついた酸素を活性酸素という。酸素以外にも電子対のついたものがフリーラジカルと総称される。これらはDNAを傷つけたり、エネルギー工場であるミトコンドリアの働きを弱めたりする。その結果細胞の元気がなくなり、血管内皮細胞や神経細胞が傷ついてNO(一酸化窒素)が出なくなってしまう。

 つまり、活性酸素などフリーラジカルの働きである酸化ストレスによりNO

減少したり出なくなったりしてしまうのが問題なのだ。

 

 では、NOはどんなはたらきをするのか。

脳の神経シナプスの興奮伝達を調整し、シナプスの可塑性に関与する。また、循環器系では、血管を広げる、血流を増す、血圧を下げる、動脈硬化を防ぐ。さらに気管を弛緩させる、胃壁を守る、腎臓の利尿活動、腸の運動の調節、陰茎を勃起させるなど広範囲にはたらいているのだ。

この大事なNOが少なくなると老化につながるのである。

高血圧、動脈硬化、糖尿病など生活習慣病、ED,うつ、排尿障害など老化にともなうさまざまな障害や病気の原因となるのだ。

―つづく―

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※画像をクリックすると拡大

 野鳥写真家 山口氏撮影 鶴舞公園のオオルリ

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2009年5月20日 (水)

名古屋にも来るのは時間の問題か、H1N1インフルエンザ

Cimg0014  メキシコで発生した豚インフルエンザが、日本でも広がり始めた。初めは豚インフルエンザと言っていたが最近では言い方が新型インフルエンザに変わったようだ。正式には、H1N1というらしい。オバマ大統領は最初からそう言っていた。

 呼称はともかく、日本には暫く入ってこなかったので安心していた向きもあったようだが、ここに来て一気に広がり始めた。患者数も20日朝現在で196名となり世界でも第4位だとか。こればかりは喜べない数字である。

 どうして神戸や大阪で一気に広がったのかは謎である。感染ルートが分からないだけに不安をかきたてる。

 修学旅行や観光旅行などの自粛が始まり、大阪府では学校も休校に入った。学校の休校はかなり効果的だと専門家は指摘している。しかし、事業所まで休業にするわけにはいかない。

 世界的経済不況の中で更に新型インフルエンザの追い討ちで経済には大きな打撃である。それかあらぬか月曜日の百貨店など小売関係の株価は8%から10%も急落した。

 新型インフルエンザが名古屋に来るのも時間の問題であろう。新聞によるとドラッグストアのマスクはあっという間に売り切れだとか。

 マスクが希少であることは以前に書いた。でも、マスクは意外なところにある。ホームセンターのような店が穴である。

消毒用の製剤も売り切れらしい。我が家ではまだ買ってないので手にはいるかどうか心配である。

 感染者数が時間単位でふえているので、名古屋にインフルエンザが広がるのは時間の問題だと考えている。もし、名古屋にも広がり始めたらどうしたらよいのであろうか。

 みんなはマスクを心配しているようだが、マスクは飛まつを人に飛ばさないためと、相手からの飛まつなどを直接吸い込むのを避ける程度で、ウイルスはどんなマスクでも通ってしまうのだ。

 外出を控えるとか、外出から帰ったらうがいをし、手をしっかりと洗うことが強調されている。しかし、衣服にもウイルスはつくはずだからそれはどうしようもない。

 また、2週間分の食料の備蓄をするように勧められているが、我が家ではまだそこまではしていない。

 今朝のTVニュースによると、通信販売が一気に80%も売り上げを伸ばしたという。なるほど外出を控えて通信販売で食料などを手に入れる道があったのかと膝を打った。

 百貨店やスーパーは客が減少している一方で思わぬところで売り上げを伸ばしているのだ。

 それにしても、何しろ初めてのことなのでいささかの戸惑いがある。それにしても、100年に一度の大不況を経験したり、新型のインフルエンザの流行を体験したり、どういうめぐりあわせなのだろう?

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2009年5月19日 (火)

予想通り吉田茂と鳩山一郎の選択だ

 民主党の代表が鳩山由紀夫氏に決まった。そして小沢一郎氏が選挙担当の代表代行に、岡田氏は幹事長になった。

 事前の大方の予想通り、鳩山氏が代表になったので、吉田茂の孫と鳩山一郎の孫の対決という構図ができあがった。国民の選択としては、どちらに転んでも元有名首相の孫を首相に戴くことにになる。(もちろん他の党に投票することはできるが、首相になる可能性としてはこの2人しかない)

 しかも、前にも指摘したようにどちらも大変な資産家である。鳩山代表は、「麻生さんは高級レストラン派だが、私は居酒屋だ。あくまでも庶民の味方。」と言った。

 言うや易しである。大資産家の首相が庶民の気持ちを理解できるのであろうか?大いに疑問である。

 繰り返すようだが、オバマ大統領はケニアにつながり、庶民からのたたき上げである。ミシェル夫人は奴隷の先祖を持つ。庶民の心を多少は理解することができるだろう。

 民主党に望みたいのは、金持ちや大企業サイドに立つ政策ではなく、真に国民のための政策を示して欲しいと言うことだ。しかも、国民が望んでいることは、日本の将来を展望した政策である。自民党、公明党のような選挙目当てのバラマキは要らないのだ。

 さまざまな困難の中でどういう日本にするのか、世界の中でどんな役割を果たして行くのか、そういうビジョンをしっかりと示して欲しい。

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2009年5月18日 (月)

医者にもいろいろだが、ウオーターベッドは気持ちいい!

 2週間ほど前に、庄内緑地公園に行ったとき、入り口の階段を上っていると右の腰に違和感を覚えた。ちょっと捻った感じでぎっくり腰のような感覚であった。

 次の日、顔を洗おうと腰をかがめてお湯を掌にすくい顔に持って行こうとしたが腰の辺りがきくっと痛んでうまくできない。症状が少しひどくなっていたのだ。

 その日から家にあったコルセットをはめて、毎日、インドメタシンの入った塗り薬をすり込んだ。(前の医者でもらったのだが、膝痛によく効く)

 ところが1週間たっても症状が改善しないので、整形外科に行った。この整形外科はいつも大変に混雑をしているので覚悟をして行った。案の定高齢者が一杯いた。

 勤めている頃にはまだ老先生がいたのだが、代が替わっていた。2代目は、私がして行ったコルセットを見るなり、

 「これは治療用のではありませんね。」と言った。その通りで、妻の父親が健康のためにやっていた磁石入りのものであった。

 この医師は大変口数が少なくて、ほとんど説明らしい説明がなかった。

  「体を曲げて。伸ばして。痛みますか?」

 「レントゲンを撮ってきて下さい。」

 レントゲン写真を見て、

 「背骨がだいぶ痛んでいますね。」

 「ヘルニアになりますか?」と聞いたら、

 「年を取ってからはヘルニアにはなりにくいです。歩けなくなるかもしれないが、様子をみましょう。2週間ぐらいで治るでしょう。」

 以前に掛かったことがあるK整形外科の院長は反対に大変説明が行き届いていた。症状や対処法を詳しく説明してくれた。しかし、残念ながら亡くなられた。

 医者によってもいろいろとあるものだと思ったが、患者が多いということはそれなりの評価をされているのだろう。或いは高齢者が多いということは高齢者をひきつける何かがあるのだろう。

 この医院で初めて理学療法を経験した。

 腰を暖めることと電気で刺激をすることだ。電気毛布のようなもので15分暖め、その間に電気刺激を与えるのだ。細いペン先で叩かれているような感じである。

 その後、別の部屋に行ってウオーターベッドというのをやった。これは水が入ったマットの上に仰向けに寝転んでやるのだ。スイッチを入れると、足元からマットの中のバブルが上の方に向かって動き始め、背骨の両側を外向きにマッサージして行く。肩までくると反転して足の方に下がり2往復する。その間たった5分だがとても気持ちがよくて体がリラックスするのでもっとやって欲しいと思った。

 治療用のコルセットを貰ったが、さすがにこれはよく出来ていて好みの強さに腰の締め付け具合を調節できる。昼間だけコルセットをして寝ているときは体によくないのではずすのだそうだ。

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2009年5月17日 (日)

松坂屋美術館で「エッシャー展」を見た

Escher_taki  名古屋の松坂屋美術館で19日まで開催されている「迷宮への招待・エッシャー展」を見てきた。

 エッシャー(1898~1972)はオランダの版画家で、だまし絵(トロンプ・ルイユ)で有名である。

 長崎のハウステンポスが所蔵する世界屈指のエッシャー・コレクションから80点を選んで展示したものだ。

 エッシャーの絵は多分ハウステンポスに行ったときに見たと思うのだが、有名なだまし絵のことは知っていた。その期待で見に行ったのだが、若い頃の版画やだまし絵でない作品もありエッシャーが素晴らしい版画家であったことに驚いた。

 彼は大変緻密な写実的な写真のような絵を描くのだ。若い頃の昆虫の描写とか自画像を見るとそのことがよく分かる。

 自画像はまるでセピア色の写真のようである。

 それだけ素晴らしい描写力を持っているので、それを駆使して白と黒のコントラストだけで表現する版画も精密を極めている。

 もちろん「方形の極限」のような色を使った版画もあるが、私は、白黒だけの版画に眼を奪われた。

 彼の版画はリトグラフに向いているように思うのだが、板目木版も木口木版も素晴らしい。

 その技術を使って上の「滝}とか「上昇と下降」、「物見の塔」などのだまし絵が描かれた。彼は数学的なものに惹かれたようだが、その遊び心が楽しい。

 大人も子どもも楽しめるためか「少年サンデー」の表紙として紹介されたそうだ。

 コンピュータ・グラフィックスのデジタル画像とは違ったアナログ画像のよさを堪能した。

※下記のURLでエッシャーの作品が見られます

 http://www.worldofescher.com/gallery/

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2009年5月16日 (土)

NHK連続TV小説「つばさ」が面白くない訳

 NHKの朝の連続テレビ小説「つばさ」ははっきり言って面白くない。

 先日、新聞に視聴率の高い番組名が載っていたが、その中にもはいっていなかった。よほど人気がないのであろう。(調べてみたら、何とワースト2位だった)

 面白くない理由を次に挙げる。

① 登場人物の設定 

 大変に礼儀正しい、家族にまで敬語を使って話す吉行和子演じるおばあちゃん。明治時代ならいざ知らず今時いるはずもなく、いたら有形文化財だ。

そんなおばあさんから生まれた母親の加乃子(高畑淳子)がハチャメチャの母親である。これもありえない話だ。 

 主役の”つばさ”(多部未華子)は大変まじめな女性で言葉遣いも今時の若者には見られない丁寧さで、家事も一生懸命にやる人物である。母親とは正反対で全く考えられない。それはいいのだが、こんなまじめなやさしい女の子が今時いる?

 母親の元恋人の斉藤興業社長(西城秀樹)というヤクザな人物が簡単に1000万円を貸したりつばさのボディガードになったり狂言回しをしているのも変。

 地域ラジオ放送会社を作った真鍋という男、元高級官僚のレールに乗っていたのをやめたという設定だが、言葉遣いや態度がめちゃめちゃ悪い。

 社員の3人も変なキャラクターばかり。

② 場面と状況の設定

 借金7000万円と言えば大変な金額だが、それを家を売って引っ越したくらいで賄えるなんて可能なの?

 突然ブラジルのサンバティームが現れて踊ったり、ストーカーが現れたり、ヤクザが現れたり、母親が売れ残りの掃除道具を纏って踊ったりと、どたばたも行きすぎが甚だしい。

③ これで喜劇のつもり?

 喜劇のつもりで作っているのかなんか知らないが、喜劇でもただどたばたやれば面白いというものではない。山田洋次監督が作る映画のように実際にありそうな生活の中で筋書きの中で笑いを誘うのが本当の喜劇である。

 ”つばさ”はお笑いでもなく、喜劇でもなく、単なるどたばた劇である。NHKの質も落ちたものだ。 

 主役の多部未華子が可哀想。→

Tsubasa02

 

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2009年5月15日 (金)

遅きに失した民主党小沢代表辞任

 小沢民主党代表がやっと辞任を表明した。どう考えても遅過ぎた感を否めない。拙速に16日に次の代表を決めるというが、いくら国会が会期中とは言ってももう少し時間をかけて選ぶべきであろう。それもこれも代表の座に未練を残した小沢氏のふ甲斐なさのもたらしたものだ。

 次の総選挙でひょっとして民主党が政権を取れるかも知れないところに来て、総理大臣の椅子がちらついていたと思うのだが、詰まるところ小沢氏は自業自得である。いくら身の潔白を言い立てても彼の金の集め方には国民は納得しない。

 国民の目は次の民主党代表に誰がなるかに集まっている。立候補を表明したのは、岡田副代表と鳩山幹事長しかいないからこのどちらかということになる。

 マスコミによると、鳩山幹事長が優位にあるらしい。もし、鳩山氏になれば、鳩山一郎元首相の孫である。吉田元首相の孫の麻生首相と祖父の怨念をかけた争いということになる。皮肉と言えば皮肉だが、これも世襲のなせる悪である。

 鳩山幹事長は莫大な資産を持つ(サブプライムで60億円ほど含み損が出たと自分で言っていた)大富豪である。麻生氏も大富豪だ。

 鳩山氏が代表になりもし民主党が勝てば、大富豪首相がつづくことになる。

 それに鳩山氏は小沢氏と二人三脚になる可能性がある。ロシアのプーチンとミノジェーエフの関係によう似ている。

 岡田氏はまじめだと言われるが、笑わん殿下というあだ名があるらしく、笑ったのを見たことがない。

 世襲議員ではないので世襲反対を唱えているが、その他の施策は聞こえてこない。

 以前に代表を務めたとき選挙に大敗したというのもマイナスイメージだ。でも、 鳩山氏よりはましと言ったところか。

 新聞に誰かが民主党には人材がいないと書いていたが、本当に人材はいないのであろうか?オバマはいないのか?

 アメリカの民主党のオバマは、イリノイ州の1議員から突如現れて大統領にまで上った。

 今こそチェンジを唱えて新しい星が現れて欲しいものだ。

 それが無理なら、せめて総選挙を戦えるしっかりとした国民のためのマニフェストを作製して千載一遇の総選挙を目指して欲しい。

 民主党代表にはオバマ以上の気概を持って欲しい。

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2009年5月14日 (木)

骨抜きになった憲法25条

 憲法25条の第1項:「すべて国民は、健康文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と明記してある。私は、これがある限り大丈夫だと思い込んできた。ところが、5月3日のNHKテレビを見てそうではないことを知った。

 第2項に、「 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と明記してあるにも拘らず、25条は単なる飾りにしか過ぎないのだ。

 だからホームレスが増えても、世界的経済恐慌で職や住居を失う人が出てもその対策らしいものはなされないのだ。

 いったい「健康で文化的な最低限度の生活」とは何だろう?具体的に書いてないので解釈で如何様にもなるのだ。それは第9条と同じで、都合のいいように解釈してそれに沿った施策をするのだ。

 NHKの番組によると、生活保護法には、「厚生労働大臣の裁量により・・・」と書いてありそれによって厚生労働大臣の裁量次第でどのようにでもなるのだという。それに対して1957年ごろに「朝日訴訟」が行われたが、最高裁まで行って訴訟本人が死去したために、結局、高等裁判所の判決のままになってしまった。つまり、厚生労働大臣の裁量権の中にあると言うことが確定したのだという。

 小泉内閣では、自助努力が強調され、社会保障費の削減が行われた。介護保険が実施されて、介護関係の費用が抑えられて介護で働く人々の意欲を失わせたり、介護内容の低下につながったりした。また、セーフティネットもいい加減なまま派遣労働が広がり、1200万人近くのワーキングプアの増加になった。

 この一年間で生活保護を受ける人が増加したが、それでもそれすら受けられないか知らない人が多くいて困窮の生活に喘いでいる。

 憲法25条が単なるコトバの表現で終わってなければ政府はきちんとした対策を高次な蹴らばならないのだが、何もしないで平然としていられるのは骨抜きになったからである。

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庄内緑地公園の池

 

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2009年5月13日 (水)

本山元名古屋市長の死を悼む

 本山元名古屋市長が98歳の高齢で亡くなられました。市長を引退されてからも長生きをされたわけである意味では羨ましいと思います。

 美濃部さんが東京都知事になり、革新勢力の首長が出た終わり頃に名古屋市民の期待を背負っての市長選立候補でした。

 それ以前から名古屋大学教育学部長として教育界、とりわけ民主教育推進に関わってきておられ、そのご活躍を存じておりましたので、私も一生懸命に応援を致しました。

 今でも初当選された時のことを覚えております。NHKニュースで本山氏が市長に当選確実と出ると矢も盾もたまらず柳橋にあった選挙事務所に行ったことを思い出します。

 そこには当選を喜ぶ草の根の応援者たちが道路に溢れて集まっておりました。名古屋にも革新市政が始まるのだと大きな期待と喜びに震えたものでした。

 市長になられたその年の夏に、私が所属する名古屋児童言語研究会は名古屋市公会堂で大きな国語教育研究集会を開きました。丁度私が事務局長をしているときでした。そのときに就任まもなくの本山名古屋市長に教育学者としての講演をお願いしました。ご多忙の中を本山氏は、講演を引き受けてくださいました。

 研究会には、全国から確か450名ほどの教員や父母などが集まり、本山氏の講演を聞き、分科会での討論に参加しました。

 市長になっても民間の教育研究集会に出てくださるその姿勢に深い感謝の念をいだきました。

 その後、大津市で開かれた関西の民間教育連盟の研究集会にも参加されました。そのときにもすぐそばでお話を聞く機会に恵まれました。(以前のblog参照)

 市長就任後お住まいを市の所有する家に移されました。我が家から比較的近いのでよくその前を通ることがありました。ごく普通の小さな家で誰もそこが市長のお住まいとは分からないようなたたずまいでした。

 秘書が毎日お迎えにくる以外はひっそりとしていて奥様も静かにすごしておられるご様子でした。

 市長になったからといって少しも偉ぶらないごく普通の学者といった感じで、民主教育の推進を語られるご様子が印象的でした。

 新聞には、誠実な方だと評してありますが、その通りだと思います。市議会で少数勢力の中でお考えになった市政をやるのは大変ご苦労があったと思います。そんな中で敬老パスを実現したり、都市高速道路問題などに取り組まれました。国際センターを作り、退職後は理事長をお務めになりました。

 本当は生涯を教育学者として全うされたかったのかも知れませんが運命のいたずらで市長になられたようです。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。

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2009年5月12日 (火)

河村名古屋市長の「特別職天下り者辞職勧告」を支持する

 河村名古屋市長は8日、市の外郭団体に天下りしている市特別職OB4人に退職を求めた。この措置に諸手を挙げて賛成する。

 特別職に限らず、公職者つまり元市会議員も外郭団体に天下っている。こうした人たちは、多額の退職金を貰っており、その上に退職後の収入も保障されているのだ。

 数年前の朝日新聞には、元公職者がいつまでも天下り先にしがみついていることを報じていた。中には90歳近くの人もいると書いてあった。

 そういう天下りの人たちには、特別な部屋が与えられ、出てくるのは1日に2時間ぐらいで、週に2日程度だという。誠に優雅なものである。ところが給料は40万円前後ももらうのだ。その上退職金も貰えるようだ。

 こんないい収入源だから何時までもしがみついているのだ。

 これは愛知県でも同じである。愛知国際交流協会の会長は鈴木礼治氏であるが知事を退職後未だに続けている。三の丸庁舎には豪華な会長室がある。

 河村市長が言うように、こういう偉い人の天下りこそボランティアでやるべきである。新聞によるとボランティアではやれないと反発があったというが情けない。どれほどの仕事をしているというのか?

 一方で国際交流センターでも国際センターでも多くの一般の人たちは完全なボランティアで働いている。しかも嬉々として仕事をしているのだ。

 退職をすれば元市会議員であろうと特別職であろうと一般人と同じである。

 更に言えば、今の経済不況で職がなくて困っている人がいっぱいいるのに一方ではノホホンを既得権のうまい汁を吸える席に胡坐をかいている人たちがいるというのは余りにも不公平である。許せない。

 河村市長には、天下り先の外郭団体を徹底的に調査して整理し、甘い汁を吸える仕組みを根絶していただきたいと切望する。

 51万人の他に他の人に投票した市民も市長を支持するはずだ。蛮勇をふるってやってもらいたい。

 総額1億6千万円もの退職金を手にした、松原前市長の身の振り方にも注目していることを付け加えておきたい。

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東山動物園で

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2009年5月11日 (月)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―⑧―

 

19)いくつかの大事だと思われること

    短いセンテンスで話す

センテンスが長いと格好良いと思いがちであるが、会話でも文章でもセンテンスは短い方が相手に分かりやすいのである。接続詞はなるべく避けてセンテンスを完結させるようにするとよい。

    母語からの直接的な翻訳はしないように気をつける

日本語の単語を思い浮かべて、それを英語に翻訳して話そうとするとそれに対応する適当な単語や表現が見当たらず四苦八苦することが多い。日本語と英語(外国語)は別の言語だから等号で結ばれるような関係にはないと思うべきである。だから説明的に表現したり、別の言い方を工夫したりすることが求められる。

 「花冷え」とか「春の嵐」などの英語や他の外国語の対応句はないはずだ。

    間違いを恐れない

外国語を話す場合、日本人は文法的間違いを恐れる傾向がある。とにかくどんどんと話すことにトライすることが大事である。私が知る限り、英語を学ぶ日本人でも、日本語を学ぶ外国人でもおしゃべりな人は上達が速い。

また、間違えたときは、しまったと後悔するので脳に強力に定着しやすいのだ。

脳科学者の茂木健一郎さんは、NHKのプロフェッショナルで次のように話している。

「後悔しているとき特に活発に働いているのは眼の奥にある「眼窩前頭皮質」だということが分かった。そこは環境の変化に適応する適応力を司る場所だったのだ。

 後悔することは環境に適応し自らを成長させることである。後悔をするということは次からは後悔しないように工夫することなのだ。

 後悔は”反省”(単なる振り返り)ではなく、後悔をすることにより、脳の中では”現実”(実際に起こったこと)と”想像”(もしこうやっていたらこうなっていたのに)の比較がされるのだという。あれやこれやと比べながらどうすればよかったのか、これからはどうするとよいのかなどを思い巡らせるのだ。

 そのときに”くやしい”とか”悲しい”とかのネガティヴな感情が起こり失敗の経験が脳に強く刻まれる。そして、その失敗を繰り返さないための適応力が向上すると考えられている。」

 私の経験でも、英会話クラスで間違えてしゃべって、家に帰る途中とか布団に入ったときとかに突然、「ああ、あの時はこういえばよかったのだ」と思いつくことよくある。間違えて後悔することは大事なのだ。

④ 忘れることを恐れない

 英語に限らず、年齢を重ねるたびに物事を覚えることができなくなり、覚えていたことをとっさの場合に思い出せないことが多くなる。新しい単語やイディオムを覚えようとしても、そのときは覚えたつもりでも次の日になると忘れてしまっている。

 

 思い出すことでも同じである。先日もこんなことがあった。population人口)と言おうとして、popularityと口に出てきてしまったのだ。覚えているはずのことが出なくなり、次の日辺りにひょいと思いだすのだ。

 

 結局は、繰り返し繰り返し対象言語に触れることしかないのだと思う。子供が母語を覚えるのもそれに日常茶飯に触れているから自然に覚えて行くのだ。相撲取りも同じである。

⑤ 体験的に見つけたこと

その一つは、 シャドウイングができるようになるまで繰り返し聴くことである。私は毎朝ウオーキングをしているが、その時に同じ中国語のテープばかりを聴いたのだ。するとある時自分がテープを聴きながらシャドウイングをしているのに気づいた。同じテープを聴き続けているうちに自然にシャドウイングができるようになっていたのだ。同じことを英語でも試してみたら、やはりシャドウイングができた。

つまり、外国語のテープを聴くにしても、同じものを繰り返し聴きシャドウイングができるようになるまで続けることが大事だということだ。

 

 その二は、授業の録音をして次の日に聴くことである。これはICレコーダーを買って最近になって英語会話のクラスの録音を始めた。そして次の日のウオーキングのときに聴くのだ。するとインストラクターが教えてくれたことなどがよくわかることを発見した。授業のときだけだと忘れてしまうことがもう一度聴くことによって確認されるのだ。もし、若ければ一度聴きかえすだけでも覚えられるかもしれない。復習が大事だということを今更ながらに知ったのである。

20)日本語学習のやさしいところ

 私は中国語も勉強したが、こちらは発音では「四声」が難しく、発音のたびに頭の中で「これは一声?二声?」というように、チェックをしなければならない。「声調」を間違えると全く駄目だからだ。声調さえなければと思うのである。

 

 その点日本語は声調は無いし、アクセントさえあいまいである。学者の研究によると、アクセントのない所の方が多いのだそうだ。これは外国人が日本語を学ぶ場合の大きなメリットである。

 

 中国語では、聴き取りが最も難しい。理由は、日本語にない音がいろいろとあること、同音意義語や声調が同じ単語があること、単語の種類や数が多いこと、故事成語がよく使われることなどである。

 

 そこへ行くと、日本語は母音が5つしかないし、音も120程度である。英語にいたっては発音は単語の数だけ覚えなければならないのだ。

 

 中国語の易しいところは、読むことである。日本人にとっては漢字が共通している部分が多いので、簡体字と簡単な文法さえ覚えてしまえば新聞を読むことは可能である。通常1年間ぐらい中国語を勉強すれば何とか新聞を読めるようになると言われる。

 

 同じように中国人が日本語を学習する場合、漢字に関しては非常に有利である。

 

 外国人が日本語学ぶ上でもう一つの利点は、平仮名の存在である。

 日本の小学校では、1年生に作文を書かせるときに、「話すとおりに書けばいいんだよ。」と教える。何故か?一年生では5月までに平仮名の読み書きができるように指導することになっている。平仮名さえ書けるようになれば、漢字を知らなくても文章は書けるのだ。また、一年生では、お話タイムを作って簡単なお話を口頭でさせるので、作文のときにも話したとおりに平仮名で書けばいいということになるのだ。

 同じことは外国人にも当てはまる。平仮名さえ書けるようになれば、覚えた日本語を書くことができるのだ。

 

 英語の場合はそうはいかない。単語の綴りを覚えないといけないからだ。

21)英語の指導について

 日本では2010年から、小学校でも英語の学習が始まり、4年生以下は年に20時間、5年以上は35時間の勉強をすることになった。また、高等学校では英語教師は英語で授業をしなければならなくなった。

 

 その点に関して、先の川崎さんは、次のように提案をしている。

 「生活に密着した英語の導入を図るには、英語による指示をパターン化する「指示英語」の定着を図る必要がある。」と。

 

 私もかねてから小学校も含めて学校で英語を教えるとすると「指示」や「受け止め」の英語を教師が身に付ける必要があるだろうと感じていた。留学経験がない者にはどのようにすればよいのかと思っていた。確かにさまざまな場面を想定してそれに見合った指示や受け止めの英語の例文を覚えることは有効であろうと思う。

 これはネイティヴでない教師が外国語を教える場合には言えることであろうと思う。

22)日本語教師に望まれること

外国人に日本語を教える場合にインストラクターに必要なことをメモ風に書いておきたい。

    日本語の標準の発音が明確にできること。

    文字を筆順も含めてきれいに正確に書けること。

    その場にあった指導法がとれること。

    文法、語法などの知識。

    日本の文化、生活習慣についての知識。

    どうしても媒介言語を使いたいときは間違った使い方をしないように気をつける。

 

終わりに

 日本では、英語偏重がまかり通り、NHKは英語番組だけを増やしているし、文部科学省も小学校からの英語教育を実施する。

53日の朝日新聞によると、ベネッセによる中学校英語教員対象の調査では、英語教育が変わっても「英語を話せる日本人は増えない」と考えていることがわかったという。英語を話せるというレベルをどう考えるのかも前で述べたように問題であるからこれだけでは何ともわからない。

 

 今や英語は世界共通語のような存在となって英語を話せないと何かにつけ不利な状況が生まれてきている。アメリカ人やイギリス人など英語を母国語をする連中がのさばる勢いである。アメリカ人は英語しか知らない人が多いと聞く。英語が通用するから英語で十分だと考えているのだろう。

こんなことでいいのだろうか?と危惧する。世界にはいろんな言語があるからそれを尊重することがまず大事である。ドーデの「最後の授業」ではないが、母国語をきちんと話すことは大事なことである。母国の言葉や文化を学んで守りその上で外国の言語や文化を学ぶことが肝要であろう。英語はその中のひとつである。

それに英語にもいろいろあるのだからそのローカル性を認めて行くことが大事だと思う。日本人は日本的英語でいいのだ。堂々と日本英語を貫き相手が分からなければ分かる努力をしろというぐらいの気概が必要だ。

また、日本に来る外国人は日本語ぐらい勉強してから来たらどうかと言いたい。

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2009年5月10日 (日)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―⑦―

 

16)文法について

文を作るとなると問題は別である。

日本語は、助詞や助動詞の助けを借りて文を作っていくので(膠着語)、語順は必ずしも重要ではない。語順を入れ替えることも可能である。

 

 ところが、中国語ではそうはいかない。品詞によって単語の置かれる場所が決まっている(孤立語)からだ。英語も語順を変えることはできない。英語は語が変化する(屈折言語)。

 

 文を作るには文法が必要だ。ところが外国語を学習するのに文法の勉強は必ずしも必要がないという考え方もあるようだ。

 

 日本では、明治以来外国語を指導する方法として、文法と訳読が重視されてきた。それは最近まで続いた。私が学生時代はまさに文法・訳読法であった。

 

 中学校のとき同志社大学出身の玉置という女性教師が文法を教えてくれたのだが難しくて文法が大嫌いであった。高校に入ると何と彼女も高校に転勤してきてまた文法を担当した。悲劇は続いたのだ。私は訳読も苦手で結局英語は落ちこぼれであった。

 

 英語会話の勉強を始めたら、ダイアローグが中心で取り立てての文法はなかった。英語会話の勉強をすることで自然に英文が書けるようになったし、英字新聞も読めるようになった。だから、文法は中学校で習う程度でもいいのではないかと思う。会話によって使い方を勉強すれば文法が自然に身につくのではないかと思う。

 

 母語話者は生まれてから自然にコトバを覚えて行くのだ。日本語の場合、文法を取り立てて勉強するのは中学一年からである。日本人は、学校の国語の試験で仮に動詞や形容詞の変化で0点をとっても、生活には何の影響もない。日本人なら間違えることなく日本語の会話ができるのだ。

17)聴き取りと発音

音の聴き取りと発音はについてどうか。これはネイティヴの発音を聴いて真似をするしかない。残念ながら日本では先ほども書いたように発音は殆ど無視をされてきた。読めるようになればそれでよしとされたからだ。

 

 だから学校の英語教師でさえ発音はおろか会話のできない人が殆どであった。高校のときに、西村という東大出の先生がいたが、この先生はいつも「私はクイーンズイングリッシュの発音免状を持っています。」と言って自慢していた。それは例外であった。

 

 英語会話番組を聴くようになって、テープに録音をしておいて通勤の自動車の中では必ず聴くようにした。今は、CD,DVD,ICレコーダー、インターネット等さまざまな聴く手段があるのでいい時代になったものだ。電子辞書では、発音もしてくれる。

 日本人が外国語の発音に苦労するのは日本語が特殊な言語で共通する音の数が少ないからであろう。中国語にはf, l ,r, wの音があるから日本人より有利である。

 

 私の場合、英語会話の勉強をしてきたので、中国語の発音にも役立った部分がある。発音については前掲の書には、「発音に興味を持って真似をすること」(p.174)と言っている。

18)生活習慣や発想の違い

外国語を習得する場合、その人の民族や国民性による生活習慣や発想の違いは大きな影響力を持つと考えられる。

その国に行ってその国の人と交わって自然に身につけられれば一番いいのだが、なかなかそうは行かない。日本に来ている外国人でも日本人の習慣を理解しそれに合った日本語を身につけるのは容易ではない。相撲取りの場合は、どっぷりと日本人の中に浸かって起居を共にするから外国人力士の日本語会話は非常にうまいが、一般の人ではそうはいかない。ブラジルの日系二世、三世でも純粋外国人と同じ状態である。

私たちが英語を習得する場合通常は日本にいて学習するので殊更むつかしいのだ。英語の勉強だけでなく文化的背景や生活習慣まで知るといいのだが、ネイティヴと言ってもイギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語・・・・などさまざまなものがあるのでどれを知ればいいのか迷ってしまう。(8)に引用してある川崎さんが、「英語には標準語がない」とうのはこのことか?

ただ、大きく分けて、西洋的と日本的というような大まかな違いを知ることから始めるのもよいであろう。

コトバには文化が色濃く反映されているのだ。

「外国語学習の科学」p.24には、次のような例が紹介されている。

「日本語を学習している外国人が非常に不思議に思うのが、ある種の自動詞です。

 ・お金がかばんに入っている。

 ・財布が見つかった。

 ・ビールは冷えている。

 なぜかと言うと、多くの言語ではこれらの表現は自動詞では表せません。」

私たちが何気なく使っている日本語もそれを学ぶ外国人から見れば“どうして?”というようなことがあるのだ。

その逆も当然ある。

例えば英語の場合、能動形で話されることが多い。ところが日本語では受身表現もよく使われるので受身で英語を話す人がいる。(←この文を英語に翻訳してみるとよいだろう)

また、日本語式に主語や目的語を略して話してしまうこともよくある。が、英語では主語や目的語は必須成分である。

外国語を学ぶことは、その言語を使う人々の文化を学ぶことでもある。私は、日本語を教えるボランティアをしているが、最近は上級コースを受け持っているので、コトバの背景にある日本文化や生活習慣をも話したり、逆に相手の国の文化や生活習慣について聞くことが多い。学習者の国籍が複数の時にはそれぞれの違いが見られて興味深い。そうしたことがお互いの国際理解につながるのだと思っている。

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2009年5月 9日 (土)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―⑥―

 

14)進歩の法則――量より質への転化

 外国語に限らず、運動でも習い事でも全てに当てはまる「進歩の法則」がある。それは進歩は階段状に起きるということである。

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  aからbまでは、経過時間を表す。これについて今売れっ子の勝間和代氏は、411日の朝日新聞be「人生を変えるコトバ」というコラムで次のように書いている。

「努力は、かけた時間によって測定できる」という見出しで、

 

“この言葉は私のオリジナルです。この考えにたどりついたのは38歳のときです。”

 “もちろん、努力すれば、すべてが何とかなるわけではありませんが、努力なしでは何も始まりません。そのためには「努力」という言葉を生活に積極的に取り入れ、そのプロセスを楽しむ仕組みを作らなければなりません。(下線は筆者のH.Sの付け加え)

 そして、努力を客観視するための測定方法が「時間」なのです。「○○については何年間やってきた」と言えます。“と。

 

 言葉を習得するには、母語であれ、外国語であれ、一定の時間が必要である。毎日母語の中で生活をしていれば自然に母語を身につけることができる。しかし、日常言語以上のものを身につけるには学校などで学習する必要がある。それも学習時間によって達成度が変わってくる。

 

 前にも書いたように、外国語の習得には一定の時間が必要である。それは学習内容や学習の濃密度によっても異なってくるが、それが努力であり、勝間流に言えば時間で測定できるというのだ。

 

 次に、A地点からH地点までの図であるが、これは進歩が階段状に行われることを示したものである。

 

 外国語の学習、芸事の習得、さまざまな運動能力の向上・・・・どんなことでも、やり続けることによって少しづつでも向上する。それをたゆみなく続けていると、あるとき突然次の段階に飛躍するときが来る。自分で努力を続けていてもなかなか進歩を感じないこともあるが、辛抱強く継続をしているとあるときに飛躍が自覚されるのだ。それまでの自分と違ったものを発見したり、感じたりするのである。

 

 例えば、一生懸命にラジオを聴いたりテレビを見たりして英語の勉強をしていると、ある日突然に、それまで聴き取れなかったことが聴き取れるようになったというようなことはよく聞くことである。

 

 いわゆるスランプというのは、頑張っても進歩が感じられない状態をいうのだが、指導者はその間もたゆまずに練習や学習を続けるようにいう。その間にも私たちの脳の中では着実に変化の積み重ねが行われているのだ。それがあるとき突然に次の段階に飛躍して見える(気づく)状態になるのだ。スランプは次の飛躍への蓄積期間であると考えればよいのだ。

飛躍した後はまた徐々に向上して行くがそれは上の段階でのことである。

“継続は力なり”というが、外国語の習得も同じである。たゆまない努力(かけた時間)とそこで起きる飛躍(次の次元へ移ること)こそが進歩の要である。外国語の学習者も指導者もこの法則を心得ておくことは極めて大事である。

この“飛躍”のことを弁証法では、「量より質への転化」という。それまでの要した時間は量であり、飛躍により別のレベルになることは質がそれまでと変わったことを意味する。進歩はいつも量より質への転化によって行われるのだ。

15)単語の数を増やす

 外国語の習得に当たっては、語彙を増やすことが不可欠である。最初の一語から始まって学習を続けて行く中で単語の数を増やそうといろいろ工夫する。

 私が高校の頃には、「赤尾の豆単」という掌に入るサイズの単語記憶用の辞書があった。その中に収録されている単語を覚えれば大学受験はOKと言われたものだ。

 

 私の高校同級生に東大に合格した者がいたが、彼はいつでもどこでも「豆単」を開いて覚えていた。そのぐらい努力したのだから東大にも入れたのだろう。

 

 しかし、単語を覚えるには単語だけを覚えるよりも文脈の中で使用法と共に覚える方が大事だと思う。その意味で会話学習とか本を読むとか新聞を読むとかラジオを聴いたりテレビを見たりと言ったことを通じて単語を記憶し語彙を増やして行くのが一番望ましいやり方だと思う。

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2009年5月 8日 (金)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―⑤―

 

10)アウトプットの限界

アウトプットについては、前掲の書には次のように指摘している。

「注意すべきことは、多くの実験研究が行われているにもかかわらず、アウトプットそのものが言語能力の向上につながった、という結果が余りでていないことです。『話せるようになるには、話す練習をすればよい』という考え方は、一見理に適っているようですが、研究結果を見ると必ずしもそうではありません。」(p.149

「アウトプットそのものは、新しい言語材料、言語知識の習得には役に立たない、言い換えると、自分のすでに知っている知識を使って何かをする、ということにすぎない、という当たり前の事実が案外見落とされている場合が多いので、その点は注意して置くべきでしょう。」(p.149

アウトプットは、蓄えてある言語知識を引き出し、文に構成して外言化して行くことに意味があるのだ。それを繰り返すことにより自然に口をついて発話される状態に持っていくことができよう。

ただ、話したり書いたりする場合でも辞書で調べるとか人に尋ねるなどして新しいコトバや表現法や言語知識を得ることもあるのことは頭に置いておくべきである。

 

 次に、アウトプットの場合、母語によって話すことを選び、考え、文を構成し、外国語に置き換えて発話するという過程をとることが多い。特にレベルの低いうちほどそうなる。よく「英語(対象言語)で考えよ」と言われるが、実際は至難の業である。対象言語で考えられるようになるにはかなりのハイレベルにならないと無理である。

 

 日本人が英語を使う場合、冠詞とか前置詞などはいつまでたっても迷うし、間違えやすい。外国人が日本語を勉強するとき、助詞や敬語など躓くのも同じことである。

 

 更に母語の国の文化や習慣が外国語の発話に干渉して間違いを引き起こすこともある。日本語では、「ぼくはコーヒーだ。」というような言い方はごく普通だが英語ではI am coffeeではおかしな表現になる。

 

 日本語は主語があいまいな言語だが英語ではそうはいかない。(日本語には主語はないという学説もあるくらいだ)その逆もあって、アメリカ人が日本語を話すときに、やたら主語を入れると変な日本語になるであろう。

11)インプットもアウトプットも大切

 会話など別の人とコミュニケーションをする場合、「聴く」、「話す」の両方が行われる。会話はよくキャッチボールだと言われるが、相手の言うことをよく聴いてそれに対し適切な応答をしなければならない。だから聴いてわかる能力だけでなく、話す能力も大事である。インプット能力とアウトプット能力の両方の向上が必要なのだ。

 

 最近は、電子辞書が発達して、外国語に翻訳して発音までしてくれるものもあるらしい。確かに便利であろうが、自分で聴く耳を持ち、話すことができたらその方がいいに決まっている。

12)外国語のビギナーが注意すべきこと

 ただここで注意が要るのは、外国語の勉強を始めて間が無く、インプット量が少ない場合である。

 「学習者の外国語能力がまだ不十分なうちに無理に話させると、結局学習者は母語に頼って、その母語の文法に適当に第二言語の語彙をくっつけて、変な外国語をしゃべる、という危険性があります。それをどんどん続けて行くとそれが固まってしまうということがあります。」(P.16

 

 外国人に日本語を教える立場の人は心しておくべきことであろう。

13)外国語学習に要する時間の問題

 外国語の習得には学習時間が必要である。TOIECで760点を取るには何時間の勉強をせよとか、日本語一級に合格するには何時間の勉強が必要だなどと言われる。その時間をどのように確保するのかが問題で、二つのやり方が考えられる。

 

 一つは、短期集中型である。日本に来て大学に入る学生は、通常6ヶ月間日本語を勉強し、日本語で授業を受けられるレベルになることを要求される。

昔、私が留学生から直接聞いたのだが、彼らは朝起きてから夜寝るまでひたすら日本語だけを勉強したそうである。彼らの書いたものを読んだが、立派な日本語になっていた。

 

 毎日授業が6時間、自習が6時間として、一日12時間、30日×6ヶ月で何と2160時間にも達するのだ。

 

 私の場合は、長期継続型の道を選んだ。ラジオ講座を三つ聴いて50分、それに多少プラスしても一日70分、一年間で420時間である。ただ、のんべんだらりとやったので効果は少なかった。

 

 日本人の英語の学習時間は学校だけで考えると、中学校三年間で516時間程度、高校もその程度だから6年間の合計で1040時間ぐらいと推定される。

 

 その間にどれだけの単語やフレーズや文法がインプットされるのであろうか。知りたいものである。

 

 次に、私が1993年に書いたものから参考までに引用する。

 

 深井宏一氏は、「使える英語への最短コース」(198311月、アルク社)の中で、

「現在の自分のリスニングによる英語の理解度は殆どゼロだと思う人が、一応英語圏の中学生が理解する程度の英語が聴いてわかるようになるには、5000時間ぐらい、『注意力を集中して聴く』ことだと考える。」

と書いている。一日1時間では、13年間かかるそうである。

 

 TOEICでは、英語の学習にかけた時間とTOEICのスコアは比例するということを証明していると言われている。あやふやな記憶だが100点上げるのに700時間?必要とか。

 

 来日1年間で日本語検定1級をとった中国人と韓国人を知っている。二人とも、日本語学校に通うほかに、朝から寝るまで日本語漬けになったそうである。おそらく4000時間以上の勉強をしたものと思われる。(ただ、日本語1級をとっても話す能力はそれほど高くはならない。おそらく読解や単語や漢字の知識が中心なのだと思う。)

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2009年5月 7日 (木)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―④―

 

7)外国語習得に関する要素

外国語の習得についての一般論としては、目的言語との関係で次のようなものが関わって来ると言われる。

◎適性・資質→進歩が速い人とあまり進歩が見られない人がいる。

◎興味・関心→言語だけではなくその背景の文化にも興味や関心を持つこと。

◎動機付け→外国語を学習する自分なりの強い動機を持つこと。

◎開始年齢→12歳臨界期説(12歳以後に始めると遅い)(P.38

◎母語の活用→母語の知識を生かす

◎母語の干渉の除外→ 外国語は頭の中で母語で考え翻訳して発話されることが多いので母語の影響を受け     る。

◎言語間の距離

日本人は英語が苦手であるが、それは英語と日本語が遠い関係にあるからだという。日本語と近い関係にあるのは韓国語である。スペイン語とイタリア語は非常に近い関係にある。

日本語は大抵の言語とは遠い関係なので日本語を勉強する外国人にとっても外国語を勉強する日本人にとっても困難を伴うのだ。

8)インプットはいつでもどこでもできる

外国語を習得するには、前にも書いたように、インプット(聴く、読む)とアウトプット(話す、書く)の両面がある。

まず、インプットとしての「聴く」ことは誰にでも何処にいてもやりやすい学習行為である。日本では、英語に関していえば、ラジオ、テレビ、映画、DVD,CD,テープなど「聴く」ための手段がいろいろ用意されている。日本に来て日本語を学習する外国人についても同じことが言える。

やさしいことから始めて行くのは当然のことである。「コトバのシャワーを浴びろ」と言った人がいたがその通りだと思う。私も英語会話の勉強を始めて、ラジオ講座をテープに取り、通勤の車の中やウオーキングのときなどに必ず聴く様にしていた。

「読む」ことも、テキストを読むことから始めて、レベルに応じてやさしい本を読んだり、新聞を読んだりするように心がけることだ。今はインターネットで幾らでも外国語を読むことができる。大事なことは国弘正雄氏が言っているように、只管朗読(シカンロウドク→ひたすらに声に出して読む)で、声に出して読むことが有効であろう。

また、読書によって新しい知識と共に言語が増強される。つまり、コトバの網が豊かになるのだ。

9)インプットの問題点

明治以来日本の外国語教育は長い間文法・訳読中心主義で行われてきた。そのために読めても話せないという偏った日本人ができてしまった。

先日友人と話をしていたら、友人が「僕が高等学校の頃“山崎の英文解釈”という本を必死になって勉強したことがある。おかげで前の年に赤座布団だった英語が表彰されるほどになった。」と言った。

“山崎の英文解釈”は当時有名な参考書であったが、内容が難しいことでも有名であった。私などは、買うことは買ったが数ページで投げ出してしまった位の本だ。それを最後まで勉強し切った友人は大したものだが、それで読解力はついたとしても、会話力が付くわけではない。残念ながら彼は英語会話はできないのだ。

つい10年ほど前までは、英語教師でも話せない人が殆どであったのだ。東大や早稲田といった優秀な大学の学生でも英語会話となると駄目だと言われていた。

私は、英語落ちこぼれであったが、英語会話の勉強をしたことにより、いつのまにか英字新聞が読めるようになった。また、当時は英作文というのがあった。私は英作文が大の苦手であった。それがいつの間にか英文も多少は書けるようになった。

そういう訳でインプットと言っても文法・訳読法では駄目だと考えている。

これを書いている間の425日の朝日新聞「私の視点」欄に、生活に密着した表現学ぼう」という投稿が載った。筆者は川崎美恵さん(語学コンサルタント)である。

イギリスでボランティアとして働きながら生きた英語を身につけようとしたのだが、面接で「貴女の英語力なら問題ない」と言われたのに現場では全く通じなかったのだそうだ。

その原因として彼女は2点を指摘している。 

 一つは、日常生活で使われている英語表現を殆ど知らなかったということであると言う。

 

 この点に関しては、私も英語会話の勉強を始めて以来痛切に感じてきたことで、未だに解決されていない。何故かというと、日本にいる限り日常言語に接することがないからだ。TV,ラジオの語学番組は標準的なパターンでテキストが作られているし、書物でもそうである。その意味では現地に行って現地の人の中で生活するよりよい方法はない。よい見本が相撲取りである。外国人力士は現地の生活にとっぷりと浸かって生活するので日常言語をすっかり身につけているのだ。

 もう一つは、英語には標準語がないということだという。日本人が英語が苦手なのはこの2点にあると言うのだ。

 

 英語に限らず外国語の習得という点では、現地の生活に入り込んでそこで使用されている言葉や表現法を学ぶのが本当は一番よいのであろう。

 

 このことに関係して、面白いエピソードがある。私が、かつてカナダをバックパックで旅行したときのことである。バンクーバーにある大学の寮に泊まったことがあるのだが、日本から英語留学に来ていた学生たちと話す機会があった。学生たちは、私が外国人の中に入っていって積極的に話すのを見て感心したと言ったのだ。 彼らは1年とか2年とか留学しているのだが、日本人学生同士で付き合うので英語で話す力が付かず英語を話すのが億劫だと言う。これは典型的な日本人のパターンではないかとそのときに思った。現地で生活をしていても現地人の中に入らなければ何ともならないのだ。

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◎庄内緑地公園のアヤメ

 見ごろはこれからです

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2009年5月 6日 (水)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―③―

 

5)内言活動・外言活動とコトバの網

また、前掲の書にはどこにも触れられていないが、言語活動には、内言活動と外言活動がある。

内言とは脳内で行われる言語活動であり、外言とはそれが視覚や聴覚によって確認できる言語活動である。そして、外言活動は必ず内言活動を伴っているのだ。おそらく瞬間的に内言活動が行われ、それが外言として外に出されているのだ。

我々は、外言によって初めて自分の言語活動を知覚できるのである。

※学者によっては、内語、外語と使っている。

私が学んだ国語学者の大久保忠利先生は、脳の中にインプットされた言語を「コトバの網」という比喩で述べている。そして、コトバの網を強化することが大事であるというのだ。

その場合、コトバの網の強化とは単に言語知識の増強、増量を言うのではない。大事なことは、さまざまな豊富な体験をすることにより、コトバの網が強化されるということである。

これを母語の習得に当てはめてみれば、子供は成長過程で多様な経験をする中で感性や考え方や生き方や・・・を豊かにするだけではなく、自分自身の言語をも豊かにしているのだ。

6)言語習得の到達レベル

言語の習得という場合、対象言語の到達レベルをどこに置くかという問題がある。これは極めて難しい問題である。漢字の場合は常用漢字が2000字辺りに設定されていて数量化されているが、読書力、作文力、会話力などの表現能力については設定が不可能であろう。

そのせいか、母語にしろ外国語にしろ、言語の到達レベルをどこに置くかということについても、前掲の書では触れられていない。ただ、バイリンガルとかネイティヴとか言っているだけである。

一体、バイリンガルというのは母語の他に外国語がどの程度のレベルの人を指すのであろうか。また、ネイティヴという場合どの程度の言語能力を持った人を指すのであろうか。

        ネイティヴの場合

 まず、ネイティヴについて考えてみよう。

例えば、中国語がネイティヴの中国人なら話したり聴き取ったりすることは誰でもするであろう。だが、読んだり書いたりとなると、十分な教育を受けていないがために新聞を読めない人や手紙を書けない人がいる。一方で外国人でも中国語の新聞を読んだり、中国語で手紙を書いたりはできるのに中国語をうまく話せなかったり、聴き取りがきちんとできない人が幾らでもいる。

また、話すことにしろ聴き取ることにしろ、その人がコトバの網として持っている言語量(知識)によって差がある。

パソコンを知らない人はパソコン関係のコトバを殆ど知らないであろう。一般の人は専門家の知っているコトバを知らない。また、専門家は自分の専門分野のコトバには詳しいが関係ない分野のコトバは知らないであろう。

私はゴルフをやらないし、興味もないのでゴルフ用語は全く知らないと言っていい。

そのように、人は自分の専門外や興味や関心がないことについては知らないのでそれに関係したコトバも知らないのである。

日本語辞書には6万語とか8万語とか辞書によって膨大なコトバが収録されているが、国語学者でもその全部を知っているわけではない。

そういう訳だからどの程度のコトバを知っていて、どの程度使えればよいのかは明確ではない。

例えば英語の場合TOEIC900点ならネイティヴだと認められると言えるのであろうか。或いは、難しいといわれる通訳試験に合格すればよいのであろうか。そうでないことは常識である。

ネイティヴの言語能力についての基準など無いのである。新聞を読めなくても母語話者はネイティヴなのだ。

② バイリンガルについて

次に、バイリンガルについて考えてみたい。

外国語の習得を目指す場合、その到達目標をどこに置くかは個人個人によって違いがあるし、違っていて当然である。

一般的には、

    大学入試に受かるには・・・。

    アメリカの大学に留学するには・・・。

    外交官になるには・・・。

    商社の海外駐在員になるには・・・。

    通訳になるには・・・。

などなど、具体的な事例に基づいて目標値(到達レベル)を立てるしかないのではないか。

学習するカリキュラムを作るにしても、指導するに当たっても、それぞれの目標を設定しそれを効果的に達成するように作られなければならないのは言うまでもない。

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2009年5月 5日 (火)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―②―

 

(二)外国語習得論

1)外国語習得論を書く動機

上に書いたように、私は、英語会話と中国語を自分で勉強し、日本語を外国人に教えている。

323日に書店に行った時に、たまたま「外国語学習の科学」――第二言語習得論とは何か(白井恭弘著、岩波新書)を見つけた。第二言語習得論という副題に興味をそそられて買った。

それを読み終った後、自分の経験を踏まえながら外国語学習について考えてみたいという気持ちが沸き起こった。それでこれを書き始めたのである。

2)言語習得の両面

言語の習得には、二種類ある。一つは母語の習得(日本では獲得という)と、もう一つは外国語の習得である。不思議なことに母語の習得には普通失敗がない。しかし、外国語の習得は殆どの人が大変に苦労をする。

言語の習得行為には、インプットとアウトプットがあると言われている。インプットは「聴く」と「読む」で、アウトプットは「話す」と「書く」である。

前掲の書によると、アメリカの南カリフォルニア大学のスチーブン・クラシェンは「言語習得は、母語も外国語も言語内容を理解することのみによって起こる」という「インプット仮説」を唱えたという。(p.94)彼はアウトプットは言語習得とは無関係だと主張したのだ。

 

 赤ちゃんの場合、母親や周りの人々の話しかけによるインプットのみである。その内にインプットされて脳内に記憶されたものが喃語として発話されるようになる。文字を覚えて本が読めるようになるまではもっぱら聴くことによるインプットのみである。幼児期に母語の単語や簡単なフレーズの意味や発音、聴解、文の仕組み、文法、作話力などを自然のうちに身につけてある程度の母語を覚えてしまう。

残念ながら私は何歳までにどのくらいの母語を覚えるのかというデータを知らない。

3)インプットとアウトプットの関係

ところで前掲の書を読んで啓発されたのは、「アウトプットはインプットの範囲を出ることはない」ということである。

これまでただ漠然と、言語の習得には、読む、書く、聴く、話すの四つの能力を高めることが大事だと思っていた。また多くの参考書にもそのよう書いてあった。だから言語の四能力を如何にして高めるかが鍵であると考えて実践してきた。

ところがこの本を読んで、先ず、インプットとアウトプットに分けて考えることが大事であると知った。そして、アウトプットはインプットした量の中でしか行えないということがわかった。

確かにアウトプットでは新しい言語を手に入れることはできない。ただできることはインプットしたことを強化し自動化することだけである。(自動化とは言語を無意識的に使える能力のこと)

その観点から言うと、アウトプットも大事であることが分かる。インプットによって対象言語の単語、慣用句(イディオム)とその意味、発音、発話法などをどんどん取り入れていくことができる。が、それだけでは対象言語を完全に習得できるわけではない。アウトプットによって定着を図らねばならないのだ。

4)言語の無意識的行為と意識的行為

人間は遠い昔に言語を獲得した。今もアマゾンの奥地で原始的生活を守っているヤノマミ族は人口僅か150人程度のいわば絶滅危惧種であるが、彼ら独自の言語を持っている。おそらく狩猟や自然物採取や自然現象、彼らの宇宙観(シャーマニズム)、日常生活などに必要な言葉だと想像される。

我々現代人は原始人に比べると遥かに大量の言語を使うようになっている。しかし大事なことは、人間の活動には言語が非常に大きく関係しているということである。

人間の言語行為であるが、母語話者(ネイティブスピーカー)は、言語を操るときに日常会話などでは殊更考えることなく無意識的に行っている。生まれてから獲得した言語能力をいわば無意識的に扱うことができるのだ。

 言語を使用する場合、意識的に使用する場面と無意識的に使用する場面がある。今私は文章を綴っているが、この作業は極めて意識的に行っている。そして、それを脇から見ているもう一人の自分(無意識)があるのだ。これは自然的(無意識的)に話す場合にももう一人の自分がいるのである。それによって発話の作業は絶えずチェックをされているのである。

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2009年5月 4日 (月)

ごく普通のシニアが書いた「経験的外国語習得論」―①―

  

経験的第二言語習得論

20095263日憲法記念日に

愛知国際プラザ日本語ボランティア らら

 はじめに 

 この論文はごく普通のシニアが書いたものです。ですから、ある意味で、一般の人には参考になるのでは?と思っています。

(一)外国語、外国人との関わり

1)英語会話学習の動機 

 私が英語会話の勉強を始めたのは42歳のときである。その年に娘が中学校に入学したので、それを機会に英語会話の勉強をしようと決心したのだ。私の予想では、娘は若いから私に追いつき追い抜くだろうが、どこまでやれるか試してみようということであった。

学生時代時代は英語落ちこぼれ、卒業後は20年も英語と無縁であった私が英語会話を始めた理由は他にもある。近い将来に外国から日本に来る人が増えるであろうし、金がない自分でも海外旅行ができる時代が来るかもしれないと予想したことだ。

それから早や31年になる。

その間に、予想通り、外国人が日本を大量に訪れるようになったし、自分も海外旅行に行くという夢を実現することができた。

2NHKラジオ番組の利用

初めはNHKのラジオ講座を利用して勉強した。当時は、英語会話、基礎英語、続基礎英語の三つしかなかった。何しろ英語の勉強は大学卒業以来であったので、基礎英語でさえ新鮮であった。英語会話の方はレベルが高かったが基礎英語、続基礎英語と共に毎朝聞いた。

3)英語会話クラブを創立

一年たった頃だったと思うが、昭和社会教育センターが開館し、英語会話の講座ができたのでそれに申し込んだ。幸いにも定員40人の中に入れてもらえた。講師は向陽高校の英語教師で授業は英語で行われた。それは初めての経験であった。

初めの授業でNice to meet you. というのがあった。恥ずかしながらと言うべきか、私はその表現を知らなかった。受講者の中には、英語会話がある程度できる人もいてその人たちはうまく答えていた。Nice to see you. との違いを教えて貰った。これは強烈な記憶となって残った。それ以外のことは全て忘れてしまったがこのことだけは記憶にあるのだ。

その講座は後期もあり8ヶ月続いて終わった。その時に参加した人たちの中から、折角だから続けようという声が出て20名ほどの人たちで自主講座を立ち上げた。それが昭和英語会話クラブ(SEC)で、以来今日まで何と28年以上も続いているのである。

4)中国語をNHKTV講座で勉強

私は、退職前の58歳頃に中国語の勉強も始めた。こちらは息子が中国に語学留学したので、それを機に中国語の勉強をしようと決意したのだ。どうせかなわないだろうがどのくらいやれるか試してみようと思ったのだ。

中国語はNHKTV番組を利用した。始めたときには初級と中級の二つに分かれていたのに2年後には縮小されてしまった。NHKには中国語番組を減らさないよう何度も要望したが聞き入れてもらえず、腹が立って中国語の番組を見るのを止めてしまった。NHKは以来英語の番組ばかりを増やして今に至っている。

5)日本語ボランティア

退職後1年たった頃、私は、愛知国際プラザの愛知県国際交流協会が主催する日本語ボランティア養成講座を受講した。幸いにも300名余りの希望者の中から運よく抽選に当たったのであった。

元々私の退職後の希望は外国に行って日本語を教えることであった。そのためにアルクの日本語教師養成通信講座を在職中に受講していた。そしてオーストラリアで日本語教師になるべくいろいろと努力したのだが実現しなかった。

それならと中国に伝を求めて日本語教師になろうと考えた。よい知らせが来たのだが、丁度その頃愛知国際プラザでの日本語ボランティアが決定したので、中国に行くことは諦めることにした。

以来日本語ボランティアも早いもので10年ほどになる。

―つづく―

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2009年5月 3日 (日)

残念!カワセミに出会えず――庄内緑地公園の花

 Cimg0014 庄内緑地公園に行けばカワセミが見られるというので1日午後に出かけた。地下鉄の鶴舞線で乗り換えなしなので便利なのだが庄内緑地公園は何となく遠い感じがしてこれまでに2度ほどしか行ったことがない。

 改札を出て2番出口までは階段がかなりきつい。しかし、出るとそこが公園であった。グリーンセンターの建物が2棟立っていたが今日の目的はそこではないので歩いて行った。

 右の方に行けばよいと聞いていたのだが公園が広くてわかりそうもないので丁度向こうから来た職員らしい人に尋ねた。池の方に行けばよいと洒落のような答えが返ってきた。

 幅の広いダウンロードの橋が駐車場に入る道路の上にかかっていてそれを下って行くと広い公園が見渡せる場所に出た。噴水があって時々霧のような噴水を吹き上げていた。

 ナンジャモンジャの木に似たクリーム色の花が満開の大きな木が立っていた。取りあえず見当をつけて歩いて行った。

 人は殆ど見かけなくて、芝生で若い女性のグループが遊んでいるのが珍しいぐらいであった。

 公園の案内地図があったのでそれを見て、まず水のある場所を探した。時計塔の向こうに小川のようなものがあり池に流れ込んでいるらしかったのでそこを目指すことにした。

 行ってみると人口の小川だが水がなくて枯れ川であった。土地の人らしい男性が歩いてきたのでカワセミの見られる場所を尋ねた。川に沿って行くと池があってその辺にカメラを持った人がいるから分かると言った。

 水のある川を少し行くと池になっていたので注意をしながら池に沿って歩いた。紫や黄や白のアヤメが咲き始めていた。

 その池にはカワセミはいないようであった。後でわかったのだがその池でもカワセミを見かけることがるということであった。

 大きな池に出た。ボート池と書いてあった。池の近辺の広場はバーべキューがやれるようで若者たちのグループがいくつかバーベキューで騒いでいた。

 Cimg0010 ボート池の端に地図があったのでまたそれを見た。近くに野鳥の森があると書いてあったのでそこに行くとカメラを地面に低くセットした人たちがいた。その人たちにカワセミが見られる場所を聞いたら、向こうにある水鳥の池だと言った。

 その林では他にもカメラを構えている人たちが6人ぐらいいた。藪を狙っているらしかった。コマドリとかジョウビタキが狙いのようであった。

 ボート池をぐるっと回って行くと大きなカメラを構えた人がいた。その人はアジサシを狙っていると言った。ボート池の上空をアジサシが飛んでいた。カワセミが見られる場所を尋ねたらすぐそこの、人が立っているところ辺りだと言った。そして、近くの溝を指差して「あの辺りにカワセミの巣がある。」と教えてくれた。「でも、卵はないみたいだ。」と言った。

 その場所に行くと四角い石が据えてあり、腰掛けられるようになっていて、目の前に小さな池があった。そこが水鳥の池であった。時計を見ると3時ごろであった。

 カメラをセットした人が一人いたのでカワセミが見られるか聞いたら、3時間ぐらいねばれば見られるかもしれないと言った。池の中によしずのようなものが生えていて木の枯れ枝が突き出ているところがあった。どうやらカワセミはそこに止まるらしい。

 手持ち無沙汰なのでその人とボツボツと話をしながらカワセミが来るのを待っていた。

 その男の人は3時過ぎに来るとカワセミが見られると聞いたので今日は午後に来たのだと言った。

 Cimg0024 カワセミは水面近くを飛ぶことや飛んでいるときもきれいなことなどを話してくれた。なかなかカワセミが見られないのは、男の人の説明では、誰かがカワセミの巣をいじったのでカワセミが怖がってしまったようだとのことであった。

 それでもその人は毎日来ているらしくカワセミは来ることは来ると言った。その人は野鳥を写しはじめて1年余りだと言った。この趣味は金が掛かりますとも言った。

 鳩や雀は来るが待てど暮らせどカワセミは来なかった。近くにカメラを構えた女性がいるので男の人は様子を聞きに行った。その内にその女性はカメラを片付け始めた。戻ってきた男の人の話によるとその女性は11時頃から来て4時間以上も待っていたがカワセミは来なかったと言う。

  時々カメラを持った人が来るがすぐに行ってしまう。4時過ぎに向こうでアジサシを狙っていた人が来て大きな望遠カメラを据え付けた。アジサシのよい写真が撮れたか聞いたら首を横に振った。その人は野鳥を撮り始めて3年だと言った。

 その人の話では、今年はカワセミは殆ど見かけないと言った。昨年は頻繁に見ることができたようだ。

 4時半ごろにすごい望遠カメラを担いだ人がやってきて野鳥歴3年の人と話し始めた。ベテランらしい人は昨日まで埼玉県で撮っていたようだった。明日は山に行くと言ってた。あちらこちらと動き回って野鳥を狙っているところを見るとプロかもしれないと思った。

 太陽も傾き始めたので帰ることにした。「お先に」と言うと、「また来てください。」と言った。

 カワセミが見られなかったのは残念であったが、野鳥写真愛好家の話が聞けてよかった。

 帰りに池のほとりを歩いて戻ったがカワセミはいなかった。

 仕方がないのでアヤメやツツジやナンジャモンジャなどの花を写しながら駅に戻った。

 庄内緑地公園は、広くて変化があり、素晴らしい公園だった。それに人が余りいない。新緑の木々が目と心を癒してくれた。

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2009年5月 2日 (土)

豚インフルエンザ流行でマスク売り切れ

 メキシコで始まった豚インフルエンザがあっという間に世界中に広まった。WHOが最初はフェーズ3だとしていたのが、フェーズ5まで来た。

 鳥インフルエンザの脅威については数年前からやかましく伝えられていたが、豚インフルエンザについては唐突のできごとであった。

 厚生労働省は落ち着いて行動するようにと呼びかけているが、予防にはマスクと手洗いとうがいしかないようだ。

 そこで遅まきながらマスクを求めに行ったが、どこの薬局もマスクは売り切れであった。入荷の見通しもないという。

 おそらく病院を優先にマスクの供給が行われるから、一般市民が買えるのは何時のことかわからないと危惧される。

 マスクは多分日本の会社が中国などで作らせているのだと思う。とすればますます入手は困難であろう。

 マスクがないなら外出を控えればよいのだが、食料の買い求めに行かなければならないこともある。

 そういえばTVでは食料品の備蓄を始めた家庭もあると報じていたっけ。

 我が家では、マスクも食糧備蓄もしていない。やるべきかやらざるべきか、それが問題だとハムレットの心境である。

 仕方がないから大流行をしないことを祈るしかないか?

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鶴舞公園の日の出。4月30日朝。

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2009年5月 1日 (金)

鶴舞公園でバードウオッチング

 知人のYさんから鶴舞公園で撮影したというオオルリの写真が送られてきた。エメラルドブルーの大変きれいな鳥である。

 Yさんは、野鳥を撮影するアマチュアのエキスパートで、海外にまで出かけるマニアである。送られてきた写真はサイズを小さくしてあるので鮮明ではないがきれいな鳥だ。

 鶴舞公園ならウオーキングとして行ける距離なので、30日の朝に出かけた。家から26分で公園に着いた。Yさんは、その辺にカメラを下げた人がいるからその人に鳥が見られる場所を聞けばよいと言っていたが、もう日の出が終わった時刻なのに公園にいるのはホームレスらしい人だけであった。

 鳥の声を頼りにぐるっと公園を回ったが、烏と池のあい鴨と雀と鳩しかわからなかった。声はすれども姿は見えずである。

 30分ぐらい歩いてからYさんに電話をしたら、何と公園の近くに来ていると言う。それでボート池の辺りで会うことにした。

 ボート池に向かっていると、望遠カメラを肩から提げた人が走っていくのが見えた。何か鳥でも発見して急いでいるのかと思ったが、Yさんではなさそうなので追わなかった。

 池に着いたがYさんが見当たらないので、ダイヤルをしたらYさんの姿が離れたところに見えた。三脚に特大の望遠カメラを付けたものを担いでいた。

 Yさんの案内で第一のスポットに行くと、そこにはすでに一人のカメラマンが来ていた。オオルリを見かけなかったかとYさんが尋ねたら、まだ見ていないと言う。

 そこに暫くいたが鳥は来ないので第2のスポットに行った。そこは以前に餌をまいておびき寄せたことがあるという場所であった。そこも駄目なので第3のスポットに移動した。学校の近くで、広場では太極拳をしている人たちがいた。

 ウオーキングをする人がたくさん通りかかった。

 そこも駄目なので第4のスポットへ行った。烏がたくさんいた。ナンジャモンジャの木があって満開であった。その花をカメラに収めた。

 Yさんからカラスの見分け方を教えてもらった。横を向いたときにくちばしの先までなだらかなのが嘴細カラスで頭から段差があるのが嘴太カラスだという。Yさんは遠くからでも簡単に見分けた。

 遠くの木の枝のてっぺんにシジュウカラがいるのをYさんが見つけた。すぐにカメラを向けて撮影をした。双眼鏡で覗かせてもらったが双眼鏡を使い慣れていないのでどこにいるのかわからなかった。カメラのファインダーを覗くとチラッと見えた。

 次は、また最初のスポットである銅像の台座だけが残っている場所に戻った。

 Yさんは、鳥の鳴き声や飛ぶ姿に注意をしているようであった。木の茂みをちょっと動く影が見えるだけで、さっと判断をしていた。

 突然目の前を指差して「キビタキだ。」と言った。よく見ると枝のところに小さなのどが黄色い鳥がいた。早業でシャッターを切って写った鳥を見せてくれたと思ったのだが、本当はファインダーを覗くように言ったのだった。しかし、覗いたときには鳥は視界から消えていた。

 一秒間に9枚撮影できるという凄いカメラで撮るのである。連続写真が撮れるのだ。キビタキが写っていた。

 オオルリを待っていたのだが来なかった。そこには望遠カメラを持った人が3人やってきたがみな「今日はオオルリはいない。」と言っていた。

 帰ることにして歩いていたら、鳥の声が聞こえた。と思うとすぐに、Yさんはカメラを木の枝の方に構えてシャッターを押した。連続音が聞こえた。「オオルリだ。」と言った。ファインダーを覗こうとしたら、どこかに行ってしまった。カメラには青いオオルリがとらえられていた。さすがプロ級だと唸った。

 その後はキビタキもオオルリも来なかったので、八幡古墳を一回りして帰った。八幡古墳にはキジバトとムクドリが来て餌をついばんでいた。

 野鳥カメラマンの行動を初めて目の当たりにしたが、茂みや木の高いところなどに眼を配っり、鳥の鳴き声を聞き分けて、ちょっとした動きにもすぐに対応する姿に感心をした。辛抱強くチャンスを待つことと注意深く観察をすることが大事なことでつくづく私には真似ができないと思った。

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 カワセミは庄内緑地公園で簡単に見られるという。

 

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