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2009年3月

2009年3月31日 (火)

ウオーキングシューズは大切だとわかった

 私は、健康のためにウオーキングを続けて来た。定かではないが18年ぐらいにはなると思う。

 その間、靴はと言えば、安物の、一足1000円からせいぜい1500円のスニーカーで歩いてきた。靴など安物でもいいと思っていたからだ。

 そして、歩いていても格段安物で不便だと思ったことがなかった。それしか知らないからであった。

 ところが、2年ぐらい前に、通信販売で10000円余りのミズノ製ウオーキング専用靴を試しに買った。確かに履き心地が違うことがわかった。足元が引き締まって颯爽として歩ける感じなのだ。

 これまでの安物の靴との違いを認識するのは、靴の踵が磨り減って修理をしている間、以前の安物を履いたときである。

 踵の修理には、SHOE  GOOという粘っこいものを磨り減ったところに塗って直すのだが、固まるまで4日間放置しておく。その間は安物を履くことになるのだ。

 現在そうしているのだが、歩きにくいこと、おびただしい。颯爽と歩こうと思っても歩けないし、指の辺りがしっくりこなかったり、痛かったりするのだ。以前はこんな靴でよくも歩けたものだと思った。

 いったいどの靴がいいのかいろいろと試した訳ではないのでわからない。普段履いている17000円もするアシックスの靴よりは、ミズノ製の方が歩きやすい。

 新聞広告を見ていると、5000円でウオーキングに最適などと宣伝しているのもある。いったいどれがいいのであろうか?

 いずれにしても1000円や2000円の靴ではよくないことだけははっきりした。

 下図はよく似てはいるので、私の買ったもの(4E)と多分同類だと思う。

 

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2009年3月30日 (月)

名古屋の桜の名所山崎川の桜はまだ 

 この所寒い日が続いていて、早春賦の歌詞にあるような「春は名のみの風の寒さや・・・」の通りで、冷たい風が身にしみる。

 毎朝歩いている山崎川の桜も、気象台の予報通りに3月20日には開花したが、その後は少し花をつけた木が見られるくらいで、若木などはまだつぼみのままでじっとしている。

 最初は、今年の入学式には桜は終わっていると予想していたが、この分では何とか持ちそうな気配である。

 瑞穂運動場の近くの川には10日ほど前からシラザギと鵜が見られるようになった。

 始めは、シラサギが2羽、真っ黒い鵜が一羽してシラサギは鵜が水にもぐっている傍に立っていた。鵜の方は時々魚を捕まえるのだが、シラサギはお互いに喧嘩をしていることもあった。

 野鳥の会会員の知人に聞いたら、シラサギは鵜がもぐって魚を取るときに逃げてきた魚を捕まえるのだと言った。

 その後シラサギは5羽に増えたが、今朝は、鵜の方は8羽ぐらいが水にもぐって盛んに魚を捕っており、傍に2羽のシラサギがいて、時々おこぼれにあずかっている様子であった。

 桜並木の下には、雪柳がまっ盛りであるが、こちらの方も例年より花が長く咲いているようだ。

 桜の満開が近づくと、目白がやってきて桜の花びらをちぎって落とす様子がみられるが、今のところは、ヒヨドリだけが数少ない花をちぎっている。

 桜の満開が待たれるが、ゆっくりと来て欲しい気持ちもある。

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2009年3月29日 (日)

イージーリスニング・ミュージック

Originalalbum  このblogを始めた頃にいいスピーカーを買ったことを書いた。以来、CD音楽をかけるのが以前より楽しみになった。

 最近は、妻が起きる頃にはイージーリスニング・ミュージックをかけることが多い。起きる前に音楽が鳴っていると目覚めがいいいと妻が言ったからである。

 ポールモーリア、レーモン・ルフェーブル、フランク・プールセル、リチャード・グレーダーマン、アルフレッド・ハウゼ、マントバーニー、エドモント・ロス、101ストリングス、フランク・チャックスフィールドなどなど、 かつて一世を風靡したオーケストラの演奏である。

 そうした音楽をBGMとして聴いていてふと思ったのは、最近はこうしたメロディーのきれいな音楽が流行らなくなったということだ。

 ロックが隆盛になって以来だと思うのだが、音とリズムの激しい騒々しい音楽が好まれるようになり、昔映画やSP,LPで盛んであったロマンティックで美しいメロディーの音楽が演奏されなくなった。

 ただ月に1回「魅惑のポップス」という番組がNHKのBS2で放送される程度である。

 イージーリスニングは名の通りで、気楽にBGMとして聴くことができ、リラックスすることができる。

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2009年3月28日 (土)

プッチーニ生誕150年記念映画「ラ・ボエーム」

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 ミリオン座で、プチーニ生誕150年を記念して作られた、オペラの「ラ・ボエーム」を観て来た。

 ベルランド・ビリー指揮のバイエルン放送管弦楽団とバイエルン放送合唱団の演奏である。

 ヒロインのミミはソプラノのアンナ・メトレプコ、ロドルフォには、テノールのローランド・ビヤソン、ムゼッタにニコル・キャベル(ソプラノ)、マルチェロにジョージ・フォン・ベルゲン(バリトン)。

 ストーリーは、オペラに共通の単純なもので、ラブストーリーだ。

 詳しいストーリーは、http://laboheme.eiga.com/

 全編オペラという映画を観たのは初めてである。ラ・ボエームの舞台は観た事がないのでラ・ボエーム自体初めてということになる。

 キャスチングはよくて、それぞれの役にはまっていたし、セリフが全て歌というのもよかった。

 以前にオペラのビデオ映画で、部分的に歌を取り入れたものを観た事があるが、それよりも全部がオペラというやり方がよいと思った。

 舞台パリだが、歌はイタリア語であった。定評ある戸田奈津子の字幕であったが、彼女がイタリア語も堪能であるとは知らなかった。

 雪の場面が長くて、字幕が読めないことや、字幕を読むために、歌に集中できないということがあったのはちょっと残念であった。

 ミミとロドルフが顔がくっつかんばかりにして歌うシーンがよくあったが、大声で歌うのときには、実際はどんな感じになるのだろうと思った。

 この映画を観て、更に舞台を観るとよいだろうと思う。

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2009年3月27日 (金)

WBC連続優勝の「侍JAPAN」

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  2009 WBCは、侍ジャパンが韓国を下して連続優勝を果たした。

 9時50分から始まるというので、テレビをつけたら、開会前の状況から放送するという熱の入れようであった。

 野球解説者の事前予想では、僅差の緊迫した試合になるということ、先制点を取ったほうが勝つということであった。

 韓国の先発奉重根にはこれまで苦汁を飲まされているので苦しむだろうという予想であった。一番打者のイチローがヒットを放ったのは日本チームを元気付けるのに役立った。

 3回に先制点を入れたのはよかった。ジンクス通り勝てるのかと期待を持たせる得点であった。イチローのセイフティバントが絶妙であった。

 日本は、再三のチャンスを作ったが、あと一発欲しいというところで点が取れなかった。そのチャンスは、いつも城島が打者のときに回ってきた。しかし、彼は打てなかった。もし、彼が一発でも打っていればあれほど苦しむことは無かったと思う。

 韓国の投手は、先発も、次の鄭現旭もよく頑張って、ここぞというときに踏ん張った。

 日本の先発、岩隈は低めに珠を集める素晴らしいピッチングをして安心してみていることができた。

 双方の投手がよかったので、緊迫感のある試合となった。

 9回に登板したダルビッシュは、あと1球というところで同点打を打たれ、もうこれでおしまいかと思ったが、10回の反撃は見事であった。

 イチローが、ファウルで粘った挙句、見事に2点打を放った。これほど劇的なシーンはめったに見られない。後でイチローが「神が降りてきた」と言ったが、まさにイチローに神が降りたのであろう。

 それにしても韓国の監督があの場面でイチローを敬遠しなかったのが不思議である。何故ならその前の回で青木だったかを敬遠しているからだ。だから当然敬遠ありだと思っていたら、真正面から勝負を挑んできた。天晴れと言うべきであろう。侍ジャパンとの真剣勝負だったのだ。

 WBCは韓国と日本というアジアの国のチームの決戦となったが、これは象徴的な出来事であった。アメリカやキューバなどの強豪を抑えての決勝進出であったからだ。

 もう一つ。日本と韓国の間が野球を通して友好を深められたということだ。準決勝をかけた試合で日本が韓国に負けたとき、韓国チームはマウンドに韓国旗を立てた。日本を挑発する行為ともとられることであった。それを乗り越えての決勝戦であったと思う。

 これからは中国チームも強くなるだろうし、オランダやオーストラリアも強い。WBCが更に面白くなることを願っている。

 問題点は、WBCの運営で、MLB(大リーグ機構)が牛耳っていることである。試合の組み合わせだけでなく、金銭面でも不公平だ。MLBと大リーグ選手会が33%づつ取り、日本は13%しかないと言う。しかも、収入の半分以上は日本マネーだと言うのだ。

 

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2009年3月26日 (木)

NHK「プーチンのこどもたち」からロシアの軍人養成

 NHK番組「プーチンの子どもたち」を見た。ロシアには、プーチンの進める”強大なロシア”政策により、100校ものガディットと呼ばれる少年軍事学校があるという。

 13歳から17歳までの優秀な少年を集めて徹底的に愛国心を叩き込み、将来の優秀な軍人の基礎を作るのだ。

 競争率は、8倍もあるので入学は簡単ではないが、その学校に入れたい親が多いそうだ。軍の大学に進み、軍隊に入ればよい給料が保証されるからだ。

 ロシアには、何と560万人の軍人がいるのだそうだ。プーチンは、そのうち100万人を愛国心で固まった優秀な軍隊にしたいらしい。そのために、経済不況でも軍には金を惜しまないと言っている。

 極寒の地で、少年たちは、徹底的に愛国心―ーロシアのために忠節を尽くし命を捧げる心ー―を鍛え、体を鍛えられるのだ。

 一方で、軍の中には暴力などがはびこっていることに危惧する”兵士の母の会”の人々や誤ったナショナリズムに警鐘を鳴らす人もいる。

 私は、戦前の日本軍を思い出した。天皇陛下のために命を投げ出すことが愛国心とされ、徴兵制度の下で兵士は上官の暴力に耐えなければならなかった。

 自分自身を振り返ってみても、子どもの頃は、軍人に憧れ、天皇陛下に忠誠を尽くすのは当然だと思っていた。

 少年の頃から徹底してそういう教育を受けると偏った恐ろしい軍人を育てることになるだろうと恐れる。

 余談だが、私は、鉄砲を一度も触ったことがない。

 中学のときに、玩具のピストルを改造し、コーモリ傘の柄をつけて、魚釣りの鉛の錘が飛び出るようにしたので遊んだことと、叔父が持っていた空気銃を発射したことだけだ。空気銃もそれで雀を狙ったことはない。

 この歳まで鉄砲に触れることなく来られたことを誇りに思う。

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2009年3月25日 (水)

アメリカB29爆撃機の日本無差別爆撃

 3月は、太平洋戦争末期の1945年にアメリカが日本に最後の止めを刺すべくB29による日本の都市への無差別爆撃を加え始めた忌まわしい思い出の月である。

 それまでに1942年4月12日にB25、16機による本土初爆撃が行われた。東京、横浜、名古屋、神戸など6都市が爆撃された。その後軍事施設をターゲットとする爆撃が繰り返された。

 それが都市への無差別爆撃に変わり、1942年3月10日の東京大空襲となった。未明に約300機のB29が東京の下町に2000tの高性能焼夷弾を投下して、焼き尽くした。100万人が住居を焼かれ、10万人が死に、11万人が傷ついたと言われる。

 続いて12日には、我が名古屋にも288機のB29が来襲し死者519人を出した。14日には、大阪を279機のB29が襲い3115人の死者を出した。17日には、307機が神戸に爆撃を加え、死者が2598人出た。

 B29による執拗な爆撃が続き、それは地方都市へも広がって行った。

 私は、当時小学校4年生で、和歌山県新宮市に住んでいた。陸の孤島と言われた僻地であった。ところが、本州の最南端紀伊半島の串本を目指してサイパン島などから飛来したB29が毎夜上空を飛んで名古屋方面や関西方面に行ったのである。

 NHK第一ラジオは、その度に「中部軍管区情報。敵のB29○○機が××方面に向かっている・・・」という情報を流した。

 上空を通過するB29の低周波の不気味な爆音がブーンと唸って耳に入るのであった。その度に、防空壕に飛び込んだのだ。

 ある夜、防空壕に入っていると爆音が近く辺りが明るくなった。入り口から首を出すと、空には糸を引いて雨のように落ちていく光があった。焼夷弾などが投下されたのだ。

 標的は駅から太平洋に近い熊野地という地域であった。その地域の住宅は焼かれてしまった。

 後で聞くと、何でも、空襲の帰りの飛行機が焼夷弾などを減らすために投下して行ったのだということであったが、日本中の都市が全て無差別攻撃されたのだから荷物減らしにしても意図的なものであったに違いない。

 都市には、住宅が密集し、一般の市民が生活をしていることを知りながら平気で空襲をし焼き払う行為は戦争犯罪である。しかし、戦勝国アメリカは咎められることはなかった。そして、日本人もアメリカの行為に抗議をする人は少なかった。

 原子爆弾の投下のみが大きく取り上げられているが、アメリカの無差別爆撃も同じ重さで糾弾されて然るべきだと思う。

 「米戦略爆撃調査団報告書」によれば,太平洋戦争を通じ,アメリカ軍が日本本土に投下した爆弾・焼夷弾の総重量は161,425トンで,その内訳は6,740トン(海軍航空隊),7,109トン(極東空軍),147,576(在マリアナ第20空軍のB29)で,その空襲は353回にわたり,延べ51,903機に及んだという。(この部分は引用)

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2009年3月24日 (火)

刀削麺

 連休を利用して来ていた娘夫婦が帰るので刀削麺を食べに行った。もともとは息子の好きな食べ物なのだが、話を聞いた婿が食べたいと言ったのである。

 名古屋に幾つかの店があるが瑞穂通にあるチェーン店の一つに行った。11時半の開店と同時に店に入った。壁にはお勧めのランチメニューが貼ってあった。

 刀削麺を使った、坦々麺、麻ラー麺、豚骨麺、醤油麺の4種類とチャーハン、中華飯、回鍋飯、天津飯のそれぞれ4つから組み合わせができ、750円である。

 私は、麻ラー麺と回鍋飯の組み合わせにした。

 刀削麺はガラス張りの仕事場でお上さんが削った。左肩に当てた板の上に麺のもとの塊を載せて右手の刀でサーッサーッと削るのだ。

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 私は、以前北京旅行に行ったときに、本場刀削麺の店に行ったことがある。そのとき、刀削麺を削らせて貰ったのだが、始めてということもあり、簡単ではなかった。店の人が削ると簡単そうで同じ厚さに削っていくのだが、素人がやると厚さも形もまちまちである。

 刀削麺というものがあることはそのときに初めて知ったし、食べたのも勿論初めてであった。

 今回は、それ以後3回目ということになる。

 最初、刀削麻ラー麺が運ばれてきたときに、一口汁をすすってその辛さにびっくりした。さすがは四川風味の辛さだと感心したのだが、辛かったのは辛しの固まったところだったのだ。よく混ぜたら辛味は減じた。

 刀削麺は柔らかくてどことなく名古屋名物のきしめんに似たところがあると思った。味はなかなかよかった。

 回鍋飯はぶつ切りのキャベツと豚肉に甘い味噌味がつけてありそれをご飯の上に載せてあるのだが、たいしてよくはなかった。

 飯のなかで一番よいのはチャーハンだった。

 サービスで薄い珈琲がついた。

 ちなみに刀削麺の単品は530円である。

 刀で麺を削るというやり方が独特で面白い。これは中国の固有の食文化の一つである。

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2009年3月23日 (月)

物を丁寧に作る精神

 今朝の中京テレビ、ウエークアップで、中谷巌氏が、バンパーの裏側まで磨く話を紹介していた。日本の自動車会社では、見えないバンパーの裏側までを磨くことに中国人留学生が驚いたというのだ。

 中谷氏は、それが日本人のよさで、結果的に故障のないメカに仕上がることにつながっていると言っていた。

 それで思い出したことがある。以前ベトナムに旅行したときのことである。ベトナムではバイクが洪水のように道路を走っている。その中で人気があるのは日本製だというのだ。

 ガイドに質問してわかったのだが、中国ではホンダのバイクにそっくりのバイクが作られていて、ベトナムにも輸入され販売されているという。外見も名前もそっくりで、価格は安いのだが、2年か3年で故障をしてしまうので、結局は中国製はよくないというのだ。

 ドイツ車でさえ故障が多く、イタリア車に到っては格好はよいが故障が頻発するそうだ。

 日本のバイクも車も故障が少ない。目の届かないところでもきちんと作ろうとする日本的発想の賜物であると思う。

 その日本的発想だが、それは長い日本の歴史の中で日本人に培われてきたものだと思うのだ。

 神代の昔から、自然を畏敬し、自然を大切にし、自然と共に生活してきた日本人は、物を大切にし、環境を簡素で清潔にする生活をしてきた。茶道、華道、書道、武芸、歌舞音曲、料理・・・・さまざまな分野で物を丁寧に扱い、大切にすることを心がけてきた。

 仏教では、便所の掃除を大切にする。学校教育でもトイレの掃除を生徒が行うし、教室や学校内の掃除も生徒が行う。

 昔、軍隊でも兵器の状態を最上に保つことや兵舎、艦内の清掃も強調されていた。

 こうした日本文化の伝統の延長線上に、バンパーの裏側まで磨くということがあるのだと思うのだ。

 こういう日本的精神はいつまでも大切にしたいものである。

 

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2009年3月22日 (日)

羽毛掛け布団は素晴らしい―ー探偵ナイトスクープの実験

 「探偵ナイトスクープ」は関西テレビ製作の番組で、22年も続いている人気番組である。名古屋地方では、金曜日の夜11時半ごろにメーテレで放送されている。私は、この番組が大好きで欠かさず見ている。

 先日、この番組で面白い実験をした。それは、ある若い女性の視聴者が、「羽毛布団の限界を試してほしい。できれば北海道の景色がよいところで。」と提案したものを取り上げたのだ。

 提案者の女性と探偵の石田靖が北海道の風光明媚な湖に出かけた。周囲には雪が積もって凍り付いていた。気温は-7度だと言っていた。

 その湖辺に寝床を作り羽毛布団を1枚体に掛けて入るのである。女性は普段自分が使っている布団を持ってきていた。石田靖は番組が用意した羽毛布団に包まった。

 実験開始して一時間、2時間と経過しても布団の中は温かいのだという。予想に反して夕方日が暮れるまで布団に入っていても首の周りや足の辺りから空気が入らないようにしていれば温かいのだそうだ。

 この実験によって羽毛布団の凄さが証明されたと言えよう。

 私は、昨年暮れに20年近く使った羽毛布団を買い換えた。ハンガリーのグースの手摘みのダウンを使用した上等のものをバーゲンで格安に買ったのだ。

 買い換えるときに、業者は大体は10年持てばいいと言っていたが20年ほど使ったというと驚いていた。

 以前の羽毛布団の経験からも、冬でも羽毛布団1枚でポカポカと温かいことはわかっていた。また、初夏になって気温が上がっても温度を調節してくれる優れものだ。

  極寒の地で水の上で過ごすグースは自分のダウンだけで平気なのだ。自然というのは何と素晴らしいのだろうと改めて感じた。

 その素晴らしさを証明したのが今回の実験で、拍手を送りたい。そしてグースに感謝したい。

http://www.asahi.co.jp/knight-scoop/

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2009年3月21日 (土)

若さ溢れるジャズ演奏

  3月18日、中川文化小劇場へMEION JAZZ ORCHESTRA コンサートを聴きに行った。

 名古屋音楽大学にジャズを勉強する科ができたのが5年ぐらい前かと思うが、その学生を中心に作られたバンドのようだ。総勢28名ぐらいのビッグバンドであった。

 タイトルは、”STRAIGHT AHEAD SOUNDS"で如何にも若者らしい。

 First Stage

  Lazy Bird, Dolphin Dance, A Nightingale Sang in Berkeley Square, The Lady is a Tramp. Samantha, Make me Smile, The Crescent City Stomp

Second Stage

 Granada Smoothie, The Very Thought Of You, Over The Raimbow, All Right,Okey,You Win,  Soft Light And Sweet Music,  In A Scentimental Mood, Little Pixie,  Dancing Men

 第2ステージには、ゲストとしてTenor  Saxの小濱安浩、Vocalの森久子、Pianoの水野修平、Guitarの野田住職が出演した。

 オープニングは多少緊張があったのか、おとなしく入ったが、演奏が進むにつれて乗ってきて、最後はハチャメチャとも言えるほど爆発していた。

 金管とピアノとベース中心のバンドだが、中にはいろいろなパーカッションを加えたのもあって楽しく聴けた。

 ジャズのINSTRUMENNT プレイヤーに女性が5人ほどいたのでびっくりした。女性は普通Vocalistとして参加するものと思っていたからだ。

 でも、彼女らのソロの演奏はとても素晴らしかった。

 400名ぐらいの小劇場にスピーカーを持ち込んで金管で演奏するので、大音響で圧倒された。

 若さが溢れる好演奏であった。

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2009年3月20日 (金)

NHK番組プロフェショナルからー―中澤佑一に感動

  毎週火曜日の夜10時から、NHKプロフェショナルという大変興味深い番組が放送されている。脳科学者の茂木健一郎氏がキャスターを務めている。日本のさまざまな分野の優れた活動をしている人が取り上げられていていつも楽しみに観ている。

 最近放送された中から、幾つか取り上げたい。

 今週は、サッカー日本代表チーム主将の中澤佑二であった。彼は、「雑草から這い上がった選手」として紹介されていた。

 サッカーを始めたのが、小学校6年生のときだという。野球をやっていたのかどうかはわからないが、珍しくスタートが遅かったのだ。その上、サッカーが下手でいつも叱られていたそうだ。

 高等学校は公立でサッカーがそれほど強くも無いところを選んだ。レギュラーになれると考えたようだ。しかし、そこでも彼は下手な部類の選手であった。

 ただ、彼は自分が下手なことを克服するために人一倍の練習をしたのだという。高校時代の監督の話では、運動場での正規の練習が終わると、電灯がある体育館に行き、夜遅くまで練習を続けたそうだ。監督が音をあげて「俺にも家庭があるからせめて10時には帰らせてくれ。」と言ったというエピソードを披露していた。

 中澤は高等学校を卒業すると、自費でブラジルにサッカーの勉強に行ったが、そこでも1年で「下手だからもう練習しなくてもいい。」と追い出されたそうだ。

 彼自身が語ったところによると、高校の頃も含めて、ただ練習に明け暮れした。友だち連中が、遊びに行ったり、恋をしたり、カラオケをしたり・・・といったことをしているのにひたすら練習に打ち込んだそうだ。

 しまいには誰も彼を誘わなくなったという。

 そういう努力を重ねて”下手な選手”が20歳のときにJリーガーへのチャンスを掴んだのだ。

 以来、31歳の現在まで常に練習一筋でやってきた。練習場には誰よりも早くはいるそうだ。

 酒は一滴も飲まず、夜10時に床に就き、朝6時に起床するというストイックな生活を続けている。彼の風貌からは想像もつかないことだ。

 この番組を観て、彼のような人こそ、常人の鑑だと思った。それこそ文部科学省は道徳の教科書で取り上げるべきである。

 「雑草」つまり極普通の人が人知れず努力をして一つの位置をかちとったのだ。世の中には、人並み優れた才能を持っていてその上に人一倍の努力をして高い位置に至る人はいる。それは、常人には望み得ないことである。

 彼の場合、謂わば、喩えはよくないが、駄馬が中央競馬で優勝したのと同じである。(そういえば競馬の世界にもそういうことがあったなあ。)

 彼のこれまでの生き方は、普通の人に「やればできる」という勇気を与えると思うのだ。この世界的大恐慌の中で、職を失った数多の人々、とりわけ将来ある若い人たちにも希望を与えるものだと思う。

 

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2009年3月19日 (木)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで (5)

 年収200万円以下の人が1100万人以上となり、 世界的経済不況の下で更に増加するものと思われる。

 今の時代、年収200万円以下ではかなりきついし、家族があれば生活保護世帯以下の場合もあるといわれる。

 江戸では、「宵越しの銭は持たない」と言われたが、前にも書いたように妻子の口を何とかすればよしとされていた。

 江戸では、僅か1/6の面積に100万~120万人の半分を占める庶民が暮らしたので、長屋住まいで押入れも無い4.5畳一間と土間だけの住居だったという。

 杉浦氏は「ライフスタイルは、『三ない主義』と言って、三つがない。」と書いている。

 一つは、モノをできるだけ持たない。

 二つ目は、出世しない。

 三つ目は、悩まない。

 調査した機関を忘れてしまったが、世界で一番家の中の物の種類と数が多いのは日本人だそうだ。それは現代の話で、しかも、調査が行われたのはバブルの頃だったからそうなるのも当然である。今ならある程度は少なくなっているだろう。

 それにしても、僅か100数十年前までは、家財道具は必要最小限度で暮らしていたのだ。足りないものは、お互いに貸しあっていたことは落語にも出てくる。

 江戸の人は、何でも徹底的に使い尽くしたと言われる。この頃ではなくなってしまった”繕う”ということが当たり前であったし、他の用途に転用して行くこともしたので江戸ではゴミが殆ど出なかったそうだ。

 最後は燃えるものは燃やして肥料にでもすれば完璧である。

 年収200万円時代になっても、江戸の生活をすれば何とかなると言いたいのではない。そんなことを言うと企業や政府の思う壺になってしまう。

 ただ、江戸人が264年間の太平の間に培ってきたライフスタイルに驚くのである。

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2009年3月18日 (水)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで (4)

   杉浦日向子さんの本を読むまで、恥ずかしい話だが、江戸の時間の観念については殆ど知らなかった。

 「ご存知のように、江戸は不定時法で、日の出から日の入りまでを六等分。夏の一時(いっとき)と冬の一時では、40分ぐらいの開きがあった。季節と自然に寄り添っていた。」と書いている。

 時計がなかったのだから、当然と言えば当然のことである。太陽の位置や傾き具合、夜は月の様子を観察して時間を知っていたそうだ。また、咲く花の種類や植物によって何月だとかを知り、星座によって季節を知ったという。

 一番細かい時間の表し方が”小半時”(約30分)だったそうだ。今はソーラー電波時計でも安く買えて、ほぼ永久に時間が狂いませんと宣伝している。私も電波腕時計をはめ、家にも電波掛け時計があって、正確な時刻を知ることができる。

 時計がなくても、NHKの毎時の時報は正確だし、携帯電話も時計を蔵している。

 江戸時代には、「恋人同士が”暮れ六つ”に雷門で待ち合わせ、と約束すると、約2時間の幅があるのでそれだけ待つ覚悟だった。」と書いている。

 私たちは、バスが5分も遅れるといらいらするし、会合などでも定時に始めようとする。

 江戸時代には、「時間が無い」という言い方はなかったらしい。時間は無尽蔵なものと考えていた。

 現代のように、絶えず時間に追われることがなかったのだから、そういう意味でのストレスはなかったに違いない。

 現代人の時間観念は一定の時間の中にできるだけ効率よく仕事を詰め込むかが大事で、その最たるものがトヨタの看板方式であろう。効率が金を生むという製造業での考え方である。

 皮肉なことに今回の経済大不況で労働時間が大幅に減ってしまい休業に追い込まれたが。

 「江戸の人たちにとってのよい時間とは、『ああ、おいしかった』とか『ああ、嬉しかった、面白かった』、つまり感動があった時間だった」と書いている。

 もちろん私たち現代人にとってもそれはよい時間ではある。ただ、我々は絶えず時間というものを意識して行動するが、江戸時代にはおおまかにしか意識しなかったということだろう。しかし、その違いは大きい。

 杉浦氏は、自分の時間をたっぷりと持っている人がリッチで、必ずしもお金や物をたっぷりと持っていることではないとも書いている。

 さしづめ私などは極めてリッチということになる。

 そうは言っても食べるに事欠いてはいけない訳で、生きていくに必要なエネルギー相当量の食べ物が食べられることが必要条件であろう。

 幾ら時間があっても、仕事を探さなくてはならないとか住むところもない状況では困るのだ。

 

 

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2009年3月17日 (火)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで (3 )

三行半を書いたのは誰か―杉浦日向子の「私の惚れた『江戸』」から

 以前は、女性は、「三界に家なし」、「子にあっては親に従え、嫁しては夫に従え、老いては子従え」、と言われたものだ。

 しかし、そういう美徳を強いられたのは、僅か人口の一割の武士階級と上流町人だけであったようだ。

 江戸では、家名も無く資産も無い裏長屋の住人のカカア大明神は、夫にも子にも縛られず自由奔放に逞しく生きたのである。

 カカアの殆どは仕事を持っていた。今で言う職業婦人である。違うのは、今の共稼ぎと違い、自分が働いて得た金を家計の足しにはしなかった。何故なら妻子を養うのは夫の唯一の使命であったからである。

 専ら自分のために働き、自分の楽しみにお金を使い、金を貯めたそうだ。経済力があったのだ。亭主より高収入の場合も多く、カカアの方が決定権を持っていた。亭主を尻に敷いていたのだそうだ。

 妻子を養う亭主は、妻子が腹を空かせなければ面目が保てた。餌を運んでくる鳥のようなものであった。その他の入り用に困ったときはカカアが勝手に工面をした。カカアの着物、手習いの費用はカカアの受け持ちであったのだ。

 江戸の夫婦は今よりも互いに自立をしていたのだ。甲斐性のある亭主は、ときたま色町に行って遊ぶことは大目に見られていた。

 江戸では、男の人口と女の人口は21であったと言う。だからオトコがオンナを見つけるのは至難の業であったらしい。現在も独身男が多くて結婚が難しいようだが、その比ではなかったのだ。

 外にはオトコが幾らでもいるし、経済力もあったから、カカアの浮気もあったそうだ。

 ◎ 馬鹿亭主うちの戸棚が開けられず

 戸棚を開けると間男が出てきてしまう。折角手に入れた女房を離縁するわけにはいかなかった。

 ◎ 間男をするよと女房強意見

 女性上位が見に見えるような一句である。

 ◎ 惜しいこと色を亭主にしてしまい

 間男の方がいいと思っていた男を亭主にしたら詰まらなかったというのだ。

 ◎ 間男が抱くと泣き止む気の毒さ

 亭主よりも間男の方に子供がなついているのだ。

 ◎ 死なぬうちから女房は人のもの

 結婚難なので、女房のあとの事を託す亭主が多かったようだが、女房は次のオトコに困ることは無かったと言う。

 どうやら江戸は女性天国であったらしい。

 今の若い女性は積極的で男性遍歴をする人も多いようだが、江戸では若い女が男を引っ掛けることが多かったようだ。

 ◎ この頃の娘の偏はけものなり

つまり、娘は狼だというのだ。

◎ 癇癪のように目をする色娘

色とは不特定多数の恋愛のことだそうだ。しかも、ヒステリックな目をする女が色っぽいというので、色っぽさには美人である必要は無かったのだ。

◎ 色娘面白いくをして太り

面白いくとは色事のことで、「く」は複数の色事を表し、太りというのは妊娠したことだという。妊娠して父親がわからないということは多かったそうだが、それで娘が傷ついたとか不謹慎であるとは捉えなかった。

◎ 目をぱちぱちで誘い出す憎いこと

娘の方が男性をリードしていたことがわかる句だ。

男の数が女の倍で、男子にとって結婚は難しく、一度運よく結婚すると離婚などとんでもないことであった。しかも、女房は仕事をして経済力もあったので、山の神になるのは当然の成り行きであったに違いない。

だから「三下り半」はカカアが亭主に無理やり書かせたのだという。「三下り半」は「再婚許可証」であったのだから、それを書かせる必要があった。コブつきでも何でも、亭主の次は幾らでもいたからだ。

一方女房に去られた亭主の方は哀れで、「次」はまずない。女房に去られたら致命的で、社会的信用を失墜し、仕事さえ失い、江戸を離れて地方で暮らす者も多かったと言う。

この十年ほど來、男性の結婚難が続いていて、今の若い人は気の毒である。その第一の理由は何と言っても収入が少ないことで、それで家庭を持つことが困難になって来ているのだ。江戸のように食べさせておけば後は女房が何とかしてくれるという気風のよさを女性に求めることもできない。今の女性は、「あわよくば三高を」と考えている。

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2009年3月16日 (月)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで ②

 米という字は、八十八とも言って米寿を表す。杉浦日向子さんによると、米つまり八十八には二つの意味があると言う。

 一つは、食べられる米になるまでに八十八の手間があるのだという意味である。

 大昔から日本人の大切な主食である米を作る稲作には、田を起こし、代掻きをし、水を入れ、苗床を作り、籾を水に浸し、種籾を撒き、苗を育て、田植えをし、草取りをするなどの作業から、案山子を作り、稲刈りをし、乾燥をし、脱穀をし、籾摺りをし、俵に詰め、精米をするなどの作業を経てやっと米になるのだ。

 もう一つの意味は、八十八の利用法があるということだ。

 米には捨てるところがない。米自体、ご飯にしたり、酒を造ったり、餅にしたり、お菓子にしたり、接着剤にしたり、さまざまな利用法がある。

 稲藁は、昔は草鞋、敷物、俵、縄などになったし、牛や馬の飼料に混ぜたり、牛小屋などの敷き藁にも使われた。畑の作物の保護にも役立った。また、正月の注連飾りや藁人形などの飾りとしても使われる。

 屑藁は燃料や壁土に混ぜて補強剤にした。燃やした後の藁灰は肥料や酒造り、染色、釉薬、製紙、洗剤などにも使われた。

 子どもの頃、油の付いた食器を灰で洗うときれいになったのを覚えている。火鉢を使っていた頃は、火鉢の灰としても使った。

 籾殻も子どもの頃はりんご箱やサツマイモの保存にも使われた。

 精米したあとの糠も大根や人参などの糠漬けに欠かせないし、江戸時代には風呂で使う糠袋としても重宝された。

 糠からは近代になってビタミンなどの薬も抽出されている。

 米は778%の高い関税を掛けて国内で賄うように保護されているが、米の消費が減少してきて、減反政策が採られているのは残念でならない。そういう私自身も一日に茶碗に大盛り一杯のご飯しか食べないのだが。

 つけたしだが、3月13日の朝刊に、義務として輸入している77万トンの外国産の米から次々にカビが見つかったという。

 カビが見つかった米は捨てられるというのだが、エタノールにして燃料として使えばよいのになぜ捨てるのだろう。

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2009年3月15日 (日)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで ①

 図書館で杉浦日向子さんが書いた「うつくしく、やさしく、おろかなりーー私の惚れた『江戸』」(筑摩書房刊)という本を偶然に見つけ借りてきた。なかなか面白い(興味深い)本である。

 杉浦さんは漫画家で江戸研究家としても知られていたが、惜しくも早世された。

 いろいろな雑誌に書かれたことや講演を集めた本である。

 その中の「江戸・遊里の粋と野暮」という題の講演が面白い。

 子どもの頃、遊んでいて夕方になると「ご飯だよ」とよく呼ばれたものだ。だから食事のことを丁寧に言うと「ご飯」でそうでない言い方が「めし」だと思ってきた。

 ところがこの本によると、江戸時代には、精白した米の炊き立ての状態をご飯と言ったというのだ。つまりまだ湯気がたっているものだそうだ。

 「ご飯ですよ」と言うのは、江戸の地方言葉で江戸特有の言い方だったという。将軍のお膝もとの江戸では長屋の住人までが白米を常食にしていたという。

 私は、健康のために数年前から玄米を主にして食べているが、江戸時代は江戸以外では玄米や雑穀を食べていたようだ。それを「めし」と呼んでいたそうだ。つまり「めし=食事」のことであったのだ。 ”松茸ごはん”、”栗ごはん”五目ごはん”などというのは、全て間違いで”松茸めし”五目めし”が正しい言い方だったという。 「ご飯」も冷めると「冷めし」になり格が下げられた。

 林文子の有名な小説に「めし」というのがあるが、彼女は尾道の出身だから”めし”なのかも知れない。

 私の推測では、明治以後白い米を食べられる人が増えて「ご飯」が東京から地方へと広がったのかもしれない。或いは白いご飯に憧憬があってご飯を食べられたときにそう言ったのだろうか?

 現在では、パン食でも「ご飯ですよ」という。「パンですよ」とは言わない。江戸の人が聞いたらびっくりするだろう。

 日常茶飯のことでも知ると驚くことがあるものだ。

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2009年3月14日 (土)

どうやって生き延びる?ホームレス

 湯浅誠氏は、「いろいろな手立てを尽くしてどうにもならなくて、しかも、自殺しなかった人がホームレスになる。」という意味のことを言っている。

 そのホームレスが生きるためにできることは、”アルミ缶集め”であるが、頼りとするアルミ缶の値段が経済不況で急落したままである。

 以前にも書いたが、友人の知っているホームレスKさんの話の続きである。友人は最近Kさんに出会ったので話を聞いたそうである。それによると、Kさんはアルミ缶を集めて売りに行ったが何と100kgもあったそうである。

 それが幾らで売れたのかと尋ねると、3000円だったそうである。1kgが30円の計算なのだそうだ。Kさんはこまめにメモをつけていて、それだけ集めるのに実働38時間だったそうだ。

 3000円÷38時間=78.9円

 つまり、時給にすると約79円にしかならないのだ。なにしろ100kgの空き缶を集めるには6025個も集めなくてはならない。大変な労働だと思う。Kさんはそれだけのアルミ缶を3日かけて集めたのだと言う。一日平均12時間半かかって、2008個集めたことになる。

 アルミ缶を集めるのも他のホームレスとの競争になるだろうから、12時間半もかかるのだと思う。

 定額給付金は12000円だが、アルミ缶400kg分である。約24100個分だ。ホームレスには有難いだろうと思うのだが、果たして彼らに行き渡るのであろうか?

 TVで見たところでは、ネットカフェなどに住所がないと渡せないと言っていたから、住所不定のホームレスは貰えないのではないだろうか。

 定額給付金が馬鹿げていることは以前にも書いたが、2兆円もの金があればいくらでもホームレスをなくせる筈である。

 食べることすらままならない日本のホームレス。政治の貧困も極まれりだ。

 ※竹中平蔵氏は、小泉内閣の経済担当大臣になった時、幻冬舎から出した著 書に「努力をした人が報われるのは当然だ。そうすることが大事だ。」と書いた。彼の念頭にあった努力をした人というのは、一生懸命に金を儲けた人のことで、その人たちの税金を少なくするのが大事だと言ったのだ。

 世の中には幾ら努力をしてもどうにもならない人がたくさんいる。その代表例がホームレスだ。湯浅氏が指摘するようにいろいろと頑張ったがどうしようもなかった人たちなのだ。

 湯浅氏が言うように、真ん中がくびれた瓢箪型の風船の上の口の方(金を儲けた人々)が竹中氏の言う努力をした人で、下の大きく膨らんだ部分(落ちこぼれや落ちこぼれかかった人々)は自己責任なのだ。

 竹中平蔵大臣が小泉首相とタグでやった結果がどうなったかは既に証明された。

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2009年3月13日 (金)

尻拭いをするアメリカの民主党

 1929年の世界大恐慌の時のアメリカ政権は共和党であった。その自由主義経済政策の下でウオール街はやりたい放題の金儲けをした。ところが、9月のある日突然に何の理由もなく株価が大暴落して、それが世界大恐慌の引き金となった。

 その後、民主党が政権を取ってフランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策を実施して経済の建て直しを図った。

 今回の100年に一回と言われる金融・経済恐慌も、元はと言えば、レーガン元大統領に始まる共和党の新自由主義経済政策が元である。ウオール街はまたやりたい放題の金儲けを企んで実行し、ブッシュ前大統領はそれを後押ししたのだ。

 その結果はまたもや世界の国々を大混乱に陥れた。中にはアイスランドやウクライナのように破産に追いこまれる国さえ現れた。

 そして、その尻拭いをするのがまたしても民主党であり、旗振り役がオバマ大統領である。

 なんと言う皮肉。アメリカの共和党が世界を混乱させ、その尻拭いを民主党がする。しかも、二回もである。

 自由主義、新自由主義は、経済のことは市場に任せておけで、その為にやりたい放題、金が儲けるためには何でもありであった。特にコンピューターの発達により、金融工学とやらが分けのわからぬ金儲け手段を考えてサブプライム問題に発展した。そして見事な破綻である。

 インターネットにより、世界は一体化してグローバル化したので前回の世界恐慌とは異なってアッという間に世界中を巻き込んでしまった。

 期待されて登場したオバマ大統領と民主党がやろうとしていることは、「社会主義」だとさえ言われているらしい。

 「2月16日付のニューズウィーク誌には “ We Are All Socialists Now(いまや我々はみな社会主義者だ) ” という記事が載っている。「社会主義者」たちの頭領はもちろんオバマ氏であるが、まさに米国は社会主義の対極にあったレーガンの時代から30年を経て社会主義化してしまったといえる。その一方でロシアは資本主義化し、構図はひっくり返っているといった様相である。」(大前研一氏の論文から)

 尻拭いをアメリカの民主党がやるのは勝手だが、その一端を日本も担わされるのだからたまったものではない。

  再び、大前氏の論文から引用しよう。

 「米国が国債を発行しまくって、では米国自体が倒れたらどうするのか。その質問は誰もしない。電車に乗っている人が「今乗っている電車が脱線したらどうするのか」を考えないのと同じ理屈である。将来的にこの借金を誰がどうやって返すのか――その質問もしない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではないが、非常に危険なところを渡っているという現状なのに、後戻りもできずこのまま進むしかない状態に米国は陥っている。

 麻生首相は喜んで尻尾を振ってワシントンに行ったが、結局はアメリカの国債をかうこととアフガン支援を強化することだという。

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 そういう意味では、米国は社会主義化したというよりも「全体主義化」したという感がある。しかも「東西冷戦」や「テロとの戦い」で全世界を巻き込んだのと同様に、今回のウォール街発の「金融危機」でも「危機」の原因となったサブプライム商品を世界中にばらまく、対策としての米国債を世界中に買うことを要請する、などにおいてやはり世界を道連れにすることは間違いない。麻生首相は先月24日、外国の首相としては初めてオバマ・ホワイトハウスに招かれた、と胸を張るが、何のことはない、「新しい米国の戦い」に貢ぐことを第一番目に要請されたに過ぎなかった。」

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2009年3月12日 (木)

「おくりびと」に感動

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 アカデミー外国映画賞を受賞して、人気が出た「おくりびと」を観に行った。最初、受賞の次の日に行ったら、映画館が小さいこともあって見られなかった。今回は600名入る大きい館で上映されたので券を楽に買うことができた。観客の殆どは高齢者であった。

 事前に何の情報も持たずに映画を観た。その方が感動が大きいからだ。私の想像では何か暗いイメージを持っていた。しかし、観終ってみるとアカデミー賞にふさわしい素晴らしい映画であった。

 まず、ストーリーがよくできている。脚本を書いた小山薫堂氏は脚本を書くのが初めてだということだが、構成が非常によくできている。

 始めに観客をワッを驚かす仕掛けや物語の縦糸としてストーリーをつないでいく「石ふみ」、亡くなった人が何度も出てくるのは当然だが、その種類と順番も計算されたものだと思う。

 それから、「おくりびと」の背景として山形の庄内盆地が選ばれたのもよい。山形市なのか酒田市なのかは私にはわからなかったが、庄内川の流れ、雪を被った山並、広がる田や畑、そこに住む山形訛りの人々など。

 また、生き物の配置もよい。産卵に来て命を費やす鮭、白鳥の群れ、圧巻は白鳥の飛翔である。

 主演の本木は戸惑いながらも納棺師として成長していく様子を好演している。社長役の山崎努も役柄にはまっていてよい。本木の妻を演じる広末も一度は拒否した夫を理解して行く姿を素直に演じているし、社員の余貴美子もはまっている。

 うまく笑いを誘い、泣かせるところもあり、暗いイメージはない。物語が進展する中で観客は自然に生や死や人とのかかわりや生き方などを考えさせられる仕組みになっている。

 映画の中のセリフに「人は生まれたときから死へ向かって生きているのだ」というのがあったが、本当は一瞬一瞬に死が影のように付き添っているのだ。

 火葬場で職員が、「ここは次の世への門です」と言っていたが、来世を信じるにしろ信じないにしろ人生の区切りとしての門ではあろう。

 私はこれまでに、幼少時の祖父の死から始まって近所の人や親戚、身内の多くの死を見てきた。昔は葬儀は家庭で行われたし、納棺は身内で行われた。それが葬儀は葬儀場で行うようになって納棺は他人の手に委ねるようになった。

 しかし、納棺師というものがあることは映画を観るまで知らなかった。自分の関わったこれまでの葬儀では、一番新しい母のときでも、葬儀屋の職員が納棺の手伝いには来ていたが、映画のような儀式はなかった。

 映画では、「ただ今から納棺の儀を行います」と言って、納棺師が家族などの見守る中で体を清めたり、着物を着せ替えたり、化粧をしたりするのだが、あのように丁寧にやってもらうのならそれもいいと納得した。

 

 

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2009年3月11日 (水)

生活保護世帯数が増えていく

  3月8日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事は、「生活保護世帯最多に」であった。今年一月に全国で116万8306世帯となり、前月より約8700世帯増えて過去最多となった。1月の生活保護申請も25529件と、前月比で約3割増えていた。」

 湯浅誠氏によると、日本の代表的なセーフティネットは一番上から労働市場の「雇用のネット」、その下にあるのが「社会保険のネット」で、一番下にあるのが「公的扶助のネット」の三段構えになっている。(国公労調査時報2月号)

 そのネットが上から破れて下に落ちていくのだ。一番上の「雇用ネット」は小泉・竹中構造改革以来弱くなり破れやすくなっていたのが、昨年9月に一気に破れた。

 次の「社会保険ネット」も湯浅氏によると、失業者の10人に2人しか雇用保険をもらえていないと言う。8/10の失業している人たちは、収入が無いということになる。貯蓄がある人は殆どないだろうし、あっても食い尽くしてしまう。

 そこで「公的扶助のネット」に頼るしかなくなるわけだ。生活保護がそれに当たる。それで生活保護世帯がどんどんと増えているのだ。

 湯浅氏は、生活保護は「政策的に増やされている」と指摘する。その意味は、小泉・竹中構造改革で非正規社員が約1730万人に達し、日本の労働人口の1/3を占めるまでになった。その人たちの第2のネットは弱く破れやすくなりところどころに大きな穴もあいた。政府も地方自治体も生活保護世帯を増やしたくないのだが、現実はその逆である。それが政策的に増やされたという意味である。

 昨日も書いたように、生活保護を受ける人とかホームレスになる人は、決してだらしないとか能力がないとか働きたくないとかいう理由でなったのではないのだ。

 いろいろと手立てを尽くした挙句万策尽きての結果なのだ。

 

 

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2009年3月10日 (火)

湯浅誠氏の「反貧困-今日の貧困問題と行政の役割」を読んで

 川崎の友人が、湯浅誠氏の「反貧困-今日の貧困問題と行政の役割」と題する講演のコピーを送ってくれた。国公労連2008年中央労働学校で行ったもので、国公労連調査時報2月号に掲載されたものである。

 開封すると、一気に読んだ。現在の貧困問題が大変わかりやすく話されている。

 湯浅氏は、岩波新書の反貧困の著者であるが、私はまだ読んでいなかった。彼はNHKの「どうする日本」に出ていた。また、文芸春秋の最新号での丹羽氏との対談にも出ている。こちらの方は読んでその分析に感心した。

 講演を読んで勉強になったことはいろいろとあるが、最も印象的であったところは、「椅子取りゲーム」の喩えであった。

 「世の中で一番不利な人ほど『完璧』を要求する日本の貧困」という部分に書いてあった。    

 厚生労働省のがホームレスをアパートに入れる時のチェックの項目として、例えば、炊事、洗濯、掃除、身だしなみ、金の使い方、コミュニケーリョン能力等15挙げているが、彼はそれを見たとき、これでは自分は絶対にアパートには入れてもらえないと思ったそうだ。なぜなら15項目の一つにでも反していたら駄目なのだそうだ。

 その文脈の中で、椅子取りゲームの喩えを出して、「・・・椅子を取れなかった人は何がいけなかったのか。その理由を、本人の運動神経とか性格とか太り過ぎていたとか幾らでもいうことができるし、それは当たっている。

 しかし、視点を変えて椅子の数に注目すれば、始めから椅子が足りないのだから誰かは取れないのだ。だから、ホームレス(貧困)になったのは本人の資質の問題ではなくて椅子の問題になるのだ。」という意味のことを言っている。

 思い出せば、昨年暮れの派遣村設置のときに、ある大臣が「この中には自分から好んでそうなってる人もいるはず」と言った。私の知人の中にもそういう意見の人が何人かいた。

 つまり、「自己責任」だというのだ。

 自分が悪いのだから救いの手を差し伸べることはないという論理である。そのための15項目である。けれども、私だって15項目に当てはめれば、どれかは外れるだろう。完璧な人なんていないのだ。

 麻生首相だって漢字が読めないし、東大出の升添厚生労働大臣だって何かの欠点はある。クリントン元大統領などはホワイトハウスで恥ずかしい不倫をした。

 貧困を個人の資質の問題にして自己責任で片付けられはたまらない。

 「仕事という椅子」を増やせばいいのだ。どんなハンディを持った人でもその人がやれることはあるのだ。英語には、differently abledという表現がある。人それぞれに違っていいのだ。

 政治の責任は、憲法第25条にあるように最低で文化的な生活を保障することなのだ。そのためにやるべきことは、2兆円の定額給付金ではなくて、仕事と住むところを与え病気や老後への不安を取り除くことなのだ。

 まず、「仕事という椅子」を確保することが今一番にやるべきことである。

 

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2009年3月 9日 (月)

日本語教室ポットラックパーティ

 3月7日の午後、愛知国際プラザで恒例のポットラックパーティが開かれた。国際プラザの日本語教室には、火曜日から土曜日まで8つの日本語教室がある。その学習者とボランティアが年に1回、年度末の3月に一堂に会して開くのだ。

 学習者は中国人が圧倒的に多いが、韓国、アフリカ、中南米、東南アジア、北米、ヨーロッパ、中東などさまざまな国の人が学習している。

 写真のように、各自が何でもよいから食べ物や飲み物を持ち寄って来るのだが、それぞれのお国振りの料理もあって楽しい。

  西安の名物料理を手作りしてきた人、インドネシアの民族料理を作ってきた人、韓国の巻き寿司を作ってきた人・・・・。

 私は、今年は、妻が早起きをして作ってくれたから揚げの一種と手の込んだ卵の料理を持って行った。

 立食だからテーブルを回って珍しそうなものを見つけて食べる。

 Cimg0084 食べながら話し相手を見つけて話す。最初はたくさんあると思ったのに時間が                                                 Cimg0085 Cimg0083

過ぎるとお菓子以外はなくなってしまった。 

 その後は、曜日ごとにゲームや踊りや歌などのエンターテイメントを用意してみんなで楽しんだ。

 中には、子どもや孫を連れてきた人もいるし、友人を連れてきた人もいた。大人も子どもも一緒になってわいわいと楽しいときを過ごした。これこそ草の根の国際交流である。こういうことが積み重なって行くと世界の平和に役立つのではないかと思った。

 ただ、残念であったのは、今年は、私は用があって最後まで参加することができなかったことだ。 

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2009年3月 8日 (日)

古着がよく売れる

  6日朝のNHKニュースによると、不況のせいか古着屋の売れ行きがよいそうだ。古着と言えば、名古屋の米兵が有名だが、古着を目方で買っている。つまりこれまでは古着には値段がないも同然であったのだ。それがここにきて、値段がつくようになったということか。

 また、東京では、古着の大々的な交換場があると言う。それも大変賑わっているそうだ。

 まだ、幾らでも着ることができるものをこれまでは惜しみなく捨てて来た。そういう風潮に歯止めがかかったらしい。

 先日のコンサートの日、雨が降ったので、トレンチコートを引っ張り出して着て行った。妻が、「それって結婚の頃に着ていたのじゃない?」と言った。その通りで、あの頃トレンチコートは格好良かったので、確か当時の中村百貨店で買ったものだ。それをまだ捨てずに持っているのだ。

 私が、高等学校に入ったとき、祖父が古着の学生服を送ってくれた。かなり古いものであったが、とても嬉しかったことを覚えている。学生服は高くて買えなかったのだ。

 昔は、古着屋がどこにもあった。それに前にも「お直し」のところで書いたように、破れると繕って着たり履いたりしていた。

 もう一つのニュースは、最近、携帯電話の中古品がよく売れていると言うのだ。これから携帯電話の中古販売を拡充するところもあると言う。

 あの消費大国のアメリカでも、物を大事にする風潮が出てきたと言う。

 経済成長の観点から見ると、好ましくない傾向だが、エコロジーの面から見ると好ましいことだ。

 今の若者は、「四ナイ」で、「車買わない」、「お酒飲まない」、「結婚しない」、「新聞読まない」だと言っていたが、これは金が無くて「車買えない」、「結婚できない」だろうと思う。

 これだけ不況が厳しいと、定額給付金12000円貰っても焼け石に水だ。だから、中古品を買ったり、交換したり、直したりして自衛をするより仕方ないのだ。

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2009年3月 7日 (土)

江戸しぐさから「こぶしうかし」

 「江戸しぐさ」という本に、「こぶしうかし」というのがあった。素敵な言葉だ。

 「江戸時代は、船が出るのを待っている間、あとから人が乗ってくるたびに、こぶしをついて腰を浮かせ、席をつめていたことからこう呼びます。

 昔の東京には、江戸しぐさを身につけた粋なお年寄りがいて顔色の冴えない人を見つけると、自分よりも若い相手に席を譲ることもありました。『詰めていただけませんか。』と言われる前にするのが江戸しぐさ、催促されてから行動するのは恥とされていたのです。」

と書いてある。

 現代では、電車や地下鉄を利用するが、「こぶしうかし」を見かけることは皆無となったようだ。7人掛けの席に6人が座り「こぶしうかし」をすればもう一人座れるのに知らん顔である。

 隣の人との間が空いていても身体を横にずらして席を作ってあげることもしない。最近の高齢者も若い人たちと同じで知らん顔であるのが情けない。

 私は、地下鉄に乗るたびにこのことが気になって仕方がない。自分が席に座るときはできるだけ詰めて座るように心がけている。「こぶしうかし」をする必要がないようにだ。

 昔、汽車が走っていた頃はよかった。二人掛けの席であったが、立っている人がいるとちょっと譲って3人で座ったり、肘掛にどうそと言って腰をのせさせたりしたものだ。「こぶしうかし」は当たり前のこととして行われていた。

 こういうよい習慣がなくなったのは何時頃からであろうか?残念でたまらない。

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2009年3月 6日 (金)

がっかり!!小沢民主党代表

 小沢民主党代表の陸山会への企業献金疑惑で公設第一秘書が逮捕され、事務所が家宅捜索された。

 時期が時期だけに、この晴天の霹靂のニュースは、世界を駆け巡った。そして、為替が円安に振れた。

 小沢氏は記者会見を開いて「絶対に悪いことはしていない」と言い、この時期に検察が乗り出したことを政治弾圧だと非難したと言う。

 偽装問題でも、薬物問題でも、詐欺問題でも、何でも当事者は最初は必ず全面否定をする今回もその手なのかどうか。

 いずれにせよ、麻生首相が国会解散を引き伸ばしている間に支持率が低下し、逆に民主党や小沢代表への期待が高まっていただけに残念なこと極まりない。国民としてみれば、本当に政権交代があるのかどうか注目していた筈だ。

 新聞によると、小沢氏は、田中角栄譲りの手腕で土木建設業界を牛耳っているのだと言う。不思議でならないのが、政治家がどうして一企業の口利きができるのかということである。

 企業は多額の政治献金をしてきたが、結局は、自分たちに仕事を回して欲しいという下心があってのことだ。政治家はそれを巧みに利用するのだ。それはわかりきっていることなのだが、我々庶民にはどのような仕組みになっているのかがさっぱりわからない。

 小沢氏のような一党の領袖が、疑惑をもたれ捜索まで受けるというのは何とも情けない話である。日本の政治家の殆どはこういうレベルなのだと改めて認識した。

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2009年3月 5日 (木)

さもしいにも程がある麻生内閣

 麻生首相が遂に本音を吐いた。「定額給付を受け取る」と言ったのだ。始めは「高額所得者が定額給付を受け取るのはさもしい」と言っていたのに恥ずかしくないのかと言いたい。

 「私は受け取りません」と言っていた甘利大臣も「閣議決定なら従います」と言った。

 結局、高額所得の大臣も自民党・公明党議員も金は欲しいのだ。金は幾らあってもあればあるほど欲しくなるのが人の欲というものだ。それは、ウオール街のサブプライムで儲けたGREEDな連中が世界に証明した。

 国民の80%以上が反対していると推定される定額給付金は衆議院の2/3条項で可決された。小泉氏の発言も一人相撲に終わった。

 本当に経済のことを心配しているのなら、国民生活に直結した喫緊の分野に支出をすべきなのだ。定額給付金は無駄遣いであることがわからないぼんくら政治家が多数を占めていて日本の先行きは真っ暗だ。

 僅か1万2000円とか2万円の公金を貰ってどう使おうというのだろう。麻生首相が行く高級バーのカクテル1杯分にもならないだろう。そんなチマチマしたことをせすに、麻生首相を始め高額所得者の政治家は、率先して自らの資産を取り崩して1000万円とか1億円とかを使ったらどうだ。TVなどマスコミの前で公開で買い物をして景気を煽ったらよいのだ。

 

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2009年3月 4日 (水)

老人力溢れるシルバーコーラスコンサート

 前に書いたシルバーコーラス交歓会が中京大学プルニエホールで開かれた。朝九時にホールへ行き、それから舞台リハーサルやリハーサルをやって午後1時半からコンサートが始まった。

 我が昭和男爵コーラスは、5番目の出演なので、午後2時20分からであった。このような大ステージに立つのは我がグループは初めてであった。私自身にとってもプルニエホールは初めてで、控え室やリハーサル室もテレビでは見たことがあるが体験するのは初めてであった。

 ステージ上では、事前の話では、隣の人の歌う声が聞こえないということであったが、このホールの舞台は反響板がいいのか、とてもよく聞こえた。

 指揮者は、ホールの後ろの電灯の辺りを見て歌うようにと言った。声が遠くまで届くようにということであろう。

 リハーサルが終わってから、出演までの2時間半は長かったが、雑談をしているうちに過ぎた。

 本番でステージに上ると会場はほぼ満員であったが、観客の顔が見えないのでアガル事はなかったと思う。これまで練習したことをここにぶつけて歌ったが、自分自身は力んで歌うことはなかったと思っている。

 出演グループは、16だったが、人数が130名の白川ハーモニックコーラスは総勢130名をA、Bの2グループに分けて参加していたし、一番多い西三河銀の鈴合唱団は100名が一度に舞台に立った。

 他にも60名ぐらいの規模の合唱団が多かった。一番小さいのは、我が男爵コーラスと男声合唱団梢の13名だった。

 このコンサートは、平均年齢が60歳以上のグループが参加条件であったが、どのグループもそれぞれに持ち味を出して歌い、正に”老人力”を発揮していた。

 男性に比べて圧倒的に女性が多く、中には腰の曲がった人が参加しているグループもあったが、コーラスをやるという姿勢は大したものである。

 聞くところによると白川ハーモニックグループは、鯱城学園の高年大学コーラスの修了者で構成しているので、年々グループが大きくなるのだと言う。現役の高年大学グループも41名の大人数であった。

  Cimg0074                                   東海市の混声合唱団”ポポロ”(左の写真)というのも参加していた。母方の里のある東海市にこんなに大きな合唱団があるのは知らなかった。

 こういうコンサートが開かれたのは今回が最初だと思うが、名古屋市内だけではなく、県下各地から集まってそれぞれのコーラスを披露したのは大変によいことだと思った。

 会場では、名古屋市文化振興事業団の職員の方が一生懸命にサポートをしてくれ、大変助かった。お陰でコンサートもスムースに運んだと思う。

 不況のときだが、こういう企画は是非来年も続けて欲しいと思った。

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2009年3月 3日 (火)

「江戸しぐさ」に思う

 幕末に日本に来た外国人が、当時の日本人に感心していることは多くの書物に残っている。その中に日本の子供がよく躾けられていてきちんとした対応ができることも書かれている。

 「江戸しぐさ」を読むとそれに関してなるほどと思う部分がある。第3章の「心がまえ」を見ると次の様に書いてある。

 「江戸の人びとは、人間は『心』と『体』と『脳』の三つから成り立っていると考えていたようです。子どもの心身の発達に合わせて、いくつかの段階に分けた上で、最初に作り上げるべきは『心』だと考えました。・・・心は柔らかいうちに育てることが大事でその年齢の境は三歳までであると考えたのが『三つ心』です。」

 次に、「『しつけ』とは礼儀作法が身につくように教え込むことです。『六つしつけ』です。「三歳までに心を作っておいて、今度は体の動かし方、身のこなし方をトレーニングしたのです。」

 今の小学校入学年齢までにきちんと躾けたのだ。今の子どもは躾ができていないから、入学式で騒いだりするのだ。

 「心、体の次は脳の番です。江戸時代には、10歳前後で商家に奉公に出る子が多かったので、9歳になるまでは、きちんとした挨拶はもとより、『さようでございます』などの言葉遣いも、できて当然とされていました。それが『九つ言葉』です。」

 人と会ったら大人なみの挨拶ができてきちんと対応できることが求められたのだ。

 次は、「十二文」である。「十二歳になる頃には、きちんとした文章を書けなくてはならないということです。手紙なら、親や商家の主人の代筆ができるとか、注文書や請求書などあらゆる文書が、毛筆できれいに書ける力が求められたのです。」

 「江戸時代、十五といえば、もう立派な大人です。子どもとして扱ったのは14歳まででした。『理(ことわり)とは、物事の道理、筋道のこと。十五歳ともなれば、日常生活のことだけでなく、世の中の万事に関して、その道理をわきまえていなければならない、これが『十五理』です。」

 こうして見て来ると、幕末に東南アジアを経由して日本にやってきた外国人が日本人に感心したことも頷ける。貧しくても生活が大変でも明るくて健康的できちんとしていたのである。それが講を始めとするさまざまな人との交わりの場面で、人の子自分の子の区別なく躾けられたのだ。 

 思い返せば、戦争前までは隣近所が賑やかで、よその家にも自分の家のように出入りしたし、大人は子どもたちを叱ったり、褒めたりしていた。今はそうしたことが無くなってしまっている。学校の責任だとか、いや家庭の責任だとか議論されているが、隣近所の大切さが今こそ見直されるべきであろう。

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2009年3月 2日 (月)

 江戸の人々の素敵な振る舞い

 図書館で偶然に見つけて借りてきた「江戸しぐさ」という本を読んだ。「江戸のよさを見直す会」主宰の和城伊勢氏が書いた本で金の星社出版である。

 前書きには次のように記されている。

 「江戸の町衆の間で、たがいにトラブルを避け、気持ちよく暮らすためのルールや工夫が自然に生まれました。それが『江戸しぐさ』と呼ばれるものです。日常の立ち居振る舞いから言葉遣いまで、人との付き合い全般にわたる知恵です。・・・少し前の日本では、庶民の生活の中でふつうに行われていることでした。」

 「しぐさとは「思草」(思うこと)、志草(志すこと)、支草(支えること)の三つの面から捉えることができます。」と述べられているのは、非常に示唆に富むコトバである。

 こうした「しぐさ」は、教養を身につける人々の集まり、助け合いの場である講の中で養われたという。江戸っ子のポイントとして次の4点を挙げている。

 1.目の前の人を仏の化身と思えること。(人はどこかでつながっている)

 2.時泥棒をしない。(他人の時間を無駄にしない)

 3.肩書きにとらわれない。(家柄、学歴、職業など)

 4.遊び心を持っている。(文化などに関心が高く、造詣が深い)

 この本を読んで、私は、次のことを思い出した。

 幕末から明治の初めにかけて多くの外国人(西洋人)が日本に来たが、その人たちは、一様にその頃の日本人の生活や態度について感心をしている。日本人は暮らしぶりは貧しいが、清潔で礼儀正しく、外国人にも誠実に接すると書いている。手元に本がないので、インターンネットで検索をして引用する。

 例えば、イギリス女性、イザベラ・バードは日本の東北から北海道を旅行して「日本奥地紀行」を著したが、その中で、

 「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

 群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。

 私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。(ぼやきくっきり)

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid384.html 」

 ルドルフ・リンダウ 1859年来日。スイス通商代表団団長。

 「スイス領事の見た幕末日本」より
 長崎近郊の農村での記述


 いつも農夫達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。……最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると……「大変有り難う」と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。私が遠ざかって行くと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆んど見えなくなってもまだ、「さよなら、またみょうにち」と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞こえるのであった。(ぼやきくっきり)

 上記の例のように、江戸時代から明治の日本では、庶民の中でも礼儀作法や躾が行き届いていたことが、外国人の目を通してもわかるのである。

 「江戸しぐさ」を見ると、そうしたものを身に着けて振舞うことができるように気をつけられていたことがよくわかる。残念なことは、そのような優れた日本人のよさがいつの間にか失われてしまったことである。

                              この項続く

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2009年3月 1日 (日)

「お直し」はいいことだ

 26日の朝日新聞朝刊に、「不況だから 『お直し』」という記事が出ていた。世の中が不況になって、「お直し」が盛況だというのだ。東京の「ニット青木」という店には全国の百貨店や高級ブランドの店からお直しの依頼が一日40枚もあり、前年より3割から4割も増えたのだという。

 依頼者の客の「新品を買うよりも良品を大事に」したいという思いがあるようだ。

 「お直し」は、セーターなどだけでなく、アクセサリーにも及び、三越のアクセサリー売り場では店で売ったものでなくても受けつけているという。

 また着物の直し、時計の直しなども増えていて、三越では家具などの相談コーナーも設ける予定だとか。

 思えば、バブルに到る高度成長期には、経済の成長のためには使い捨てをしてどんどんと買い換えていかなくてはいけないと、「使い捨て」が美徳のように言われた。それで、まだ十分に使えるものでも捨てられた。ゴミの集積場には壊れていない自転車や家具や衣類などが山のように捨てられていた。

 日本に来た外国人はそれを拾って活用していたし、中国人の中には拾った物を国に送る人もいた。

 それがバブルがはじけて失われた十年になると、だんだんと人々の意識が変わって行った。地味婚が流行ったり、百円ショップが繁盛したりするようになった。

 そこへ今度の大不況である。使えるものは直して使おうという風潮に変わってきたのだろう。

 考えてみると、戦前と戦争直後までは、直せるものは直して使っていた。鍋釜でも「鋳掛け屋」というのが回ってきたし、下駄などの履物も修理をして使っていた。足袋や靴下も破れたら繕って使った。母などはいつも繕い物をしていたものだ。

 セーターでも母の手作りで、女性は井戸端会議をしながらでも手には編み棒を持って編み物をしていた。

 直せるものは何でも直して使うというのが当たり前であったのだ。

 だから経済成長が駄目になったかというとそうではない。日本の経済は着実に成長したのだ。

 この大不況を機にもう一度生活の仕方を見直して、物を大事にしながらその中で内需を拡大して行くことが大事だと思う。物を大事にすることはエコロジーであり、地球環境を守ることにも繋がるのだ。

 

 

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