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2009年4月24日 (金)

学級委員がない学校が50%も!これで本当の教育ができるのか?

 今朝のNHKニュースによると、鳥取県の湖南という小中一貫校では、モデルケースとして学級委員長に当たる「室長」というのをクラスに作ることにしたのだという。

 何しろ鳥取県では20年来学級委員長のようなものがなかったのだそうだ。40代の女性教員は5年生の担任だが、教員になって初めてのことで戸惑ったという。それで、どのようにして決めたらいいのか先生たちはいろいろと議論をしたらしい。

 結局その先生の場合は、立候補制にした。幸い立候補者が5人いたようだ。候補者はみんなの前で抱負を述べ、無記名の投票をした。

 開票は、担任が行い、子どもを傷つけるといけないという”配慮”から、得票数の発表は行わなかったのだ

 先ず、驚いたのは、学級委員のような制度がない学校が全国に50%もあるらしいことだ。

 戦前はクラスに級長がいてそれは担任の任命によるもので大変な名誉とされた。担任が任命するからそこには情実が働く場合もあった。有力者の子弟が級長になることがよく見られたが世間もそれに対して表立っては何も言わなかった。

 私の家は有力者ではなかったが何故か級長になったことがある。多分担任が公正な人であったのだろう。

 戦争が終わって教育が改革されて、級長というのは廃止され、代わって学級委員長のようなものができた。

 それはずっと続き、私が教員になって退職するまで学級委員は存在した。愛知県の場合、クラスに男女一人ずつの委員を選んでいた。

 選挙は立候補や推薦が普通で、開票は選挙管理委員を決めて行い、全員の面前で黒板に開票の経過を書いていった。正という字を書くのだが、開票を見るのは当人にとってもクラスの者にとっても非常にスリリングな時間でであった。

 時にはデットヒートになったり、同数で決選投票に持ち込まれることもあった。

 また、立候補ができるので、稀には得票数がゼロという場合もあった。ゼロというのは本人が自分の名を書かなかったからだ。自分に一票を投じることを禁じていたのではない。自分に投票することは基本のキの権利であるからだ。

 選挙によってどんな結果がでようともそれで誰かが傷つくようなことはなかった。

 民主主義とはひとり一人が同じ権利を持ちそれを行使できることである。同時に構成員としての義務も果たさなければならない。

 学級委員などの選挙を経験することによって子どもたちは民主主義のあり方を経験して学ぶのだ。

 鳥取県などの場合、子どもたちから民主主義を学ぶ機会、経験する機会を奪っていたことになる。それこそ文部科学省がお好きな道徳の勉強にもなるではないか。

 選挙の開票を担任が行い、その上開票結果の開示を行わないというのも由々しきことである。いったい担任が不正を行わない保証があるのか?開票結果を伝えることが子どもの心を傷つけることになるのか?

 選挙管理委員をつくって子どもたちが開票し、投票結果をクラスのみんなが確認するのが大事なプロセスなのだ。それを通して子どもたちは選挙とは何かと学ぶことができるのだ。 

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