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2009年3月 2日 (月)

 江戸の人々の素敵な振る舞い

 図書館で偶然に見つけて借りてきた「江戸しぐさ」という本を読んだ。「江戸のよさを見直す会」主宰の和城伊勢氏が書いた本で金の星社出版である。

 前書きには次のように記されている。

 「江戸の町衆の間で、たがいにトラブルを避け、気持ちよく暮らすためのルールや工夫が自然に生まれました。それが『江戸しぐさ』と呼ばれるものです。日常の立ち居振る舞いから言葉遣いまで、人との付き合い全般にわたる知恵です。・・・少し前の日本では、庶民の生活の中でふつうに行われていることでした。」

 「しぐさとは「思草」(思うこと)、志草(志すこと)、支草(支えること)の三つの面から捉えることができます。」と述べられているのは、非常に示唆に富むコトバである。

 こうした「しぐさ」は、教養を身につける人々の集まり、助け合いの場である講の中で養われたという。江戸っ子のポイントとして次の4点を挙げている。

 1.目の前の人を仏の化身と思えること。(人はどこかでつながっている)

 2.時泥棒をしない。(他人の時間を無駄にしない)

 3.肩書きにとらわれない。(家柄、学歴、職業など)

 4.遊び心を持っている。(文化などに関心が高く、造詣が深い)

 この本を読んで、私は、次のことを思い出した。

 幕末から明治の初めにかけて多くの外国人(西洋人)が日本に来たが、その人たちは、一様にその頃の日本人の生活や態度について感心をしている。日本人は暮らしぶりは貧しいが、清潔で礼儀正しく、外国人にも誠実に接すると書いている。手元に本がないので、インターンネットで検索をして引用する。

 例えば、イギリス女性、イザベラ・バードは日本の東北から北海道を旅行して「日本奥地紀行」を著したが、その中で、

 「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

 群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。

 私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。(ぼやきくっきり)

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid384.html 」

 ルドルフ・リンダウ 1859年来日。スイス通商代表団団長。

 「スイス領事の見た幕末日本」より
 長崎近郊の農村での記述


 いつも農夫達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。……最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると……「大変有り難う」と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。私が遠ざかって行くと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆んど見えなくなってもまだ、「さよなら、またみょうにち」と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞こえるのであった。(ぼやきくっきり)

 上記の例のように、江戸時代から明治の日本では、庶民の中でも礼儀作法や躾が行き届いていたことが、外国人の目を通してもわかるのである。

 「江戸しぐさ」を見ると、そうしたものを身に着けて振舞うことができるように気をつけられていたことがよくわかる。残念なことは、そのような優れた日本人のよさがいつの間にか失われてしまったことである。

                              この項続く

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コメント

 儒教だけでなく、仏教も神道も生活の知恵を含めて多様なものの上に作られたのかなとも思います。

 幕末や明治に日本に来た外国人が書いたものの中で知ることができるのですが、町民や農民はそれぞれに立派な倫理観をつくり上げていたのですね。

私達の生きてきた時代ほど変遷の激しい時代は無かったと思います。意識も価値観も制度も生活様式も社会も環境も、道徳さえも。
でも昔は身仕舞いの美しい人が大勢いました。
貧富の差は有っても、人生を受け入れてそれなりに立派な魅力ある人が多くその人々の姿が浮かんできます。仏教、儒教なども人々を作ってきたのかも知れません。僧侶、教師、医師は聖職だから先生と尊敬を受けて来ましたが今はどうでしょう。経済が総てのようにアメリカナイズされた日本は魂までも売るのでしょうか。

たいへん興味深い本ですね。
日本人の道徳観は、新渡戸稲造が書いているように「武士道」の精神からきているとよく言われていますが、このような庶民から生まれた礼儀作法があるとは、初めて知りました。
庶民の礼儀作法が「武士道」だけによるものか疑問に思っていたのですが、一つ謎が解けたように思います。

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