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2009年3月25日 (水)

アメリカB29爆撃機の日本無差別爆撃

 3月は、太平洋戦争末期の1945年にアメリカが日本に最後の止めを刺すべくB29による日本の都市への無差別爆撃を加え始めた忌まわしい思い出の月である。

 それまでに1942年4月12日にB25、16機による本土初爆撃が行われた。東京、横浜、名古屋、神戸など6都市が爆撃された。その後軍事施設をターゲットとする爆撃が繰り返された。

 それが都市への無差別爆撃に変わり、1942年3月10日の東京大空襲となった。未明に約300機のB29が東京の下町に2000tの高性能焼夷弾を投下して、焼き尽くした。100万人が住居を焼かれ、10万人が死に、11万人が傷ついたと言われる。

 続いて12日には、我が名古屋にも288機のB29が来襲し死者519人を出した。14日には、大阪を279機のB29が襲い3115人の死者を出した。17日には、307機が神戸に爆撃を加え、死者が2598人出た。

 B29による執拗な爆撃が続き、それは地方都市へも広がって行った。

 私は、当時小学校4年生で、和歌山県新宮市に住んでいた。陸の孤島と言われた僻地であった。ところが、本州の最南端紀伊半島の串本を目指してサイパン島などから飛来したB29が毎夜上空を飛んで名古屋方面や関西方面に行ったのである。

 NHK第一ラジオは、その度に「中部軍管区情報。敵のB29○○機が××方面に向かっている・・・」という情報を流した。

 上空を通過するB29の低周波の不気味な爆音がブーンと唸って耳に入るのであった。その度に、防空壕に飛び込んだのだ。

 ある夜、防空壕に入っていると爆音が近く辺りが明るくなった。入り口から首を出すと、空には糸を引いて雨のように落ちていく光があった。焼夷弾などが投下されたのだ。

 標的は駅から太平洋に近い熊野地という地域であった。その地域の住宅は焼かれてしまった。

 後で聞くと、何でも、空襲の帰りの飛行機が焼夷弾などを減らすために投下して行ったのだということであったが、日本中の都市が全て無差別攻撃されたのだから荷物減らしにしても意図的なものであったに違いない。

 都市には、住宅が密集し、一般の市民が生活をしていることを知りながら平気で空襲をし焼き払う行為は戦争犯罪である。しかし、戦勝国アメリカは咎められることはなかった。そして、日本人もアメリカの行為に抗議をする人は少なかった。

 原子爆弾の投下のみが大きく取り上げられているが、アメリカの無差別爆撃も同じ重さで糾弾されて然るべきだと思う。

 「米戦略爆撃調査団報告書」によれば,太平洋戦争を通じ,アメリカ軍が日本本土に投下した爆弾・焼夷弾の総重量は161,425トンで,その内訳は6,740トン(海軍航空隊),7,109トン(極東空軍),147,576(在マリアナ第20空軍のB29)で,その空襲は353回にわたり,延べ51,903機に及んだという。(この部分は引用)

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コメント

今朝、NHKで吉永小百合さんが、戦争の悲惨さを語り継がなくてはいけないと話していました。彼女は、戦争後の生まれのようですが、立派です。
一方、60代後半の人でも空爆などに無関心の人もいます。残念です。

名古屋の空襲も激しく、学徒動員の弟を探しにいった知人は惨状に1週間くらい精神異常の状態だったそうです。幸い弟さんは生きていたのですが。
日本も外地で行った残虐行為、極限の中で戦った兵士達の事もよく聞きます。私は聞き語りをブログにかいています。「12歳の起業家」「平和と戦争」「囃子太鼓 地域にいきる」の3編です。お暇な時にご覧下さい。
イラク戦争も学校、病院などをターゲットに爆撃したり仁義なき戦い。劣化ウラン弾だけでなく毒ガスまでも、過剰生産された破壊兵器を処理するために、めくら滅法落としていったのでしょう。
武器製造会社、武器商人の姿も見え隠れするように思います。

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