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2009年4月 1日 (水)

自己責任はどこへ行ったのか?

 アメリカのオバマ大統領は、自動車産業の救済をしようと基本政策を発表した。その中で、クライスラーについては、自力での再生は不可能とみてイタリアのフィアットとの提携を条件にした。

 一方、ナンバーワンのGMについては、経営規模が大きく、米経済への打撃を考慮して経営再建を支える姿勢を鮮明にした。60日以内に最終的な再建計画を策定するために、必要な短期資金を供給し、その間に長期的な本格支援を検討する。(朝日新聞3.31)

 本来、新自由主義の資本主義は、自己責任を標榜してきた筈であった。経営がうまくいかなければ、それは自己責任で当然破産して然るべきなのだし、そのように主張してきた。

 日本のバブルがはじけた後も山一を始め多くの企業が倒産した。しかし、一部の銀行を除いて大銀行は公的資金で救済された。

 アメリカでは、リーマン・ブラザースを潰して世界恐慌の引き金を引くことになったが、他の銀行、証券会社は救済された。

 日本でもアメリカでも中小企業は誰にも助けてもらえない。ところが、GMやAIGのように巨大になると救済される。おそらくトヨタでも倒産の危機になれば救済されるのであろう。

 これは自己責任、公平の原則から言っておかしくないだろうか?

 都合のよいときだけ、自己責任を振りかざし、都合が悪くなると引っ込めるのだから。

 GMもリーマンと同じように、サブプライムのような自動車ローンを作り、低所得者に車を売りまくった。儲けるだけ儲けているうちはよかったが、一旦破綻すると一気に駄目になったのだ。儲けるときは自己責任、破綻したら、政府救済では論理的におかしい。

 つまり、アメリカ式グローバリズム資本主義の正体は”金の亡者”ということであったのだ。

 

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コメント

 私のblogを補完するコメントを有難うございます。
 小泉内閣のときの竹中大臣も、「自己責任」と言っていました。自己責任を全否定はしませんが、自己都合で変えられては困るのです。
 主権を持つ国民に対して明確に定義して揺れることなく使って欲しいものです。

 「自己責任」の文字が目に入って、すぐ思い出したのがイラクでボランティアをしていた女性の方(名前を失念していてすみません)です。日本政府は、「イラクに行ってはいけないと言っているのに勝手に行ったから、助けてやらない」と言いました。彼女はイラク人への援助の実績で、無事帰還しましたが、日本政府は自己責任を取らせるために費用負担をしなかったと記憶しています。
 南米でどこかの社長が誘拐された時は国を挙げて救出活動をしたのですが。
 政府が救出する必要があると判断すれば救出の対象となり、必要なしと判断されれば自己責任を問われるのです。では、何を基準にして判断するかというと、政府の方針に沿うかどうかという事でしょう。
 国が公的資金を投入するという事は、ある意味からすると、大銀行や大企業に対して国が自己責任を果たしたといえます。なぜなら、国は大銀行や大企業の代表によって運営されているからです。
 われわれは単純に日本は自分たちの国だと思っていますが、よく見れば、大企業の利益になる法律をつくり、アメリカに従属して、国民の税金でアメリカ基地を作る政府を許しています。「百姓は寄らしむべし、知しむべからず」という江戸時代の百姓と何のかわるところもありません。
 国民に責任を持つような国になってほしいものです。
 

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