ナイルと太陽と世界遺産の国エジプト - 3
(14)警備
集合時刻まで少し時間があったので、ホテルの玄関前に出ると、警備車が左右に1台ずつ停まっていて傍に銃を持った黒い服の警官が立って警備をしていた。よく見ると全部で10人ぐらいいた。その様子を写真に撮ろうとしたが怒られるといけないので我慢をした。私が付近をうろちょろするので私の動きを観察しているように見えた。空は快晴で気持ちよかった。ホテルや周りの建物を撮影した。
(15)第一ピラミッド
この日はCairo市内の見学で、ゆっくりとした出発であった。現地ガイドのサウサンが少し遅い方が混んでなくていいと判断したようだ。9:15に出発した。バスには研修生として、ナダという若い女性が乗った。後で聞くとまだ18歳だった。Cairoの日本大使館で日本語の勉強をしているのだそうだ。
最初の目的地は、4700年ほど前に建造された、あの有名なギザの三大ピラミッドである。バスは、8km続くというピラミッド通りを進行したが、例によって物凄い混雑である。自動車がひしめいているだけでなく、道路の脇には人々が群れていた。みんな簡易バスを待っているのだそうで、20人ぐらいのワゴン車が乗り合いのミニバスになっているのだ。このバスはどこでも停車してくれるそうで、その点は便利である。ちなみにミニバスは日本車が多いそうだ。大型の市内バスはなかなか来ないらしかった。それにこの渋滞では大型バスは大変だろうと思った。
昼間だから道路の様子がよくわかった。お互いに強い者が勝つという感じで押しのけるような運転をしている。
やっとのことで、ピラミッドの頂点が見える場所まで来た。建物のすぐ向こうに見えた。駐車場に着くと既に数多くのバスが停まっていた。
是非見たいと思っていたピラミッドが目の前にあった。第一印象は、私が想像していたほどは大きくはなく、少々期待はずれであった。私が想像していたのは、200mぐらいの高さの巨大なものであったのだ。クフ王の第一ピラミッドは、駐車場の方からは日陰になっていた。太陽は左側にあった。フリータイムのときに、私は左側に行った。ラクダが何頭かいた。ラクダの客引きがうるさかった。左側は太陽が当たって輝いていた。
ピラミッドは現在は階段のようになっているが、元は花崗岩の化粧岩で滑らかに化粧されていたそうだ。それは第二ピラミッドのトップに少しだけ残っているので分かるのだ。サウサンは化粧岩のことを“きしょう岩”と発音するので“稀少岩”かと思ってしまう。それで暇なときにそのことを指摘してあげた。
第一ピラミッドに少しの時間登った。Cairo市内が遠望できた。一つ一つの岩は大きなものでどうやって積み上げたのか不思議であった。ずっと後でルクソール神殿を見に行ったときに、沖縄から来たYASさんから同じ疑問を聞かれたが答えられなかった。
ピラミッドの稜線の一部に真っ青な空を背景に太陽が出掛かっている輝きのある所があった。美しいと思って撮影した。ピラミッドが陰になっていい写真が撮れた。
(16)第二ピラミッドに入る
次は、カプラ王の第二ピラミッドに行った。風が強く帽子を吹き飛ばされそうであった。サウサンの説明では砂嵐のときは一面見えなくなるそうでこれほどの風は大したことはないそうだ。第二ピラミッドは第一より少し小さい。このピラミッドは内部に入れるのだ。入り口に並んだ。カメラは大山さんが集めて保管をする。撮影をして、もし見つかると没収されると言った。
前にはドイツ人のグループがいた。入り口を通ると、背の高い男のドイツ人と女のドイツ人がすぐに戻ってきた。「どうして戻ったの?」と聞いたら、「狭いし急なので危ない。」と言った。折角25p(300円)の入場料をを払ったのにと思った。
中に下りる道は人がやっとすれ違えるぐらいの幅で高さは腰をしっかりとかがめないといけないのだ。それに急な坂になっており、木で滑り止めが階段状に作ってある。そこを一歩一歩下りていくのだ。あの背の高いドイツ人が敬遠したわけが分かった。この道はかなり長いのでしまいには腰が痛くなってしまった。その頃一旦平らなところに出る。ほっとする。そこから更に下に下りるのだ。だんだんと気温が上がるので暑くてたまらない。
やっとの思いで何かを祭ってあった、あまり大きくはない部屋に着くと、そこはまるでサウナの中にいるぐらい暑かった。そうそうに引き上げることにした。帰りは登りなので暑さが更に強く感じる。それに時々降りてくる人たちを待つので苦しくてたまらない。外に出たときは風が実に涼しく感じた。
写真を撮影しながら、バスまで戻った。ナダさんと話す機会があったので少し話してみたが、日本語はまだ殆ど話せなかった。サウサンはぺらぺらなので、どうやって日本語を勉強をしたのか尋ねた。TVで自然に覚えたと言うのだから天才的である。後でわかったのだが、「三年B組金八先生」やタモリの「なんでもいいとも」などが大好きだったそうだ。
(17)三大ピラミッドを望む地点
次は、三大ピラミッドが一番よく見える撮影ポイントに行った。眺望が開けCairo市内がぐるっと見渡せる中に三大ピラミッドが建っている。そこで集合写真を撮った。よく撮れていた。一枚1000円であった。
近くにラクダに乗れるところがあった。この辺りはサハラ砂漠の一部だそうだ。実はピラミッドの所でも乗れたのだがサウサンはやめたほうがいいと言った。こちらがお勧めの場所だった。一人3$だった。何人かの人がラクダ乗りを体験した。私は、ゴビ砂漠で2回も体験しているし、特に青砂灘の砂丘では満月の夜、中国の女の子たちと一緒にラクダで砂丘を歩いたロマンチックな体験があるので今回は乗らなかった。
(18)スフィンクス
11:40にスフィンクスの場所に着いた。スフィンクスも見たいものの一つであった。スフィンクスの見えるところまで来ると人で溢れていた。観覧料は何と50p(1000円)であった。
サウサンは「今日はエジプトの人が多いね。」と言っていた。それでいつもより混雑しているようだった。スフィンクスは柵で囲まれ近くにはいけないが、見るだけなら入場券を買わなくても十分に見ることが出来る。傍に行くには入場券が必要だ。入って行くと大きな壁で仕切られていくつかの部分に分かれていたので迷ってしまった。結局回り道をしてスフィンクスへの入り口にたどり着いた。スフィンクスの左側の部分に出た。大きな像をまじかに見ることが出来た。外に出ると真正面に行って写真を撮った。背景はピラミッドである。そこには12:15までいた。
(19)パピルスインスチュート(研究所)
次の場所に行く途中、ロバに引かせた荷車に野菜を積んだのやトマトだけを積んだ荷車などが見られた。トマトは1kg10円ぐらいだとサウサンが言ったのでみんなは驚いた。ロバはこの先農村部に行くと頻繁に見ることになる。
トイレ休憩を兼ねてパピルスの研究所に行った。ガイドの説明では、本物のパピルス工芸品を作っているのだという。観光地で売っているパピルスはまがいが多くてバナナなどの繊維を使っておりすぐ駄目になることが多いのだそうだ。
入って行くとまず製造方法を実演して見せてくれるところがあり、日本語を話す実演者が作り方を説明してくれた。パピルスはかなり大きな植物で緑色の茎をはがすと白い繊維の部分が出てくる。茎を30cmぐらいに切って皮をむきゆでた後、白い部分を細くして水につけておく。それを薄くして、すのこの上に並べていって乾かすのだ。結構手間のかかるもののようであった。
そこではパピルスから作った紙に絵を描いたものをいろいろと売っていた。高等学校の西洋史の時間にパピルスを勉強したことを思い出していた。私は、一番安い70p(1400円)のものを買った。古代のエジプトの絵が描かれていた。一割引で63Pで買えた。しっかりとした紙製の筒に入れてくれた。
(20)昼食は中華料理
昼食は、ナイル川に浮かんだ船上レストランで中華料理を食べた。入り口に「北京」とかいてあったが、大山さんが「エジプト風味の中華です、」と言った。ビールは7$と高い。チャーハンのようなご飯はやはり芯があって固い。
(21)モハメッド・アリ モスク
14:40頃にレストランを出発した。次は、モハメッド アリ モスクへ行った。途中、家を建築しているところがたくさんあった。サウサンが説明をしてくれた。先に書いたように、マッチ箱積み上げ式で、出来上がったところから住んでいくのである。一生未完成のこともあり、何代もかかって完成する場合もあるそうだ。
このモスクは大きくて荘重である。ドームが5つあり、高いところにあるので遠くからも見ることが出来る。拝観料はわからない。モスクに入るには靴を脱がなければならない。手にぶら下げて中に入った。大きなシャンデリアやステンドグラスのあるドームであった。ドーム天井には装飾の図柄が描かれてあった。イスラム教のモスクに入るのは初めてであった。イスラム教では偶像崇拝は禁止なので中は跪いて礼拝をする場所だけである。
モスレムの女学生がたくさん見学に来ていた。彼女らは、座って説明を聞く我々やサウサンを物珍しそうに周りから見ていた。時々サウサンがアラビア語で女学生たちにあちらに行けと注意をしたようだ。時間があれば彼女らと喋りたかった。モスクの丘からはCairo市内が一望できた。空には雲がたくさん浮かんでいた。
このモスクでフリータイムにトイレに行ったが、はじめに間違えて女性用に入ってしまった。入り口には係が立っているのに何も言わなかったのだ。ちなみにエジプトではレストランやホテル以外は有料で50ピアストルか1ポンドを上げなければならない。私は1pをあげた。その後集合場所がわからず結局バスまで行ってしまった。待っているとガイドさんに連れられてみんなが戻ってきた。
(22)考古学博物館
この後考古学博物館に行くのだが、時間は16時を過ぎていた。博物館は中心部のダハリール広場にある。赤レンガ造りの建物だ。心配していたが19時まで開いているというので安心した。日本なら閉館時刻なのに人、人、人であった。さすがはエジプトの博物館である。入場料は50p。
中に入ると、サウサンは「この博物館は見るだけでも1日あっても足りないのでポイントだけ説明しますから、私についてきて下さい。」と言った。そして要領よくあちらこちらと回り手早く説明をした。館内には巨大な石像や柱など発掘物が数多く展示されていた。
糞ころがしのたくさんあるところで、サウサンは「古代エジプトでは糞ころがしがお守りとして大事にされました。それは、糞ころがしは、糞を集めて球を作りますが、どんどんと大きくなってもめげずに球を大きくするのがおめでたいと考えられたのです。」と説明した。そこで小話が出来た。
「糞ころがしは古代エジプト人のお守りなんだって。」「ふーん。」
ロゼッタ石はレプリカで本物は大英博物館にある。かつて大英博物館に行ったときにロゼッタ石があるのを見てびっくりしたが、イギリスが持って行ったのだ。大英博物館にはその他にもミイラや貴重なエジプトの遺産がたくさん持ち込まれているのだ。
ツタンカーメンの金のマスクと石の棺、木の棺二つなどはここに展示されていて、残りの金のマスクと石の棺とは王家の墓の中にあり後日見に行くことになっていた。ミイラ室に入るには別に100p必要だ。私とNUさんとMATさんは入らなかった。その代わりに、珍しい動物のミイラを見に行った。大きなワニのミイラ、サルのミイラ、犬、猫、鳥、巨大なシーラカンスのような魚のミイラまであった。これらはささげ物としてもしくは死後の世界の食物として作られたのだろうか?
人間のミイラを見に行った人たちはすぐに出てきたみたいだった。私たちは動物のミイラを見ることを勧めた。
トイレは2階にあり、女性用が左右に一箇所ずつ、男性用は真ん中に一箇所あったが、これは親切であった。トイレを済ませた後NUさんと残りを見て回った。古代にこれらの巨大な石像を作ったことに感心をした。
回っていると、2人の若い女の子たちがトイレに行きたいが細かいポンドがないというのであげた。KATさんもトイレを探していた。
入り口の横にある売店に入ったが、カレンダーが100P(2000円)、メモ帳が15p(300)円もするのには驚いた。博物館を出たのは18;05であった。すっかり暗くなっていた。
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