湯浅誠氏の「反貧困-今日の貧困問題と行政の役割」を読んで
川崎の友人が、湯浅誠氏の「反貧困-今日の貧困問題と行政の役割」と題する講演のコピーを送ってくれた。国公労連2008年中央労働学校で行ったもので、国公労連調査時報2月号に掲載されたものである。
開封すると、一気に読んだ。現在の貧困問題が大変わかりやすく話されている。
湯浅氏は、岩波新書の反貧困の著者であるが、私はまだ読んでいなかった。彼はNHKの「どうする日本」に出ていた。また、文芸春秋の最新号での丹羽氏との対談にも出ている。こちらの方は読んでその分析に感心した。
講演を読んで勉強になったことはいろいろとあるが、最も印象的であったところは、「椅子取りゲーム」の喩えであった。
「世の中で一番不利な人ほど『完璧』を要求する日本の貧困」という部分に書いてあった。
厚生労働省のがホームレスをアパートに入れる時のチェックの項目として、例えば、炊事、洗濯、掃除、身だしなみ、金の使い方、コミュニケーリョン能力等15挙げているが、彼はそれを見たとき、これでは自分は絶対にアパートには入れてもらえないと思ったそうだ。なぜなら15項目の一つにでも反していたら駄目なのだそうだ。
その文脈の中で、椅子取りゲームの喩えを出して、「・・・椅子を取れなかった人は何がいけなかったのか。その理由を、本人の運動神経とか性格とか太り過ぎていたとか幾らでもいうことができるし、それは当たっている。
しかし、視点を変えて椅子の数に注目すれば、始めから椅子が足りないのだから誰かは取れないのだ。だから、ホームレス(貧困)になったのは本人の資質の問題ではなくて椅子の問題になるのだ。」という意味のことを言っている。
思い出せば、昨年暮れの派遣村設置のときに、ある大臣が「この中には自分から好んでそうなってる人もいるはず」と言った。私の知人の中にもそういう意見の人が何人かいた。
つまり、「自己責任」だというのだ。
自分が悪いのだから救いの手を差し伸べることはないという論理である。そのための15項目である。けれども、私だって15項目に当てはめれば、どれかは外れるだろう。完璧な人なんていないのだ。
麻生首相だって漢字が読めないし、東大出の升添厚生労働大臣だって何かの欠点はある。クリントン元大統領などはホワイトハウスで恥ずかしい不倫をした。
貧困を個人の資質の問題にして自己責任で片付けられはたまらない。
「仕事という椅子」を増やせばいいのだ。どんなハンディを持った人でもその人がやれることはあるのだ。英語には、differently abledという表現がある。人それぞれに違っていいのだ。
政治の責任は、憲法第25条にあるように最低で文化的な生活を保障することなのだ。そのためにやるべきことは、2兆円の定額給付金ではなくて、仕事と住むところを与え病気や老後への不安を取り除くことなのだ。
まず、「仕事という椅子」を確保することが今一番にやるべきことである。
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