ナイルと太陽と世界遺産の国エジプト - 5
(27)ホテルでうたたね
15;40頃にそこを離れてバスでホテルに帰った。まず、ホテルのロビーに入った。MOVENPICK HOTELという。サウサンは「この土地最高のホテルです。といっても二つしかありませんけどね。」と言ってみんなを笑わせた。サウサンはジョークもうまい。
食堂や売店のあるところを通り、階段を下りていくと湖が見えた。湖岸にはプロムナードがあり眺めが素晴らしい。ナセル湖岸に部屋が並びブーゲンビリアや白い花などや緑で溢れていた。部屋には外から直接入るのだ。
部屋に入ると古代エジプトを意識したデザインでバス、トイレは正面奥にあった。きれいな洗面所であった。素晴らしいホテルだった。
長い旅で一刻も早くシャワーを浴びたかったし、頭も洗いたかった。すぐにシャワーを使ってさっぱりした。その後庭を散策した。青い空、青い湖、咲き乱れる花、緑・・・リラックス出来た。
部屋に戻ると、18:30の集合時間まで間があるのでベッドに寝転がった。眠るつもりはなかったのだが、疲れているので寝てしまった。ハッと気がつくと時計は18:25を指していた。飛び起きてトイレだけ済ませて慌てて外に出ると、隣室のKAMさんも出てきたところであった。ロビーに行くと誰も来ていなかった。間違えたのかと思い売店の方に行ったがそこにもいないのでロビーに行った。しばらくしてガイドさんたちが来た。
(28)音と光のショ-
18:30アブシンベル神殿の音と光のショーに出発した。想像ではイルミネーションでライトアップされた神殿が荘重な音楽の流れる中でレーザー光線によって幻想的な世界が繰り広げられるというものであった。期待に胸を膨らませて会場に向かった。眠っていて慌てて来たので上着を忘れてしまった。そのことをサウサンに言うと親切にも羽織っていた上着を貸してくれた。今日は説明する出番がないので休憩所で待っているから大丈夫だと言った。
会場は神殿の前の湖岸にベンチの席が造ってあった。すでにたくさんの人が座っていた。NUさんが、左の方が大神殿の真正面になるからそちらがいいと言ったのでそこに座った。NUさんには大神殿が見えると言ったが、私には何も見えなかった。MIU夫妻が来たので本当に見えるか聞いたら、二人とも見えると言ったのでショックだった。でも、その辺りは何故か空席になっていた。
ショーが始まった。予想とは違って、神殿の辺りに見えないスクリーンが張られ、そこに映像を写すという感じのやり方であった。スペクタクルではあった。ショーは神殿を造ったラムフェス2世のエピソードの物語であった。つまり叙事詩である。この日は日本語版であった。多くのフランス人がいたが彼らはイヤホーンでフランス語を聴いたようだ。映像と光で神殿がさまざまに変化した。ショーは19時から20時まで続いた。
(29)夕食
ホテルに戻って20;15からバイキングスタイルのディナーであった。ビールは5$。NUさん、MIU夫妻、新婚のYAS夫妻が同じテーブルであった。MIU夫人が沖縄出身ということでYASさんたちと話が弾んでいた。MIUさんはビールを追加して振る舞ってくれた。
食事が終わる頃、先に帰っていったNUさんが戻ってきた。道に迷ったのだと言う。それで送っていってあげた。途中で大山さんに会い彼女も一緒に送ってくれた。水タバコを吸うところでKATさんとKAMさんが水タバコを吸っていて、NUさんを誘ったが疲れたと言って参加しなかった。
部屋に戻ると、シャワーを浴びてからTVに写真を写して整理をした。そして10:45頃に床に就いた。
(30)アブシンベルの日の出
22日木曜日。4:00a.mに起床し洗顔、シャワーなどを済ませた。5:30頃ホテルを出て日の出を見に行く。上着は忘れずに着て出た。現地に着くともうたくさんの人が来ていた。昨夜と同じ観覧席に座り、今度は湖の方を見るのだ。
空が少し明るみ始めた。少しずつ少しずつ赤みが増していく。子供の頃に初日の出を拝みに行ったことや乗鞍岳の黄金の日の出を思い出していた。太陽を崇拝するということやアニミズムではエジプト人と日本人は共通点がある。後で私はそのことをガイドのサウサンに話した。
6:10太陽が見え始めた。金色の輝きが水平線に見えた。刻々と昇る太陽を私はカメラで写した。神殿を振り返ると明るんでいた。帰るときに太陽に向かって日本式に拝んだ。
ホテルに帰ると6:40頃で、そのまま朝食を食べた。席は昨夜と同じであった。MIUさんは卵焼きが大好きだそうで喜んでいた。私は卵は食べない。
(31)アスワンへ
チェックアウトすると、時間があるので売店を見に行った。1$で買った石像があったので値段を聞くと35$だと言った。驚いてそこそこに飛び出したら、「30$」「25$」「20$」「15$」・・・と値を下げながら追っかけてきた。「NO!」と言いながら逃げた。
8:45頃にホテルを離れ、アスワンに向かった。アブシンベルにはところどころドーム型屋根の家が見られた。ドームは熱を逃し涼しいのだそうだ。コンボイステーションで待つ間子供がいる後ろの座席の人たちに輪ゴムの手品を見せ、やり方を教えて子供に輪ゴムを上げた。おとなは不思議がっていたが子供は知っていると言った。他に矢印の方向を当てるのもやった。
9:15 バスが揃うと20台以上のバスが隊列を組んで帰路についた。
11:55頃にアスワンハイダムに到着した。ピラミッドと同じ花崗岩を積んで造ったロックフィル式のダムで、ソ連の援助で7年かけて完成したのだと言う。上部105m、下部45mはそれほど大きくはない。しかし、湖は巨大でエジプトの水と電気を全てまかなっているそうだ。近くには記念のフレンドシップタワーが建っていた。
その後、サウサンの案内で細かい砂を採集に言った。前日からサウサンにペットボトルの空き瓶などを用意して置くように言われていたのでそれを持って行って採集した。本当にサラサラの黄土色の砂だった、NUさんが「手を入れると温かいわよ。」と言った。手で集めて瓶に入れたが、砂はサラサラなので一粒も手に付くことはなかった。
バスに戻り、NUさんに「どうして採取しなかったの?」と聞いたら、「うちで扱っているもの。」と言った。万博で砂の芸術を披露している国があったが、砂はいろいろな粒の大きさや色があって、アートの材料になるのだと言う。ペットボトル一本分の砂は1000円ぐらいとの鑑定であった。
(32)昼食
ナイル川の岸の高みにあるレストランでグリルチキンをメインとする昼食を食べた。ナンとパンと共にお皿にペーストが出た。ナンにつけて食べるらしかった。ところが、試してみてみんなが臭いがきつくて食べられないと言った。私は「おいしいよ。どこも変じゃないよ。」と言って食べた。このペーストは次の日サウサンに聞いて分かったのだが、ダヒーナ(ごまペースト)というものだった。みんなは私のところに皿ごと寄こした。その後も毎回このダヒーナが出るたびに私のところに集められた。多数に嫌われると私だけが変人に見られているような気がした。
YAMさんが「このレストランの名は私の孫の名とおなじだ。」と言って、ピンクの建物を写真に収めていた。ナイル川の島のようなのが見えて景色のよい場所にあった。
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