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2009年3月18日 (水)

うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」を読んで (4)

   杉浦日向子さんの本を読むまで、恥ずかしい話だが、江戸の時間の観念については殆ど知らなかった。

 「ご存知のように、江戸は不定時法で、日の出から日の入りまでを六等分。夏の一時(いっとき)と冬の一時では、40分ぐらいの開きがあった。季節と自然に寄り添っていた。」と書いている。

 時計がなかったのだから、当然と言えば当然のことである。太陽の位置や傾き具合、夜は月の様子を観察して時間を知っていたそうだ。また、咲く花の種類や植物によって何月だとかを知り、星座によって季節を知ったという。

 一番細かい時間の表し方が”小半時”(約30分)だったそうだ。今はソーラー電波時計でも安く買えて、ほぼ永久に時間が狂いませんと宣伝している。私も電波腕時計をはめ、家にも電波掛け時計があって、正確な時刻を知ることができる。

 時計がなくても、NHKの毎時の時報は正確だし、携帯電話も時計を蔵している。

 江戸時代には、「恋人同士が”暮れ六つ”に雷門で待ち合わせ、と約束すると、約2時間の幅があるのでそれだけ待つ覚悟だった。」と書いている。

 私たちは、バスが5分も遅れるといらいらするし、会合などでも定時に始めようとする。

 江戸時代には、「時間が無い」という言い方はなかったらしい。時間は無尽蔵なものと考えていた。

 現代のように、絶えず時間に追われることがなかったのだから、そういう意味でのストレスはなかったに違いない。

 現代人の時間観念は一定の時間の中にできるだけ効率よく仕事を詰め込むかが大事で、その最たるものがトヨタの看板方式であろう。効率が金を生むという製造業での考え方である。

 皮肉なことに今回の経済大不況で労働時間が大幅に減ってしまい休業に追い込まれたが。

 「江戸の人たちにとってのよい時間とは、『ああ、おいしかった』とか『ああ、嬉しかった、面白かった』、つまり感動があった時間だった」と書いている。

 もちろん私たち現代人にとってもそれはよい時間ではある。ただ、我々は絶えず時間というものを意識して行動するが、江戸時代にはおおまかにしか意識しなかったということだろう。しかし、その違いは大きい。

 杉浦氏は、自分の時間をたっぷりと持っている人がリッチで、必ずしもお金や物をたっぷりと持っていることではないとも書いている。

 さしづめ私などは極めてリッチということになる。

 そうは言っても食べるに事欠いてはいけない訳で、生きていくに必要なエネルギー相当量の食べ物が食べられることが必要条件であろう。

 幾ら時間があっても、仕事を探さなくてはならないとか住むところもない状況では困るのだ。

 

 

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コメント

 書いて下さった通りで、江戸には100万人以上が住みながら、機能的な合理的な生活が工夫されていたようです。
 物は少ないけれど豊かな生活があったのだと思います。

江戸は都市機能も高く、水も池などから掘り割りを作って取り込み飲み水は井戸から汲み、家の水甕に入れて炊事、飲み水に使い、排泄物は農家が田や畑の肥料に買ってくれる。日用品衣類なども最後まで利用するし、古着、古道具も売っていて利用すると捨てる物のない清潔な町だったと思います。しかも美術品や反物なども見ることができ、美に対する目も出来るでしょう。
現在のように捨てる場所に困っているなんて!
物を大切に感謝の気持ちが大切だと思います。

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