ナイルと太陽と世界遺産の国エジプト - 4
(23)バザール
18:30ハンハリーリバザール到着。カフェで水タバコを楽しんでいる人たちがいた。いろんなみやげ物などの店が続く商店街である。サウサンはここでは最初はとんでもない値段を言うかもしれないから、売る側の言い値の1/10ぐらいまで交渉するようにと言った。KATさん、KAMさん、NUさんらと店を見ながら歩いた。
KAMさんは頼まれた品物を買うつもりのようであった。歩いていると「1$!」とか「5$!」とか品物を持って声をかけてくる。非常にうるさい。ガラスの香水瓶、石の小さな像、ブラウスやTシャツ、かばん、化粧品、パピルス(多分まがい品)、帽子などを売っている。興味はないので適当に眺めて歩いた。
KAMさんがブランドのかばんを買いたいというので、かばんを売っている店で立ち止まった。グッチかなんかの最新のデザインのものだった。しかし、明らかに偽物である。「没収されるよ。」と言ったが「見つからなければ大丈夫。」と言う。値段を交渉したが、折り合わなかった。一度商店街から出たが、再びその店に戻った。若い二人づれの女の子たちにあった。品物をみたが結局買わなかった。
KATさんは、ビーズでできた女性が頭に被るものを2個買って、バスの中で被って見せたのでみんなは大笑をした。
(24)一等寝台車で
19:10頃バザールを離れて、ギザ駅に向かった。21:00の夜行列車に乗るためだ。サウサンは「道路が渋滞しているので時間がかかるが間に合います。」と言った。ギザ駅に着くと列車が停まっていた。暗い緑色の屋根にボディはベージュ色だった。かなり古びた感じであった。この列車かと思ったら、サウサンは、その次の列車に乗るのだと言った。ところが、終着駅のアスワンにはあとから出る私たちの列車が先に着くことになるのだ。先に出た方は途中でトラブルを起こしたようだ。
「駅のトイレはきれいじゃないよ。」とサウサンが言った。辛抱しようかと思ったが小便がしたい感じだったので入ることにした。小銭がないので駅の売店で一番安いガムを一個買って小銭を貰った。確かにきれいではなかった。50ピアストルをあげた。
エジプトの鉄道は、イギリスについで世界で2番目に古いのだそうだ。エジプトのコットンを運ぶためにイギリスが作ったのだという。
サウサンは「列車が定刻に来るかどうかはわからない。」と言っていたが、ほぼ時間通りに来たようであった。先に出た列車と同じ色の古びたものであった。我々が乗ったのはアベラといい、1等寝台車である。3号車と4号車が割り当てられていたが、私は4号車の7,8ベッドであった。1.2がKATさん、3.4がKAMさん、5、6がMIU夫妻、9,10がNUさん、11,12がMATさん、13,14が新婚のYAS夫妻、15,16、17、18が子供づれのグループであった。
寝台車は、片側に通路があり、部屋は2畳ぐらいの広さで折りたたみベッドが2つ、洗面器、取り外し式テーブル板、鏡、ハンガーなどが付属していて、鍵は中からのみ掛けられた。一人なのでドアを閉めると閉じ込められた気がしたがその内に慣れた。トイレは各車両に2箇所ずつついていた。ただ、停車中は使用禁止であった。なぜなら、大小便を線路に落とす方式だからだ。世話をするのは各車両に男の車掌が一人ずついた。ベッドを作ったり、食事を持ってきてくれたりする。
21:00頃列車は静かに動き出した。しばらくすると食事が運ばれてきた。パン、ラムを煮たもの、具をのせたエジプト米のごはん、煮た野菜、ケーキ、大きなオレンジなどであった。ビールは500ml缶が7ポンド(140円)で安かった。
食事を運んできたときに、車掌に「英語が話せるから何かあったら言ってください。」と言っておいた。音楽を聴きながら食事をした。初めは私の好きなシャンソンだったが、すぐにローカルの音楽に変わったので残念であった。列車が駅に停まると音楽もとまった。
食事を済ませるとやることがないので、ベッドを作ってもらい横になっていた。ドアがノックされたので開けると、車掌が立っていた。「日本語で『明日の朝食は、コーヒーが紅茶か』と書いてほしい。」と言った。その紙を見せるのだと言う。すぐに書いて上げた。その紙を見せて注文をとりにきたとMIUさん奥さんが言っていた。
3時間余りうつらうつらとしていたら夢を見た。突然嵐が起きて家が吹き飛ばされそうになる夢だった。びっくりして目が覚めると列車はガタガタという音と風を切る音を出して速いスピードで走っていた。それで夢を見たのだろう。
6時頃になると空が明るくなり始めた。外の景色が見えるようになった。窓の外は農村地帯だった。何もすることがないので、窓外の景色を眺めるより仕方なかった。少し遠くに肌色をした禿げた山並みが続いていた。山といっても低い山だ。手前には畑や林があった。木はほとんどがフェニックスやナツメヤシであった。畑は黒土できれいに耕されていた。耕したところで潅水しているところには白い水鳥が集まっていた。作物はサトウキビやキャベツやバナナやいろいろとあった。ところどころに人がいた。たまに背中に荷物を積んだロバや人を乗せているロバが見られた。時間がたつとロバは農民の貴重な道具であることが分かった。畑を耕していたり、荷車を引いたりさまざまな使われ方をしていた。畑を耕すロバは2頭立て鋤を引いていた。牛は一頭で鋤を引いていた。
時々ナイル川が姿を現したり、水路が流れていたりした。私は、ナイル川は巨大で川幅が広く、その両岸に広い農地が広がるイメージを抱いていたが、実際は川幅は100m前後で農地の面積も狭く、農地のすぐ間際まで禿げた岩山が迫っているのであった。こうした風景はアスワンに着くまで続いた。後日サウサンが説明してくれたところによると、この山並みはセンセラ山といい、鎖という意味だそうだ。ナイルの両側にセンセラがあるのだ。
ナイルエクスプレスだが列車は結構停車する駅が多かった。朝になると、大きい駅では列車を待つ人々が見られた。普通の駅は絵アラビア語の駅名が1箇所書いてあるだけで古ぼけて壊れかけた駅が多かった。
線路沿いや駅や運河やナイル川沿いや道路沿いなどどこでもごみが一杯落ちていた。それはCairoでも同じだった。エジプト人はごみを捨てて平気なのだろうか。そういうところは中国人と似ていると思った。中国でもごみがやたらと落ちている。ついでに言うとエジプトと中国が似ているところがまだある。商店がそっくりなのだ。まず、間口の狭い商店、衣類などを壁に掛けて売るやり方とか、陳列方法や値段を交渉しなければならないことなどだ。
通路の片隅に喫煙所があり、タバコを吸う人たちが集まった。
KATさんのスーツケースの数字で合わせる鍵が開かなくなった。大山さんも手伝っていろいろやっていた。車掌に七徳ナイフのようなものを借りてこじ開けた。結局鍵は壊れているらしくKAMさんがベルトを貸してあげることになった。かなりの時間すったもんだとやっていたが時間つぶしにはなったようだ。
YASさんが、ビールの清算をしたときに、10$紙幣を出したのに4$貰うべきお釣りが2$しか来なかった。車掌は英語なので困っていた。私が、車掌に2$少ないと指摘すると、気がついて2$追加してくれた。
朝食が済むと車掌に1ドルのチップを上げるように言われていたのであげた。しばらくすると、車掌が来て、「1$紙幣を10$紙幣と交換してほしい。」と言った。チップで集まったのを大きな紙幣にしたいのだ。私は1$紙幣でいいので交換してあげた。
隣室のMIUさんの奥さんがコーヒーを飲んでいた。ビュッフェから持ってきたのだという。ビュッフェは満席だったそうだ。
朝トイレに行くとトイレットペーパーが品切れになっていた。大山さんが、「トイレの紙がなくなる恐れがあるからホテルの紙を持って行くといいですよ。」と言っていたのでポケットに用意していたのでよかった。
予定では、12時間乗って9時にはアスワンに着くことになっていたが、大山さんが、「ガイドが80分ぐらい遅れると言っていた。」と伝えに来た。こういうことはよくあることのようであった。
結局アスワン到着は、大幅に遅れて10:40分頃であった。14時間もかかったようだ。サウサンが「私たちの前に出た列車はまだついていない。」と言ったので驚いた。
(25)アブシンベルへ
10:45にやっとアスワン駅に到着した。バスに乗り換え出発したのは11:00。アブシンベルまで3時間余りかかるという。アスワンには、1901年に造られた古いアスワンダムがあり小さな景色のよい湖を形成していた。この辺りはもともとはノビア人の土地で彼らは独立を欲していたが叶わず、他に移住をさせられたそうだ。故郷はダムの底に沈んだのだ。
アスワンを出ると砂漠地帯を走る。観光バスは、途中コンボイステーションに集まり、護送されるのだ。10:00発には間に合わなかったので11時発になったのだ。コンボイは前後に1台ずつ付く。窓ガラスのない中型の車である。そこに銃を持った警官が乗るのだ。写真を撮りたかったが怒られるといけないので撮らなかった。
大きな箱に入った弁当が配られ、いつ食べてもいいと言った。それで12時ごろに食べた。シシカバブーが2本、鶏肉とラム肉などのおかずの箱と下に白いご飯の箱があったが、私は、ご飯とは知らず、おかずを先に食べてしまった。仕方がないのでご飯だけをよくかんで食べた。細長いパンは食べなかった。赤いりんごが付いていた。果肉は柔らかだがまあまあの味であった。水もボトルで付いていたので助かった。
サウサンの説明では、エジプトの人口は、7000万人で、カイロに1500万人、ギザに14万人、アレキサンドリアに850万人、アスワンに15万人、ルクソールは忘れた。土地の95%はサハラ砂漠だという。
途中まで来ると、サウサンが「蜃気楼が見られます。」と言った。遠くを見ると水があるように光っていて島が浮かんでいるように見える。私が教えてあげると、MIUさんの奥さんがビデオカメラを出して撮影した。初めて見るといって喜んでいた。更に進んでいると道路に逃げ水が見られた。
バスの中で、サウサンは、Tシャツとポロシャツの見本を見せて、買うように勧めた。Tシャツが15$、ポロシャツが23$で、エジプト綿だという。象形文字で名前の刺繍を入れてくれるそうだ。見本はしっかりとした生地だったので多くの人が注文した。5枚買うと1枚サービスすると言うので5枚買った人もいた。
また、ナツメヤシで種を抜いて代わりにアーモンドを入れた菓子も試食をさせて注文をとった。なかなかおいしい菓子だった。1個5$で5個買うと1個おまけが付いて2500円もしくは20$もしくは、100ポンドだと言った。私は、5個注文したが、後日ホテルで2000円を100ポンドに両替して支払った。
Tシャツは、届けられたらすぐに着ている人もいた。女の子の赤いTシャツはとてもよく似合っていてみんなからほめられていた。
アブシンベルが近づくとオアシスもあった。アブシンベルには大きな湖があった。ナセル大統領が造ったのでナセル湖という。青い水をたっぷりと蓄えていた。いわゆるアスワンハイダムでナイル川を堰きとめて造った人工湖である。
(26)アブシンベル神殿
Abu Simbelには14:00頃に着いた。大小二つの神殿があるが、入場料は込みで70ポンドであった。中に入ると店が並んでいた。WCがあったのでみんなは用をすませた。
その辺りを歩いていると帽子を持った若者が「1$!」と言って寄って来た。「本当に1$?」と何度も確かめるとそうだというので1$渡して白いハットを買った。しばらく行くとMIUさんが「私も帽子を買った。3$で。」と言った。私のよりはしっかりしていた。KATさんも呼んで3人でハットを被って写真を撮った。
歩きながら出来たばかりの駄洒落をガイドさんなどに披露した。
「砂漠の真ん中にナセル湖を造ったのは誰のナセル業だ?」というものだ。
アブシンベル神殿はナセル湖の前にある大きな小山を利用して建っていた。大神殿の前には4つの大きな像があった。その一人はこの神殿を建てた王だそうだ。神殿の中には大きな柱がある部屋があった。
この神殿はナセル湖が出来るとき水没するので移築されたものであるという。本来は現在の湖岸近くにあったそうだ。このプロジェクトはユニセフによって行われた。コンクリートで骨組みを造り、その上に実際の岩を切り取って持ってきてくっつけてもとの形にしたそうだ。神殿の中も石像も元通りに移築されたという。神殿の奥にも石像があり春分の日と秋分の日に朝日が当たる仕組みになっているそうだが、計算間違いで一日ずれてしまったそうだ。この神殿を建てたのはノビア人の王だが数千年前の古代によくそんな計算ができたものだと感心した。大神殿は立像で、小神殿はレリーフであった。
小神殿を見た後、KAMさんとNUさんと私は、別の道を辿って帰ることにした。裏側には神殿の山に登れる道があったので、私とKAMさんは登ることにした。半分ほど登ったところで、下から声がかかり「すぐに下りろ。」と言った。驚いて二人は坂を駆け下りた。銃を持った警官が立っていて登ってはいけないのだと言った。私たちは知らなかったといって謝った。しかし、道があるし、誰かが登っているのを見たので「登っている人がいた。」と言うと、「警官だけは登っていいのだ。」と言った。「向こう側の写真を撮らなかったか。」と聞いたので、NOと答えた。最後は握手をして別れた。
出口に来ると道が二つに分かれていた。私たちは、左側の道をとった。それが道に迷うことにつながった。しばらく行くと店が並んでいた。男が「何でも1$」と言って私たちを店に誘った。私とNUさんは黒い石像を買おうと思って店に入って見ていた。何でも1$ということはありえないと感じた。それで改めて確かめると、「見るだけ、1$。」と言ったのでやばいと思い、追っかけてくるのを振り切って店を出た。
少し歩いていると、また別の男が、手に石像を持って「1$」と言ってきた。「本当に1$か?」と言うとそうだといって店に来るように言う。店に入ったらやばいと思い、私は「ここでならいい。」と言った。何とか店に引っ張り込もうとしていた。「ここは警官の詰め所の前だから駄目だ。」と言った。私は、それならと思いそこで交渉を始めた。男に石像を見せてもらい金を渡そうとしたら店に来いとしつこい。ふと見ると男が立って見ていた。「あなたは警官か?」と尋ねたらそうだと言うので、「この男が1$だと言うので買うのに金を受け取らない。」と言ったら、男は諦めたのか1$でいいと言った。ツタンカーメンとその妻の二つの像を1$ずつで買った。
その後、集合場所に帰ろうとして道が違っていることに気づいた。警官に道を教えてもらい時間までに帰ることが出来た。
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