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2009年3月 3日 (火)

「江戸しぐさ」に思う

 幕末に日本に来た外国人が、当時の日本人に感心していることは多くの書物に残っている。その中に日本の子供がよく躾けられていてきちんとした対応ができることも書かれている。

 「江戸しぐさ」を読むとそれに関してなるほどと思う部分がある。第3章の「心がまえ」を見ると次の様に書いてある。

 「江戸の人びとは、人間は『心』と『体』と『脳』の三つから成り立っていると考えていたようです。子どもの心身の発達に合わせて、いくつかの段階に分けた上で、最初に作り上げるべきは『心』だと考えました。・・・心は柔らかいうちに育てることが大事でその年齢の境は三歳までであると考えたのが『三つ心』です。」

 次に、「『しつけ』とは礼儀作法が身につくように教え込むことです。『六つしつけ』です。「三歳までに心を作っておいて、今度は体の動かし方、身のこなし方をトレーニングしたのです。」

 今の小学校入学年齢までにきちんと躾けたのだ。今の子どもは躾ができていないから、入学式で騒いだりするのだ。

 「心、体の次は脳の番です。江戸時代には、10歳前後で商家に奉公に出る子が多かったので、9歳になるまでは、きちんとした挨拶はもとより、『さようでございます』などの言葉遣いも、できて当然とされていました。それが『九つ言葉』です。」

 人と会ったら大人なみの挨拶ができてきちんと対応できることが求められたのだ。

 次は、「十二文」である。「十二歳になる頃には、きちんとした文章を書けなくてはならないということです。手紙なら、親や商家の主人の代筆ができるとか、注文書や請求書などあらゆる文書が、毛筆できれいに書ける力が求められたのです。」

 「江戸時代、十五といえば、もう立派な大人です。子どもとして扱ったのは14歳まででした。『理(ことわり)とは、物事の道理、筋道のこと。十五歳ともなれば、日常生活のことだけでなく、世の中の万事に関して、その道理をわきまえていなければならない、これが『十五理』です。」

 こうして見て来ると、幕末に東南アジアを経由して日本にやってきた外国人が日本人に感心したことも頷ける。貧しくても生活が大変でも明るくて健康的できちんとしていたのである。それが講を始めとするさまざまな人との交わりの場面で、人の子自分の子の区別なく躾けられたのだ。 

 思い返せば、戦争前までは隣近所が賑やかで、よその家にも自分の家のように出入りしたし、大人は子どもたちを叱ったり、褒めたりしていた。今はそうしたことが無くなってしまっている。学校の責任だとか、いや家庭の責任だとか議論されているが、隣近所の大切さが今こそ見直されるべきであろう。

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