「おくりびと」に感動
アカデミー外国映画賞を受賞して、人気が出た「おくりびと」を観に行った。最初、受賞の次の日に行ったら、映画館が小さいこともあって見られなかった。今回は600名入る大きい館で上映されたので券を楽に買うことができた。観客の殆どは高齢者であった。
事前に何の情報も持たずに映画を観た。その方が感動が大きいからだ。私の想像では何か暗いイメージを持っていた。しかし、観終ってみるとアカデミー賞にふさわしい素晴らしい映画であった。
まず、ストーリーがよくできている。脚本を書いた小山薫堂氏は脚本を書くのが初めてだということだが、構成が非常によくできている。
始めに観客をワッを驚かす仕掛けや物語の縦糸としてストーリーをつないでいく「石ふみ」、亡くなった人が何度も出てくるのは当然だが、その種類と順番も計算されたものだと思う。
それから、「おくりびと」の背景として山形の庄内盆地が選ばれたのもよい。山形市なのか酒田市なのかは私にはわからなかったが、庄内川の流れ、雪を被った山並、広がる田や畑、そこに住む山形訛りの人々など。
また、生き物の配置もよい。産卵に来て命を費やす鮭、白鳥の群れ、圧巻は白鳥の飛翔である。
主演の本木は戸惑いながらも納棺師として成長していく様子を好演している。社長役の山崎努も役柄にはまっていてよい。本木の妻を演じる広末も一度は拒否した夫を理解して行く姿を素直に演じているし、社員の余貴美子もはまっている。
うまく笑いを誘い、泣かせるところもあり、暗いイメージはない。物語が進展する中で観客は自然に生や死や人とのかかわりや生き方などを考えさせられる仕組みになっている。
映画の中のセリフに「人は生まれたときから死へ向かって生きているのだ」というのがあったが、本当は一瞬一瞬に死が影のように付き添っているのだ。
火葬場で職員が、「ここは次の世への門です」と言っていたが、来世を信じるにしろ信じないにしろ人生の区切りとしての門ではあろう。
私はこれまでに、幼少時の祖父の死から始まって近所の人や親戚、身内の多くの死を見てきた。昔は葬儀は家庭で行われたし、納棺は身内で行われた。それが葬儀は葬儀場で行うようになって納棺は他人の手に委ねるようになった。
しかし、納棺師というものがあることは映画を観るまで知らなかった。自分の関わったこれまでの葬儀では、一番新しい母のときでも、葬儀屋の職員が納棺の手伝いには来ていたが、映画のような儀式はなかった。
映画では、「ただ今から納棺の儀を行います」と言って、納棺師が家族などの見守る中で体を清めたり、着物を着せ替えたり、化粧をしたりするのだが、あのように丁寧にやってもらうのならそれもいいと納得した。
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