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2009年1月13日 (火)

お笑いと笑い

 3年ほど前から”お笑いブーム”が起こり、新しいタイプのお笑い芸人が多数生まれた。MIグランプリの応募者は4000人にもなるというのだから相変わらずお笑い人気が続いているのかも知れない。

 私は、お笑い番組が好きで、いつも見ていたのだが、数ヶ月前から殆ど見なくなった。理由は面白くないからである

 TVを通して見ていると、会場に集まった若い女性たちは大きな声を出して笑っている。ところが自分には少しもおかしくないのだ。確かに毎回ギャクを考えて、笑わせようと頑張っていることはわかる。始めのうちは新鮮に感じていたが、いつのまにか感じなくなってしまったのだ。そして、若い女の子たちが、ぎゃあぎゃあ笑っているのを見て「どうして?何が?面白いのだろう?」と思ってしまうのだ。

 お笑い全てが面白くないのではない。オール巨人・阪神だとか今はなくなってしまった喜味いとし・こいしなど、更に古くはエンタツ・アチャコなど所謂しゃべくり漫才は面白かったし笑えた。

 お笑いの中では落語が一番面白いと思う。

 なぜしゃべくり漫才や落語が面白いのか。それは両方とも「コトバ」の芸だからである。洒落やウイットや風刺や落としなどがコトバによって巧みに表現されるからなのだ。

 今の若い芸人たちのコントや漫才やひとりしゃべりなどはアイディアで勝負をしているが、それは会場にいて目の前の人たちにしか通じないものが多い。LIVEで見ている人はおかしさを共有できるのかもしれないが、TVを通して見ている視聴者は、演技者と観客を含めてを対象として第3者の目で見るので冷めた目になってしまうからだと思う。だから面白く感じないのだ。

 そこへ行くと例えば落語は、コトバを聞くことが主体だから想像力を働かせて自分の脳に情景を描くことになる。だから話者と共感できるのだ。

 もう一つ、見せる芸は大げさな身振りや奇抜な格好やおかしな話し方などコトバとは関係ないことで笑いを取っている。

 私は、サンデーモーニングの「喝」が好きで日曜日には見ているのだが、好きな理由は、毎回必ず笑えるからである。「喝」は普通のスポーツ情報を提供するだけで笑いを取ろうとしているのではない。まじめにしゃべっているのに笑える場面ができるのだ。それはコトバから発生するのだ。

 高校時代の先生に落語に通じた人がいて、「笑わせるときには本人が笑っては駄目なのだ。まじめな顔をしていうから聞いている人は面白いのだ。」ということを言っていた。

 コトバの笑いというのはそういうものだろうと思う。今、落語に人気が出てきたといわれるが、落語が長い歴史の中で生き続けてこられたのもコトバによる巧みな風刺やウイットや洒落があるからだと思う。

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